プロローグ
かつて、1人の男がいた。
家は名家で幼き頃より学問に励み、己の肉体を鍛え英才教育も受けた。
呑みこみが良く人よりも優れた所が多かった為、周りから持て囃されることもあった。
いつしか男は、神童などと呼ばれるようになっていた。
だが男は周りの評価はどうでも良かった。
周りの評価よりも何よりも、他ならぬ親に褒めて欲しかった。認めて欲しかった。
人の子であれば当然と言えば当然。
だがその親は、子である男に興味が無かった。
男より先に生まれた兄に夢中であったのだ。
男は自分には努力が足りないのだろうと思い頑張って勉強をした。
身体も頑張って鍛えた。
褒められるために礼儀作法も覚えた、認めて貰いたいが為に色んな事もやった。
だが頑張れば頑張るほど、両親は男に冷たかった。
兄は何をさせても平凡で、弟の出来が良いのに嫌悪を催していた。
周りが男を褒める度に両親は陰で男を仇の様な眼で見ていた。
暴力は無かったが、当時子供であった男には辛いことに変わりはなかった。
だがそれでも男は頑張った。ただ褒められたい、認めて欲しい、その一心で。
自分には努力が足りないのだ、だから親は自分に興味が無いのだと思い……。
そうして幾ばくかの年月が流れた。
ある日、男は夜トイレに行く時にふと、両親の部屋から話し声が聞こえた。
会話の中で自分の名前が出た気がして壁に耳を着け聞いた。
「全く……忌々しい限りだ」
「そうですね。兄よりも自分が優れてる事をそんなにひけらかしたいのでしょうか」
「ふん、大方私達が構ってくれないから気を引いてるのだろう」
「ああやだ。だからといって兄を貶めて良い理由にはならないのに」
「前から周りの人間も言っている。優秀で羨ましいお子さんですな、など……こちらの気も知らずに好き勝手言ってくれる」
「私達は、あんなのを子供と思っていませんのに」
「ああ、いっそ事故死でもしてくれないだろうか……"私達の子"が可哀想だ」
「本当。あんな子生まれて来なければ良かったのに……」
不満が聞こえた声、それは紛れもなく両親の声だった。
「―――――」
男は極力足音を立てずに自室へと戻った。
部屋へと戻るや否や、寝具へと倒れこみ茫然自失としていた。
両親は自分を認めようとしない。それどころか自分の子とすら思っていない。
あまつさえ死んでくれないかと、生まれて来なければ良かったのにと思われていた。
どうでもよかったのだ、自分は。
何をしようと意味は無くただ無駄なこと。
どうしようもなかったのだ。
男は部屋で声を押し殺し泣いた。決壊したダムのように涙が溢れ止まらなかった。
その翌日、まだ陽が昇るよりも前に男は家を飛び出した。
行く宛ても無くただ飛び出した。
どうしようもない感情に支配され、大声をあげ飛び出したのだ。
走って走ってただ我武者羅に走って……男が着いたのは、見慣れない山奥。
川が流れる音が聞こえ、喉が潤いを求め始めた。
今の今まで大声を出して走り、ここまで来たのだ。喉が渇くのは当然。
男は気持ちが昂ぶっていたこともあり、走って川に近づき――――足を滑らせた。
派手に水を打つ音が響き、男は川へと落ちた。
思っていたよりも川の流れが速いのと走った疲労のせいで、男は川の流れに逆らう力が無かった。
少し流されて川が途切れているのを確認すると、この先に崖があるとすぐに理解した。
岸に行こうと懸命にもがくが体力は無く、そのまま川に流され、落ちようとしたところで――――――
(いやだ、死にたくない……誰っ、誰か助け……てっ……死にたくない!)
そう、強く願った。