尋ね人‐2
この風変わりな少女に付いて行けば、そのうち弟に会えるらしいことが分かって、ギルは安心した。とりあえず、落ち合うのはどこなのか、ギルが質問しかけたとき。
ぎゅるるぅ。
グレイスの腹の虫が鳴いた。
「ま、まずはご飯を買いましょ」
彼女は頬を染めてひとつ咳をし、再び広場の方向へ踵を返した。
「おい、待ちやがれっ!」
砂埃の匂いと共に、怒号が飛び込んで来た。ばたばたと激しい足音が響いている。後方が、なんだか騒がしい。
「くそっ、誰かそいつを捕まえろ!」
「この、魔性め」
それを聞いたグレイスがびくりと肩を震わせた。
――魔性? まさか、アートが?
ギルも振り返ると、追われているのは翼の生えた少年だった。少年には気の毒だが、弟の無事を確認して思わず胸を撫で下ろしていた。
◆
父フランクには部屋にいるよう言いつけられていたが、『母』の鳴き声が聞こえた気がして思わず飛び出してきてしまった。
それがきっかけで、ニックは追われる身だ。巡回中のオニテュ治安維持団に出会してしまったのである。追っ手は下級の騎士二人。下っ端といえども相手は成人男子だ。齢十やそこらの子供が一人で立ち回れる訳がない。だから、ひたすら逃げる。
人混みを掻き分けると、面白いほどすっぱりと二つに割れ、群衆が離れていく。
ニックは走っていた。全力疾走だった。
息が切れる。この翼で、飛べるものなら飛びたかった。しかし無理だ。体が重すぎる。そのうえ、しばらく外に出なかったせいもあって、体は鈍ってしまっている。
後ろを振り向けば、オニテュ治安維持団の騎士二人はすぐそこまで迫って来ていた。彼らは以前なら頼もしくさえあったが、今では脅威でしかない。足の速さは比べるべくもないが、とにかく逃げなくてはならない。
「――ぇ」
後ろなど見なければ良かった。わずかな段差に足を引っ掛け、バランスを崩してしまった。
「うそッ」
そうこうしている間にも奴らは迫り来ているのだ。
来る。逃げ切れない。
殺される。
石畳に手を付いて、ニックは転んだ。掌が擦り切れてひりひりと痛む。それ以上に胸が痛い。呼吸が苦しい。視界が滲む。
死んじゃいそうだ。
だが、死んでなどいられない。
歯を食い縛り、ニックはもう一度膝に力を入れた。。
立ち上がって再び走り出そうとした。しかし無情にも、先程までの全力疾走がたたって、足がもつれて思うように動かない。
数歩も進まないうちに、ついに追い付いた騎士の一人に、背後から羽根を掴まれた。否、むしり取られた。
「――痛っ!」
耳元で笑い声が聞こえる。
「やっと捕まえたぜ、畜生」
首根っこを掴まれて、ニックは自由を奪われた。
「放せ放せっ、放せ放せはーなーせーッ!」
じたばたと暴れてニックは精一杯抵抗しようとしたが敵わなかった。男の一人に一発殴りつけられる。左の頬が痛い。
「るっせぇなァ、死にてぇのか!」
さらにもう一発。今度は腹部に痛みが走る。蹴られた。
「――っくぁ」
「これだから魔性は嫌なんだよなあ」
魔性。
「まだ魔術も使えねーようだから楽でイイけどよ」
自分は魔性なのか。
その事実に愕然とする。
確かに、魔性でないとは言い切れない。けれど、父は「ニック」と呼んでくれる。「ニック」は人間だった。
……ぼくは「ニック」じゃないの? だとしたら、ぼくは、何?
ニックの中で何かが崩れた。
もう動けない。動けなかった。
無抵抗のニックに対し、とどめとばかりに鳩尾への打撃が見舞われた。意識が遠のいていく。
ニックの小さな体は担がれ、運ばれる。少年は、もう何も感じなかった。
◆
少年は男たちに連れて行かれる。あれは争いとすらいえない、ただの暴力だった。
「酷い……」
グレイスは一歩身を乗り出して、今にも飛び出して行きたかった。
「落ち着きなって。んなとこで暴れたって意味ないよ」
「でもっ、このままじゃ、連れてかれちゃう」
知らん振りを決め込むつもりなのか。グレイスが魔性として扱われる気持ちを知っているぶん、非情に聞こえてしまう。
「だから?」
グレイスはすっかり忘れていたが、ギルはついさっきそこで出会ったばかりの人間だった。決して、魔性に同情してくれる感性の持ち主とは限らないのだ。
哀しくてグレイスは項垂れた。
それをどう受け取ったのか、ギルはグレイスの肩をぽん、と叩いた。
「今出てったらただの馬鹿。時と場所は、ちゃんと弁えなきゃ、ね?」
まさか、今の言葉は、肯定? 驚いて顔を上げる。ギルは数ブロック先をじっと見ていた。翼の少年はその角に消えたのだろうか。とにかく、もう既に魔性騒ぎは収束して、広場は元通り何もなかったかのようだ。
「で、とりあえずなんか食うんだっけ?」
ギルの笑みも、また元通りだった。
「ええ、アズのぶんも買っときましょ」
その後は手近な屋台で買った軽食を頬張りながら、待ち合わせの店の前の長椅子に腰掛けてアズを待った。
「そういえば、グレイスちゃんは夫がいるとか言ってたけど、その小さ、いや、若いのにもう?」
「うふふー、実はねっ、あたし、アズの妻なのよ」
「……へぇ?」
そんな感じの会話もした。
噂の本人は、息を切らしながら駆けてやって来た。その姿が現れたとき、真っ先に反応したのはグレイスではなくギルだった。
「アート! 失望した! おまえが幼気な女の子に手を出すなんて! そんな子に育てた覚えはありませんっ」
「……は? ギル? 一体何の話を?」
ギルに「アート」と呼ばれた彼は、まったく何を言っているのかさっぱり解らない、とでも言いたげだ。とぼけている、というより本気で。
あれ?
「あ、やっぱり? 本物のアートだよね? 会いたかったんだ。心配したじゃぁないか」
もしかしてアズがアートだったのか。アートがギルの弟ということは、アズの妻とギルとは義理の兄妹ということだ。わぁー、あたしってば天才!
「ギル、これからはお義兄さまと呼ばせていただきま――」
ギルに向かってそう挨拶しようとしたら、何故か、またアズに怒られた。きっとこれも愛故よね……?
グレイスが妄想を膨らませている間にも、アズとギルは話を続けている。
「そんなことより――」
「そんなことってどういうことだい、感動の再会場面じゃないか」
ギルが言い張ったが、その主張はスルーされた。グレイスだってそんなの認めない。クライマックスは愛の告白場面に決まっている。
「そんなことより人がいなくなったんだ、探すのを手伝ってほしい。話はその後で聞く」
駆け足で来たのはそういう理由だったらしい。アズはフランクの息子の話から、例の息子が部屋から消えていたことまで、「魔性憑き」のことも含め説明していく。
「……それってもしかして、さっきの子じゃない?」
グレイスとギルは顔を見合わせた。そして数秒の躊躇いの後ギルが断言した。
「それなら、手伝うまでもなく、すぐに解決してやれるよ」




