魔性憑き‐2
「うーん、いい天気」
日の出と共に、グレイスは朝の散歩に繰り出した。散歩は、森にいたときからの日課だった。ちなみに、アズはまったく目を覚まさないので置いてきた。今はグレイスひとりだ。
アズが起きる前には帰ろう――と心に誓った、つもりだった。しかし、そんなものは三歩で忘れた。
「はっ。なにあれすごーい! あんな高い塔初めて見たっ」
昨日もあったはずだが、暗くて見えなかったのだろう。緑の屋根の尖塔が、空に突き出していた。何の建物だろうか。
きょろきょろ。他に珍しい物を求めてあちこちに視線を向ける。田舎者丸出しである。
「うわあ、こんな細い道まで石畳だー」
路地に入り込んで、さらに突き進む。抜けると、ちょっとした住宅地のようだ。
ふらふら。誰かの家から香ばしい匂いが漂う。朝御飯の香りもどことなく上品な気がする。
「はあ、やっぱ都会は違うよねえ……」
空気を吸い込んで一言。
うろうろ。焦茶の小型犬が小路から早足で歩いてくるのを見て、グレイスは叫んだ。
「犬っ! アズと同じ毛色! かわいいっ」
グレイスに追われ、小さな犬は怯えて逃げる。文字通り、尻尾を巻いて。三つ先のブロックでその姿を見失い、グレイスは追跡を諦めた。
てくてく。オニテュの市街はどこまでもどこまでも続いているように感じられた。
「ん?」
何時間歩いたっけ、とグレイスは首を傾げた。気付けばもう、日は高く昇っている。
そして、今朝立てたばかりの誓いをようやく思い出す。
アズが心配しているかもしれない。
慌てて元来た道を振り返ると、突き当たりに知った顔を見つけた。
「フランクさん?」
向こうも彼女に気付いたらしく、こちらを向いて足を止めた。
◆
これから迎えに行くところだったのだ、とフランクは説明した。近場なので、今日は歩きだった。すると奇遇にも、昨日の少女に出会ったのだ。
「ところで、お二人はどういったご関係なのです?」
兄妹というには全然似ていないし、母親探しをする気も感じられないし、アズは治癒専門だがグレイスが病気という割りには元気すぎるし、いい加減疑問だったのだ。
「あたし、アズの妻なの!」
自慢気に少女グレイスは言い切った。
「あーなるほど。やっぱりそうでしたか」
勝手に納得するフランク。ちなみに彼の予想では駆け落ちのカップルだった。彼女はまだ子供のようだし、親に反対されて逃げてきたのだろう、と。
「馴れ初めは」
フランクは駆け落ちに遭遇するのは初めてなので、個人的に興味が湧く。
「なれそめ?」
言葉の意味が解らないらしいグレイスが首を傾げた。
「出会いのことです」
「出会いは、ねえ……森の中だったわ。それで、あたしはアズをお家にお誘いしたの。でね、あたしね……えーと、アズを縛って襲っちゃったのね」
反応に困る急展開。いくらなんでも早すぎやしないか。しかも、この少女から? あの男は幼女趣味の上に、被虐趣味者なのか?
「――……意外なご趣味ですね」
フランクは呟いた。聞こえていなかったようで、グレイスはそのまま話し続ける。
「で、アズがね、一緒に行こうって言ってくれて、あたしはついていくことにしたの」
そこで、少女は恥ずかし気に笑う。
最近の若者は理解できない、とフランクは思った。
◆
アズが目覚めると、もうだいぶ明るかった。
カーテンを開いて外を見れば、朝というよりは昼前という雰囲気だ。
「……寝すぎた」
アズは頭を抱える。いくらなんでも、もうそろそろ宿を出るべき時間だろう。早いところ支度を済ませ、荷物をまとめなくては。
――と考えて間もなく、気付いたことが二つ。
眼帯がない。
グレイスがいない。
これは、いったいどういうことだろう。アズは最悪の事態を想像して青くなる。
グレイスは本当に、人の中で暮らしたいと思ってアズについてきたのだろうか。アズを足止めし、逃げ出す理由があるのかもしれない。
例えば、森で人間を待ち構えるのに飽きて、街に出て自ら人間を捕まえることに魅力を感じたのだとしたら。あの今までの子供っぽいそぶりも演技だったとしたら。
それとも、グレイスの魔性が暴走してしまったのか。止めてやると言ったにもかかわらず、何もしてやれなかったのではないか。
魔性のことが知れたら、グレイスがどんな目に遭うか分からない。いくら強い力を持つ魔性だとしても、殺されているかもしれないのだ。――アズが連れてきて、目を離してしまったせいで。何かがあったらアズの責任だ。
床の上、テーブルの上、寝台の隙間。
眼帯がないか、探したが見つからない。とりあえず、それがなければ外に出られない。もどかしかった。
もう、代用品でも良いだろうか。アズは引き千切るべきか、と煤けたカーテンを睨んだ。
ふいに、声が聞こえた気がした。
「ただいまぁ。アズ、起きてるー?」
幻聴ではない。グレイスだ。生きていた!
アズは探し物を放り出して、扉を勢いよく開いた。
「グレイス! 心配したんだぞ、いったいどこに……」
世話が焼ける少女の小さな体をぎゅうと抱き締め、ため息を溢す。無事生きていてくれるならそれで良かった。
「あつあつですねぇ」
……あつあつ、とは何だ?
アズは顔を上げ、楽しそうに自分たちを見守るもう一人の存在に気付いた。
そして沈黙。
今、アズは寝起きの素顔を晒している。眼帯はない。人らしからぬ魔性の身体的特徴が現れている。中でも、ぴんと立った獣のような三角の耳は目立ってしまう。
目撃者がフランク一人だけだったのは、不幸中の幸いだろう。
慌てふためいて頭に手をやり、アズは苦笑した。
もう遅すぎる。
出直したい、と本気で思った瞬間だった。




