魔性憑き‐1
アズは馬車に揺られていた。初めての馬車にはしゃぎ疲れたらしいグレイスが隣で眠っている。
トトナ村で積み荷を降ろした馬車を捕まえて、グレイスの噂が御者の耳に入る前に忙しく出てきたのだ。
御者の男には悪いが、そうでなければ夜通し歩き通すはめになっていただろう。少し嘘も吐いてしまったし、謝罪の代わりに謝礼を弾もう。
「いやぁ、あなたがたも大変ですねえ。トトナも魔性が出るって言いますし」
ちなみに、吐いた嘘とは「グレイスの母親が魔性の出る村に嫌気が差し、病気の娘を置いて出ていってしまったのでそれを追って探しに行く」というものだ。
馬車が小都市オニテュに戻るらしいと聞いて便乗させてもらったのだ。
オニテュはセロム王国のど真ん中にある都市だが、湖に面しており、首都のザンヴァまで川を下って一直線の位置にある。船による国内の物流の中継地として栄えているのである。
「しかしオニテュも安全とは言い難いですよ。最近、魔性が出ているのですよ」
「え、そうだったんですか」
初耳だった。トトナ村に寄る三日前まで、アズはオニテュ市にいたのだが。
「ええ、人に憑く魔性なのです。祓うこともできず人目に付かないよう隠してやるしかなくて」
人に憑く魔性。それは、自分たちと同じ状態のことではないだろうか。隠されているのなら、数日滞在しただけのアズが知る由もなかった。それは当然だ。だが、この御者はそれを知っている――つまり、御者にとって身近な人物だということか。
「その人、紹介してもらえませんか。……これでも俺は治癒魔術師です。診たら何か解るかもしれない」
治癒魔術云々は嘘ではないが今回の件からはあまり関係がない。それでも理由なしに会わせてもらう訳にもいかず、はったりじみたやり方でアズは名乗りを上げた。
御者の男はいぶかしげに振り返る。アズの見た目からして、信じていないかもしれない。
しばしの沈黙の後、諦めたように男は呟いた。
「息子なのです」
◆
目的地に着いたのは、住民たちが寝静まる頃だった。実際、着いたのは夕方暮れ時だったが、トトナからの積み荷を降ろすのを手伝っているうちに、こんな時間になっていた。
「今日はどうも、お疲れ様でした。もう遅い時間ですし、明日ここに迎えに来ますね」
御者の男ことフランクは宿の前まで馬車を付けて二人を降ろし、去っていった。
彼の紹介してくれた宿は旅商人がよく使う宿で、空き部屋さえあればどんな時間でも快く泊めてくれるという話だった。
中に入ると、ロウソクのぼんやりした灯りの下で年老いた男が椅子に腰掛けているのが目に入る。アズとグレイスの形を見て、彼は不可解そうな顔をした。引っ掻き傷だらけの眼帯の男と、包帯に覆われた幼い少女の組み合わせだ。さぞ奇妙奇天烈であろう。
泊めて欲しいと申し出ると、老爺はますます眉間にシワを寄せ、二人を遠慮なく眺め回した。
「一部屋しか空いてないが、それでいいかね」
グレイスが目の届かない場所にいるのは不安だが、同室というのもどうだろう。アズはグレイスに目をやる。
「アズと一緒の部屋!」
彼女は楽しそうに跳びはねていた。ぎろり、と老爺に睨まれる。寝ている人たちの迷惑にならなければいいが。
……グレイスが同室でいいなら、それでいいか。
アズは宿泊を決めることにした。
案内された二階の一室に、わずかな荷物を抱えながら入る。グレイスに至ってはまったく持ち物がなかったから、明日するべきことが終わり次第、買い揃えなくてはならないだろう。
「すごーい、ふっわふわー!」
グレイスは早速駆け出して、部屋にひとつしかない寝台の上に飛び乗り、弾ませて遊んでいた。馬車で昼寝をしたせいか、グレイスは異常に元気だ。夜中だということも忘れているのではないだろうか。
「もう遅いんだから、遊んでないで早く寝ろよ」
アズがたしなめると、不満そうにグレイスはむくれる。
「変な気を起こしたら、ただじゃおかないんだからねっ」
「はいはい、おやすみ」
変な気など、誰が起こすものか。
ずっと森の中にいたくせに、どこでそんなこと覚えるのだろう。呆れつつ、疑問に思う。
アズはグレイスがおとなしく寝台に入ったのを確認して、床に毛布を敷き詰め横になった。
寝心地が良いとはお世辞にも言えなかったが、疲れ切っていたアズは、瞬く間に眠りに就いた。
◆
まだ夜も明け切らぬ頃、グレイスは目を覚ました。二度寝をしようかと思ったが、昨日眠りすぎたせいかすっかり目は冴えざえとしている。
仕方ないのでむくりと起き上がり、伸びをする。
「……ここ、どこだっけ?」
ふと、思う。いつもの小屋ではない。小綺麗な部屋だ。
辺りを見回して、暗がりの中に床で丸まる青年の姿を発見する。そして、安堵。
「あ、そか。アズについてきたんだった」
たしか、ここはオニテュとかいう都市の宿だったはずだ。
グレイスは寝台から降りて彼の顔を覗き込む。熟睡中だ。寝るときは眼帯を外してしまうらしく、無防備に正体を晒している。
「アズ、朝よー?」
つんつん、と頬に指を刺してみる。返事がない。疲れが溜っているようだ。起きてくれない。
朝というには少し早いが、グレイスは暇だった。もう一度挑戦。
「アーズー?」
今度は耳を摘んでみる。アズは小さな唸り声を上げて寝返りを打つだけだった。
つついても引っ張ってもろくな反応がない。つまらない。
それで、グレイスは、ちょっとした悪戯を閃いた。
「眼帯、隠しちゃえ」
満足気に笑い、グレイスは枕元のそれを掴み取った。




