蜘蛛の巣‐2
小屋は朽ちかけていた。
さすがに屋根に穴は空いていないだろうが、蔓性の植物が絡まり傾いている。小屋の脇にある井戸も、石で出来ているがヒビが入っていた。そして、何かが腐っているらしく、どこからともなくすえた臭いがするのだ。
嫌な臭いだ、とアズは思った。
一方、グレイスは慣れてしまっているのか、元気そうにしている。
「古くて雨もりもひどいけど、住めば都なのよ。ゆっくりしてってね」
グレイスがアズを招き入れる。
小屋の中は、予想を裏切らない薄汚さだったが、それでも少女が住むだけあってきちんと整理はされていた。
しかし、臭いは中に入るとさらに強く鼻を刺激した。よく平気でいられるものだ。
「さ、座って座って! お茶って言ってもお水しか出せないんだけど」
言いながら欠けたグラスを差し出すグレイス。アズが席に着くと彼女も向かいに腰を下ろした。
しばらく辺りを見回していたアズは、グレイスの背後に出入口とはまた別のドアを見つけた。この小屋は一部屋だとばかり思っていたが、別に寝室があるようだ。
話を聞かせて欲しいとグレイスがねだったので、アズはこれまで見てきたものの話をした。それほど珍しい話ではなかったが、彼女は目を輝かせて聞いていた。
話が尽きかけた頃、ふとアズは不思議に思っていたことをひとつ思い出した。
「そういえば、さっきからずっと気になってたんだけど、その包帯は、怪我か?」
「違うの。これは――あのねっ、あたし本当はね……っ」
不意に、グレイスが泣きそうな震えた声を出す。
「どうした?」
「ううん、やっぱりなんでもない」
グレイスは萎れたように俯いてしまった。何かまずいことでもしただろうか。
グレイスに、触れられたくないことを尋ねてしまったのかもしれない。
いくら幼いとはいえ一応女の子の部屋な訳だから、じろじろと見てはいけないのかもしれない。
「アズ、ごめんなさい」
いつの間にか、グレイスは青く澄んだ瞳を潤ませていた。アズは何が起こったのかわからず困惑した。
なぜ謝るのか。訳が分からない。
とりあえず、彼女の傍に寄って頭を撫でてやる。彼女の涙は、流れることなく顔を覆う包帯に吸い込まれていく。
「大丈夫だから、落ち着いて」
包帯の巻かれた小さな手がアズの衣服を強く引っ張った。
「お願い、助けて。あたしを一人にしないで。どこにも行かないで。ずっとここにいて」
彼女が泣きながら愛の告白じみた台詞を述べたのを、アズは聞いた。
今日一日で泣き落としが二人目だなあ、と頭を掠めたが、問題はそんな下らないことではない。
アズはいつか、どこかに定住したいと考えている。どこかはまだ良く分からない。しかし、その場所はここではない。今でもない。完全に二人きりのおんぼろ小屋ではないのだ。
「悪いけど、それはできないよ」
グレイスの頭を優しくぽんぽん、と叩きながら、アズは諭すように彼女に言い聞かせた。
「ずっとは無理だ」
ふるふる、と彼女は震えていた。ただ寂しさで泣いているのだと思っていた。
◆
変化は、すぐにやって来た。
「あああああああ――ッ」
「え……」
グレイスが奇声を上げた。髪を乱し、暴れる。彼女の瞳は紅く明滅していた。乱した髪が強く波打ち、アズは一歩、後退る。
「だめよ、そんなの許さない」
強い口調で彼女は言った。
「どうして……」
グレイスが魔性だったのか。
だが、彼女は確かに助けてと言った。彼女は助けを求めていたのだ。
もしかすると、グレイスは供物として――この魔性に取り込まれてしまったのかもしれなかった。
魔性と人間は、稀なことだが、ある条件を満たすとき、融合してしまうことがある。体だけではない。心まで溶け合うのだ。完全にひとつになる。だが、ふとしたきっかけでバランスを崩したとき、どちらかが優位に立ってしまう。
現在の彼女は、魔性に意識を奪われかけているように思えた。
いざというとき逃げられるよう、アズはさらに出口へと下がろうとした。
「逃がさないわよ」
グレイスが髪を逆立てる。するとまるで蛇のようにうねり、四方から蜘蛛の糸の如く伸びた灰色の髪がアズの四肢を絡め捕る。
身動きが取れなかった。動こうとすればするほど拘束はきつくなっていく。締め殺される前に、アズは逃げるのを諦めた。
この魔性が、肉食でないことを祈る。
「グレイスの――望みは何?」




