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SWitch  作者: 夏岸希菜子
16/19

途中下船‐6

 翌朝、柔らかな光の中でグレイスは目を覚ました。幾条も射し込んだ朝日が、暗い室内をちらちらと舞っている。

 その様子は、長年暮らした小屋で見た光景に似ていた。あの頃はベッドの脇に、人間を束縛して置いていた。話し相手が欲しかったのだ。ちゃんと食事も用意したし、清潔も保った。今となっては酷いことをしていたと思う。自由がこんなに大切だなんて知らなかったのだ。グレイスが閉じ込めた彼らは、まともに口も利かないまま次々に死んでいった。

 今や彼女の隣では、眼帯を着けたままのアズが深い眠りに就いている。昨日の体勢から微動だにしていない気がする。さらにその隣ではギルが上下逆さまになっていた。寝相まで似ていない。

 彼らはいつまで傍にいてくれるだろう。犯した罪を考えると、これ以上はただのわがままだが、ずっと一緒にいたかった。だけどグレイスは、普通の人間と時間の流れ方が違う。ギルとも、アズとも違う。きっと、また置いていかれる。それでも彼らといられる間くらいは、大切にしなければならない。五十年なんてあっという間なのだから。

 雨戸の隙間から漏れる光を頼りに髪を結わえ直し、立ち上がる。悲しい気分はここでやめにして、朝の散歩に出掛けよう。

 部屋を出たら、すっかり健康そうなノラ母が、煮炊きをしていた。

「あらまあ、早いわねえ。起こしちまったかしらね」

「ううん、あたし、毎日早起きなのよ。アズが起きるまで、お散歩の時間なの」

「偉いのね。うちのノラったら、お客さんがいるってのにこんな日に限って朝から姿が見えないのよ。まったく、どこほっつき歩いてんのかしら」

 いつもなら今頃ご飯の支度してくれてるんだけどねえ、と彼女はため息を吐いた。

「じゃあ、見かけたら呼んでくる?」

「そうね。よろしく頼むよ」

 こんな自分でも、役に立っていると思うと幸せだ。グレイスは嬉々として出掛けて行った。


 ◆

 結局、ノラは朝食を過ぎても戻らなかった。

「大丈夫かな。この辺りの人たちも、朝から見てないみたいなのよ」

「踏み倒すつもりなんじゃないの」

 ギルはそう言うが、もしかすると今頃金策に走り回っているのではないだろうか。誤解されたかもしれない。アズは頭を抱えた。きちんと伝えるのを忘れていた。昨日は治癒に力を使いすぎて、寝床に戻るので精一杯だったのだ。

 魔力というのは消耗するものだが、完全に使い切って死なない限り、休めば自然に回復していくものだ。食事と宿を提供してもらえれば、貧乏暮らしをしている彼女たちから金銭を取り立てるつもりはなかったのだが。

「ノラが戻って来たらとにかく真っ先に伝えなくちゃなあ……まだ治療もろくに終わっていないし」

 果たしてノラが戻って来るのはいつになるのか。

 アズは自らの説明不足を後悔した。


「ただ待つのも疲れるでしょう? あの子が帰って来るまでゆっくりしてって。この集落の(そば)に温泉が湧いてるのよ。この時間なら誰もいないから行ってらっしゃいな」

 昼近くになって、ノラ母は気を使ったらしく、提案してくれた。

「温泉! 広い? 貸し切り? 誰もいないなら、あたし、行く!」

 久しぶりのお風呂だと言って、グレイスははしゃぐ。

「アズとギルは?」

「まだ本調子じゃないから止めとく」

「僕も行かない。風呂は嫌いなんだ」

「んー、じゃあ、絶対覗かないでねっ! 変なこと考えたら承知しないんだから!」

「はいはい。ゆっくりしといで」

 包帯がどこまで巻いてあるのか。ほどいたら姿はどのように変わるのか。思うところはいくつかあるが、余計なことは言わないことにして、アズはグレイスを送り出した。


 ふと見上げると、空は薄く曇り始めていた。

「雨、降りそうだし、そろそろ休憩にしようか」

 ノラ父がアズの評判を吹聴(ふいちょう)して歩いたらしく、ノラの家にはすっかり行列ができあがっていた。軒下に椅子を並べて即席診療所を(こしら)え、暇潰しも兼ねて時間限定で診察をすることにした。今は九人目をちょうど追い出したところだ。

「全員治してたら、きりないだろ、馬鹿か。精根(せいこん)尽き果てるまでいるつもり? 本当に死なれたら洒落になんねーんだけど」

 いつも被っている猫はどこかへ行ったようだ。なんだかいらいらしている。

「大丈夫、寝てだいぶ回復したし、並んでたのもせいぜい十五人くらいだっただろう。あと七、八人くらいなら、まあなんとかなるって」

 きっとそろそろグレイスも戻って来る頃合いではないだろうか。

 だが、予想に反してグレイスより先に姿を現したのはノラだった。

「――……?」

 アズは声を掛けようと口を開いたが、どうにも様子がおかしかった。髪はぼさぼさで、俯いたまま、顔を手で覆い隠しながら歩いているのである。

「ありゃ泣いてるな。めんどくさ」

 ギルが小声でぼそりと(こぼ)す。

 ノラはこちらに気付いたようで、赤く()らした目を(そで)で拭い、涙なんてものは一切なかったかのような素振りで平謝りした。

「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 今までお待たせしてしまって……」

 アズはノラの着衣の乱れに気づいた。(えり)がはだけて(あざ)が見えている。根本(こんぽん)を絶たなかったために再び浮かび出てきたのだろう。

「ちょっと顔洗って来ますね」

 指摘する間もなく、ノラはそそくさと家の軒先を通りすぎて行ってしまう。

「今、その(くさむら)から、男がずっとこっちを睨んでたけど……」

 ギルが指差し、言うか言わないかのうちに、ノラの後を追うように、一人の青年が駆けていった。


 その数分後、聞こえてきた悲鳴に、アズとギルは肝を冷やすことになる。



 ◆

 長湯しすぎたかな、とお湯から上がると、

「きゃああああっ!」

 湯気の合間から悲鳴が聞こえた。声の先に、へたり込んだ女性らしき曖昧なシルエットが浮かんでいた。

「魔性が!」

 しまった、とグレイスは思った。誰もいないとは言っても、誰も入れない訳ではなかったのに、注意していなかった。すっかり包帯もほどいてしまったので、今は魔性にしか見えないだろう。

「ノラ! 大丈夫か!」

 知らない男の声だ。彼はノラに駆け寄って、抱きすくめる。

「エディ!? どうしてこんなとこ」

 言いかけて、ノラが何かに気づいて叫ぶ。

「グレイスちゃんがまだ中にいるわ! 助けなきゃ……」

 脱いだ衣服は畳んで置いてあった。それを見つけたらしい。ノラは床に手を付いて立ち上がろうとしたが、足に力が入らないようですぐにへたり込んでしまった。

 先程ノラはグレイスの姿を見て、悲鳴をあげ、腰を抜かした。やっぱり外見なのだ。小さな女の子なら可愛がるくせに、魔性の姿なら恐れおののく。こんな姿誰にも見せられやしない。

「わかった」

 グレイスに向かってきたのは、やはり見慣れない男だった。魔性とはいえ、年頃の娘が肌を晒しているというのに、彼はがくがくと震えながら刃物をグレイスに向ける。

「魔性め……! 観念しろ!」

 二人はしばらく睨みあったまま身動きしなかった。

 逃げ出そうか。逃げたらきっと戻って来られなくなる。アズに見つけてもらえるかすら判らない。

 それでも、ここで彼を傷付けてしまったら、たぶん、アズはグレイスに失望する。嫌われるくらいなら、二度と会えないほうがマシかもしれない。どうせ会えなくなるなら、このまま殺されてしまおうか。アズは優しいから、悲しんでくれるだろう。

 ずっと一緒にいられるとは思っていなかったけれど、こんなに早くお別れが来るとは微塵(みじん)も考えていなかった。

 切っ先が向けられているのに、もはや他人事のようで、逃げる気すら失せてしまった。

 傷付いたのは左の前肢(まえあし)だった。痛みより先に、じん、と熱が広がる。体液が飛び散って、男の顔にかかる。男はそれを袖口でざっと拭って、もう一度、今度は肩の近くに斬り付けた。まったく反撃の気配のないグレイスに、余裕の表情を見せる。

「はっ、なんだ、見かけばかりで大したことないじゃないか」

 痛い。熱い。

 体に力が入らない。グレイスは前肢を庇って(うずくま)る。

 痛くて頭に血が昇る。

 こんなのは嫌だ。馬鹿にしないで。――あたしが何をしたっていうのよ。

 グレイスの中で、魔力が沸騰しそうになる。さっきまで死ぬことすら考えていたはずなのに、本能的に、この痛みの根源を、目の前のこの男を、絞め殺して、この世から消してしまおうと、狙いを定めた――その時。

「グレイス!」

 彼女には、その声の主が救世主に見えた。

 グレイスと男の間に、彼は割って入る。向かい合う。目は逸らさない。茶色の瞳が優しく笑った。

 ――わかってくれた。

「ここは任せてください。彼女を連れて外へ」


 ◆

「覗いちゃダメって、言ったのに……」

 グレイスは怒られた。それ以上に、謝られた。

「本当なら、何が何でも見張ってなければいけなかったんだ」

 と。少なくとも、アズはグレイスを信じてくれていた。

「その怪我を治して、さっさと戻ろう」

 アズが手を差し出す。こんな姿でも、見捨てないでくれる。

 グレイスは血の付いた前肢を預けながら、彼を絶対に裏切りたくないと思った。


 治癒はあっという間に終わって、アズは包帯巻きを手伝ってくれた。概ね人型に戻って服を着る辺りまではグレイスが一人でしたのだが、腕はアズに巻いてもらった。自分一人でやるよりも、ずっと素早く綺麗に仕上がった。

「アズ、ありがと……」

 包帯のことだけではない。こうして、助けに来てくれたこと。姿を見ても、同じように手を差し伸べてくれたこと。

 一言では言い表せないくらいの感謝を伝えたくて、グレイスはアズがいるはずの空間に目をやった。目が合うと思ったのに、そこにアズの顔がない。

「へ?」

 彼の体は、傾いで、今まさに倒れるところだった。

「アズ!?」

 本調子じゃないのに、グレイスが怪我をしたせいで、余計な魔力を使わせてしまったのか。

「どうしよう……どうしよう、起きてよ……」

 グレイスがアズの肩を掴んで揺さぶって、頬を叩いて、それでも目を覚まさない。

「いや! アズが死んじゃう!」

 グレイスは泣き出した。


 ◆

 ギルが中に入っていくのを見送って、ノラはエディに微笑んだ。

「今回の治癒魔術師さんは良い人だったのに、気の毒ね……まさか本当に人喰いがいるなんて知らなかったんだもの」

「僕はノラが無事で何よりだよ。彼らもきっと、大丈夫だと思うよ」

「もっと早くに知ってれば、食べてもらえたのに」

「……ノラ?」

「ふふ、なんでもないわ、エディ。無事だと良いわね」


 ◆

「ったく、あいつら、のろけやがって」

「アズが死ぬとこだったのよ? 信じらんない!」

 ノラいわく、彼女を追って来た男はエディといい、ノラの恋人だったらしい。皮膚が治ったと勘違いしたノラは、かねてより望んでいた駆け落ちをしようとした。だが、再び浮かび上がってきた痣を見て、泣いて帰って来たという。

 あれから十五分程度でアズは回復し、動けるようになった。大したことはないとアズは言ったのだか、よほど心配をかけてしまったらしい。念のためもう一泊しようとギルが主張し、翌日までノラ宅に世話になって、その後イコルを発った。

 そして現在、三人は次の町を目指す船上にいた。

「……この馬鹿、何が大丈夫だ」

「魔力は充分だったんだ。魔力の暴走とはいえ死ぬほど使い切る訳でもないし」

「だからって治癒の度に気絶してたら、やってらんないだろ」

「ほんと、死んじゃうと思ったんだからね!」

「次からは、気を付けるよ」

 元々傷の治癒は苦手ではあったが、普段の落ち着いた状況なら気絶するほど酷くはないのだが。

「にしても無事で良かったなァ。出たって聞ィたぞ。本物の人喰いが。なんでも、でっけェ蜘蛛の姿だと」

 もう船頭の耳にまで入ったらしい。早いものだ。

「あ、雨!」

 空を仰ぐと、ちょうど頬が微かに濡れた。

「ウィトが見えてきたな。もうすぐだ」

 本当に運がイイんだな、と船頭が笑った。


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