途中下船‐3
アズが診たのは、なんとも面倒臭い患者だった。
「なんだ、まだ少し痛むぞ! さてはお前、手を抜きおったな!」
がなりたてる声に、アズは思わず身が竦めた。争い事も、怒鳴り声も嫌いだ。嫌なことばかりが思い出される。
「後は自己回復を待つと、さっき説明しましたよね……?」
対応も、笑顔が引き攣りそうになる。
柔らかな敷物の敷き詰められた寝室で、ベッドに腰掛けた白髪混じりの男が、アズと対面して顔を顰めていた。足の病で、歩くことのままならない状態から、自力で動き回れる程度には回復したはずなのだが、それだけでは不満だったらしい。
治癒魔術師の死を防ぐためだけではなく、患者の自己回復力を損なわないためにも、原則として治癒は最低限であるべきだというのが、治癒の常識である。ところが、魔術の理論を知らない一般人にいくらそれを説明しても、全く理解されないことが少なくない。
「だから、あれだけの金を払ってやると言っているだろうが。まだ足りないのか?」
今回の依頼主が正にそのパターンだった。
「……魔力に頼って回復しすぎると、かえって寿命が縮むんですよ」
「意味が分からん。魔力は生命力だと言うじゃないか。治せば治すほど元気になるはずだろう」
生命力が許容量を超えた状態が続くと、生命力の回復能力が衰えてしまうのだ。
そんなことを説明しても、聞く耳を持っていないようだが。仕方ない、と呟いてアズは折れた。
「……では治しましょう。ただし、絶対に今日は疲れきるまで運動してもらいます」
そう宣言して、アズは魔術の準備に取りかかった。最大級の譲歩だった。
◆
嫌がる依頼人を、屋敷の使用人をお共に無理矢理走りに行かせ、アズは自分の仕事を終えた。後はどんなに怠けて寿命を縮めようと責任を負い切れない。無駄な神経と体力を使ったので報酬を倍にしてもらいたいくらいだが、腕が悪いと難癖を付けられ、減額されてしまった。なんとも理不尽な話である。
「さて、戻るか」
その報酬の入った封筒を小さな鞄に丸めて突っ込み、凝った肩を叩いて解す。屋敷を後にし、土を踏み固めた道をゆっくりとした歩調で、周りの景色を眺めながら歩き出した。小さな村だが、船旅の休憩地点としてそこそこ潤っているのだろう。豪華さはないが、わりと頑健そうな家屋が目立つ。
「あ、あの!」
一つ目の角を曲がりかけたところで、後方からの声がアズを呼び止めた。
「治癒魔術師の方ですよね?」
声の主は、褐色のおさげの少女で、深緑の瞳はまっすぐにアズを見上げていた。
「私と一緒に来てくれませんか。家族の病気を治してほしいのです」
「ちょっと、待った。それは、どういう……?」
病状によっては、連続で魔術を行使するのは非常にまずい。ただでさえ一人目を全快にしてしまったのだ。
「家族の病気を治してもらいたくて、ずっとここで待っていたのです。生まれつきの肌の病で……見た目が悪いというだけで魔性扱いされるなんて、もう嫌で……報酬はあまり出せませんが、私にできることならなんでもします! どうか、私たちの集落まで来てください」
少女は懇願する。
きっと、それなりに事態は深刻なのだろう。いくら生命の危機に陥れども、治癒魔術師としての本分は『治せる限り力を尽くすこと』である。幸いアズにはまだ余力があるから、放って置くわけにもいくまい。
その上、彼女の話が彼の心に引っ掛かった。アートには、彼女の「家族」と同様に、事実無根のレッテルを貼られ疎外された過去がある。同じ村人に仲間と認めてもらえないのなら、さぞ辛いだろう。自分に救えるなら救いたい。
「わかった。ただ……」
話によると、どうやら彼女はイコルの人間ではなかったようで、彼女は少しでも早く彼を連れて帰りたいらしく、「こっちです!」と、来た道を振り返ろうとする。
「兄と妹が同行してるんだ。何も言わず一人で行くわけには……」
気の急く彼女を宥め、『兄と妹』の了承を得るべく、アズと少女は道を急いだ。
◆
「こんにちは」
アズと共に女性が現れて、思わずグレイスはギルの陰に隠れた。ギルは愛想よい挨拶を返したが、グレイスはやっぱり知らない人間との接触が苦手だ。
「あら、どちらもあまり似ていないのですね」
二人と顔を合わせて彼女は言った。
「あ、失礼でしたね。すみません」
彼女はすぐに口元を手で押さえ謝ったが、実兄のギルはともかく、グレイスはまったくの他人なのだから似ていなくて当然なのだが。
「私は、ノラと申します。よろしくお願いいたしますね」
「いえ、こちらこそ! 兄のギルです」
前に出て握手を求めるギルに釣られて、グレイスも彼女との距離を縮めた。近づいたグレイスを捕まえて、アズがノラに紹介する。
「それから、妹のグレイス」
アズに妹にされた。だから、わざわざ「似ていない」と言われたのか。勘違いされては困る、とグレイスは否認する。
「違うよ! 妹じゃないもん。あたし、奥さんになるんだもん」
ノラはグレイスの言葉を聞いて微笑ましそうに言う。
「お兄さんが好きなのね」
勘違いされたまま笑われたグレイスは、じっとりと恨みがましい目でノラとアズを交互に見比べた。
「アズに何の用なの」
「家族の治癒を依頼したいの。あの肌さえ治してもらえれば、外見で魔性扱いされることもなくなるのよ」
グレイスの中のノラの印象はさらに悪くなった。魔性を何だと思っているのだろう。理由なく決して悪さをしない、おとなしい種族が大部分を占めるというのに。
「別に命に関わる病気じゃないんでしょ。見た目ばっかり気にしちゃって、馬鹿みたい! なんでこんな依頼なんか受けるの?」
すごくいらいらする。ノラは、魔性を排除するのが当たり前だと思っている。それが世の中の常識で、こんな人間ばかりだから、グレイスもアズも本当の姿を隠してひっそりと生きなければならないのだ。
「グレイス」
アズの声だ。グレイスは自分の名を呼ぶ彼の声が好きだ。大好きだった父に似た柔らかく落ち着いた声色に、心が凪ぐ。
「できるなら、誰にも辛い思いをしてほしくないだけなんだ」
そういえば、ギルから聞いた話では、以前彼は『魔性の子』だと思われていたのではなかったか。グレイスには当時のアズの感情は解らないけれど、グレイスなら仲間外れは嫌だ。
「……わかった、けど」
「ごめんなさい、そういうつもりじゃ」
ノラは、グレイスの包帯姿を気にしたようだった。魔性のようだと言われて機嫌を損ねたと思ったらしい。
「偏見があるのは外で、集落はいい人ばかりなのよ。きっと包帯なんかなくても避ける人は誰もいないわ。だから、一度来てほしいの」
グレイスは病ではない。治らない。何も変わらない。正体が知れたら、きっと恐れられる。
それでも、その気持ちがなんだか嬉しかった。