途中下船‐2
船頭の厚意で、部屋の一つを借りられることになったのだが、その船頭の家を前にして一悶着あった。
「なんでダメなの! あたしも行きたい!」
アズの手をグレイスが両手で引っ張り、ぶらんぶらんと揺する。同時に灰色の二つ結びにされた髪の毛も、地面を掠めてうねっている。
「……グレイスちゃん、聞き分けなって。アートは病人とこに行くんだから」
アズが一人で依頼先に行こうとするので、グレイスは駄々を捏ねていた。ギルが宥めようとしていたが、グレイスの気は収まらないようだ。
「アズの浮気者っ!」
「いや、だから結婚したわけじゃないって」
オニテュにいた時点で、その認識は誤解であると確かに説明したはずなのだが、聴いていなかったのだろうか。そもそも、病人に会うことは浮気とは言わない。
「良いもんね良いもんね、ギルと結婚しちゃうから!」
今度はギルの腕にしがみつき、アズにあかんべえをして見せる。
「……僕の意思は?」
傍らのグレイスに対し、ギルが嘆息した。その様子を端から見ていたアズは、にこりと笑う。
「二人ともおめでとう。じゃあ、また後で。グレイスをよろしく」
そして、グレイスがまた喚き出す前に、その場を立ち去るのだった。
◆
三人のためにあてがわれたのは、今はオニテュで修行中だという船頭の息子たちの寝室だった。部屋は北西の角に面しており、ベッドは三台並んでいる。しばらく使用していなかったベッドは多少埃っぽいが、掃除は頻繁に行われているようで、使えないほどではない。
家主である船頭は、半年ぶりの帰郷だと言って、妻と連れ立って出掛けていった。村を挨拶して回るらしい。開け放した部屋の窓からも、彼らが家から家へ移動しているのが見えた。
壁際に荷物を降ろし、ギルはグレイスを振り返る。
「グレイスちゃん? ちょっと意見を聞きたいんだ」
「なあに?」
さっそく真ん中に陣取ってベッドに腰を下ろしたグレイスは、顔を上げギルを見遣った。
「アートのことでね。似た境遇の君なら、何かわかるんじゃないかと思って」
「アズの?」
アズのことと知ると、グレイスは目を輝かせて身を乗り出す。
「……ごめん、あんまり楽しい話じゃなくて。七年前の、アートが僕の身代わりになった話なんだ」
「……どういうこと?」
怪訝そうに聞き返す。
「僕は落ちこぼれで、アートは優秀。それなのに、アートは生け贄になった。本当なら、アートが跡を継ぐはずだろう」
ギルは俯いて、唇をぎゅっと閉じた。
◆
当時、ギルはいわゆる悪ガキであった。勉強はからっきしだが喧嘩は得意で、まるきり争いの苦手なアートに代わっていじめっ子を蹴散らし、最終的に悪ガキの頂点に立っていた。一方のアートは対極で、「魔性の子」の噂さえなければ、間違いなく優等生であった。
七年前のある日、魔性が村人を襲い、要求したのは『人間の子供』だった。
ちょうどその頃、収まりかけていた「魔性の子」問題が再び悪化し、アートは孤立していた。そのままアートは当然の如く流れるような素早さで生け贄に決まってしまった。
ギルは、いつもアートを庇い助けて来たが、今回ばかりは何もしようとしなかった。アートを庇えば、自分に被害が及ぶ気がしたのだ。もやもやした気持ちを抱えたまま、ギルはアートを見捨てた。
その後、アートが自ら生け贄として名乗り出た事実を知って、ギルは驚き、後悔した。アートは、ギルの身代わりを買って出ていたのだ。
その二年後、エラータが村から町になってまもなく、近隣の森でアートらしき少年を目撃したと耳にした。ギルはいても立ってもいられず、連日アートを探しに森へ入った。生きていて欲しかった。
だが、姿の変わった彼を発見したときには、ギルは素直に喜べなかった。あんなに必死に探したのは、アートを想っての行動ではなく、自分の選択は間違っていなかったと思いたかっただけだったのかもしれない。
ギルに「帰ろう」と言われた彼は嫌がって抵抗した。ギルは生まれて初めてアートに殴られ、物理的な痛みは弱かったものの精神的にかなり堪えた。
それでも、無理矢理説得して家に連れ帰ったが、長くは持たず、二月経たずに姿を眩ましてしまった。
何も言わずにいなくなってしまった。唯一残されたギルに宛てた書き置きは、間違いなくアートの筆跡だった。
『ごめん。ここでは暮らせない。旅に出ます』
◆
「きっとアートは僕を恨んでるよね?」
「そお? 嫌いなら身代わりになんかならないわ」
グレイスは思う。
「エラータを出てって以来、顔も出しに来ないし」
「会いにくかっただけかもしれないじゃない」
「『アートは、もういない』なんて、酷いことを言うし」
グレイスは、繰り返されるギルのネガティブ発言にうんざりして溜め息を吐いた。
「……それは、事実でしょ。アズの中には二人いるの」
「アートが元通りのアートじゃないのは解ってる――けど、アートは僕の弟なんだ」
ギルは、弟をいないことにされたのが許せなかったのだろうか。なんとなくだが、グレイスには、アズがギルを避ける理由に心当たりがある。
「たぶん、アズも不安だと思うの……あたしもそうだわ。魔性だと言われて、大好きな家族に嫌われたくないもの」
現に、グレイスは長いことトトナに帰れなかった。魔性とは、人間にとって『害悪』だったのだから。
「……そうだね、確かにあの町では落ち着けなかったかも」
「そもそも、嫌いな人に同行して旅なんかしたいと思う? あたしなら、お金積まれて拝まれたって絶対にお断りだわ!」
グレイスは、つんとすまして胸を張ってみせる。ギルがその様子を見て、失礼なことに、噴き出して笑った。でも、元気になってくれたから、大目に見てやるのだ。
残念ながら、グレイスの家族はもういない。いたとしても、受け入れてはくれないだろう。自分のことを考えてくれる家族がいるアズが羨ましい。
「良いなあ。あたしも家族、ほしいなあ」
「あれ、僕と結婚して家族になるんじゃなかったの?」
真面目に話しているのに、先程勢いで言ったことををギルが蒸し返す。アズが恨みを持っていないと思った途端に都合良く元気になりすぎている。
「……あたしそんなの知らないもん!」
グレイスは耳まで真っ赤になって、文字通り毛を逆立てた。




