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SWitch  作者: 夏岸希菜子
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蜘蛛の巣‐1

 アズは困った。

 腕や顔が傷だらけなのは決して争いごとが好きだからではない。村に入る少し手前で怪我をした猫を見つけ、手当てしようとして引っ掛かれたせいだ。左目を眼帯で覆っているのは歴戦の古傷を隠すためなどではない。確かに、人には見せたくないものだから隠しているが、傷などないのだ。

 第一、アズは治癒系統の魔術しか使えないし、刃物も大の苦手だ。


 一体どこからそういう話になったのだろう。

 宿の一室。アズの前にはトトナ村の長がいて、事情を説明し続けていた。

「このままでは村の存続に関わるのです」

「はあ……」

 村民たちの目には、アズが血気盛んな青年に見えたらしいのだ。

 泊まろうとした宿には村長が直々にやって来て、魔性(ましょう)――人間以外の魔術を使う生物のことだ。一般的に、人間は魔性に対して良い印象を抱いていない――の退治を依頼してきたのである。

 村長の話を聞くところに因ると、村から程近い森の中に魔性がいて、森に出掛けた村人が次々に失踪しているらしい。そこで、村で大枚を叩いて魔性退治の募集広告を出したのだが、退治のために現れた屈強な男たちも戻って来ないのだと言う。それが、約三ヶ月前の話。つい一昨日には、村の若者で隊を組んで討伐に出掛けたが、やはり帰って来ていない。

 アズは思った。これをまともに請け負ったら死ぬ。屈強な男でも、複数でも駄目だったのだ。力自慢ですらないアズが一人行ったところで、退治は不可能だ。

 しかし、トトナの村長は、これが最後の望みとでも言いた気だった。断わっても断わっても食い下がり泣き付くのだ。良い年をした男があまりにも本気で泣くので、アズは若干引いていた。しかし、ここまでされては無碍(むげ)にできないではないか。だが、村長のあの話を聞いて退治をしようと思うのはただの無謀というものだ。

 という訳で、アズは困っていた。

 退治はできない。だが、説得くらいならできるかもしれない。意外と知られていないことだが、魔性が人間に危害を加える時には、大抵人間側に理由がある。単に肉食なだけのこともあるが、通常、何の理由もなく人を襲うことはないのだ。

 アズが最初に出会った魔性もそうだった。彼女は怒っていた。そして、悲しんでいた。息子が人間の放った矢で傷付き、生死の境をさまよっていたのだ。彼女は暴れ、アズの暮らしていた村を襲った。当時、幼かった彼は彼女の出した条件を飲むことしかできなかった。恐ろしかった。だが、条件さえ飲めば村を救うことができるのだと、自分に言い聞かせた。すると彼女は、条件を飲んだ彼を傷付けたりはしなかった。それどころか、村に戻れなくなったアズに、彼女は「あなたは私の子よ」と言いしばらくの間面倒を見てくれたのだった。

 そんな過去のおかげで、アズは魔性に対してあまり悪い印象を持っていなかった。魔性を一概に悪と決めつけている人間のほうがむしろ嫌いだった。そんなことを言えば異端視されるのがオチだから黙っておくが。

「ですから村としましても魔性を退治して下さったあかつきには、報酬は差し上げますし――」

 トトナ村長は涙ぐみ、土下座した。

「この通りです!」

「さっきから言ってますけど退治なんてできません。顔を上げてください」

「そこをなんとか――ッ」

 こんな会話も本日十回目になる。毎度の如く平伏されると、アズは何だか悪いことでもしているような気がしてくるのだった。

 それでつい、言ってしまった。

「わかりました」

 口が滑った。

 まずい、と思ったときにはもう遅かった。

 眼前に、涙に濡れた中年男の顔が迫る。本人には失礼だが、はっきり言って目の毒だ。

「あああありがとうございます恩に着ます!」

「ですが――」

 退治ではなく説得で良いか、尋ねようとして言葉を切られた。

「では早速準備をば!」

 トトナの村長は足早に去って行く。何を準備する気なのか。防具はともかく、剣は論外だ。アズは飽くまで説得に行くのだから。

 面倒なことになった。トトナ村長の暴走からすっかり置いてけぼりのアズは嘆息した。


 ◆

 村長から教えられた道に沿って、トトナ村から歩くこと十五分。

 徒歩十五分とはいえ森の中だ。切り倒された木が数本あり、切り株が残っている。そこに、彼女は座っていた。

 小さな女の子だ。年は十二、三歳だろうか。灰色の、長い髪は二つにくくってある。服装はぼろぼろで薄汚れていて、なにより目に付いたのはその肌を覆い尽す程に巻かれた包帯だった。指先から足元まででは飽き足らず、顔にまで包帯が巻いてある。あまりにも奇妙な格好だった。

 ……本当に怪我だろうか。

 少女は近付いてきたアズに気付き、顔を上げた。包帯で隠された肌の隙間から、青く丸い目がアズを見つめていた。

「あなた、だれ?」

 アズが名乗ると、少女は自分の名はグレイスだと応えた。

「グレイスと呼んでね」

 どうしてかはわからないが、彼女はどこか哀しそうに見えた。

「グレイス――どうしてこんな所に? この周辺に魔性がいるらしいって聞いたけど」

 アズは怪訝に思い、聞いた。

「あたしね、あそこにある小屋に住んでるの」

 すると彼女は体を捻って背後の森を指差す。目を凝らせば、確かに木で出来た小さな建物があるようだった。

「もうしばらく前なんだけど、魔性の怒りをおさめるためにって、あたしが供物(くもつ)になったの。それからずーっとあそこで暮らしてるのよ」

 そんな話は聞かなかった。あの村長はわざわざこのことを隠していたのだろうか。どうせすぐにバレるというのに。

 グレイスがぴょんと跳ねて立ち上がる。彼女の髪は、起立してなお引きずりそうな程に長かった。

「あたし、久しぶりのお客様で嬉しいの。ねえアズ、少しお茶してってちょうだい! 魔性のことも、あたし詳しく教えられるわ」

 グレイスがアズの腕に体重を掛けて引っ張る。ずっと一人きりで寂しかったのかもしれない。彼女は少しはしゃいでいた。

 まあ、少し話し相手をするくらいなら良いだろう。

 アズは少女についていくことにした。


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