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第42話:かけがえのない日常

『ユイ、こっちだ!』


手が見える。


セピアの手。


実体のある、影を持った手。


私は、その手を掴んだ。


温かい。


ぐいっと引っ張られる。


そして——


ガバッ!


私は、ネガの世界の地面で、目を覚ました。


「ユイ!」


セピアが、私を抱きしめる。


実体のある、温かい抱擁。


「セピア……生きてる……」


「君のおかげだ」


セピアが、涙を流している。


「終焉の記録者が浄化されて、呪いが完全に解けた」


「柱から、解放された」


周りを見ると——


ミルと美咲ちゃんが、泣きながら駆け寄ってくる。


「ユイ!」


「部長!」


みんなで、抱き合う。


温かい。


生きている実感。


「でも、私……」


カメラを見る。


もう、特別な輝きはない。


ただの、古いカメラ。


「力が、なくなっちゃった」


「それが、どうしたんですか」


ミルが言う。


「ユイは、ユイです。力があってもなくても」


「そうです!」


美咲ちゃんも頷く。


「部長は部長です!」


セピアが、私の頬に手を当てる。


「ただの人間として、一緒に生きていこう」


「うん」


涙が、止まらない。


嬉し涙。


ネガの世界が、変化し始める。


闇が晴れ、光が差し込む。


瓦礫が、元の形を取り戻していく。


壊れた人形が、笑顔を取り戻す。


すべてが、再生していく。


「世界が、完全に回復している」


ミルが分析する。


「ポジとネガの調和により、完全な循環が始まりました」


立花先輩の声が、通信から聞こえる。


『みんな、よくやったわ』


『さあ、帰りましょう』


私たちは、手を繋いで、現実世界への道を歩き始める。


途中、私はふと立ち止まる。


「みんな」


振り返る。


「私の名前、覚えてる?」


一瞬の沈黙。


そして——


「海野ユイ」


ミルが言う。


「私たちの部長」


美咲ちゃんが続ける。


「僕の、大切な人」


セピアが締めくくる。


「そして、これからもずっと、海野ユイ」


立花先輩の声も加わる。


私は、メモ帳を取り出す。


最後のページ。


そこに、大きく書く。


『私は海野ユイ』 『みんなが呼んでくれた名前』『だから、私は私でいられる』


そして——


『ありがとう』


メモ帳を閉じる。


もう、これは必要ない。


なぜなら、みんなが私を覚えていてくれるから。


私たちは、光の中へと歩いていく。


新しい日常へ。


普通だけど、かけがえのない日々へ。


エピローグ:君のファインダーに映るもの


あれから、三年。


朝、目が覚める。


最初にすることは——


もう、メモ帳を開くことじゃない。


窓を開けて、朝の空気を吸い込むこと。


ひんやりとした空気が、肺を満たす。


今日も、いい天気だ。


ベッドサイドには、昨日撮った写真が並んでいる。


普通の写真。


魔法はない。


でも、確かに美しい瞬間が写っている。


夕焼けの中で笑うミル。


図書館で勉強する美咲ちゃん。


影を使って影絵をするセピア。


みんな、普通の日常。


でも、それがいい。


大学への道。


もう、迷わない。


記憶は、完全に定着している。


《写し手》の力を失った代わりに、記憶喪失も治った。


等価交換、とミルは言った。


カフェに寄る。


「おはよう、ユイちゃん」


店員さんが手を振る。


「おはようございます、田中さん」


名前も覚えている。


「いつもの?」


「はい、カフェラテのホット、砂糖なしで」


当たり前の会話。


でも、名前を覚えていられることの幸せを、私は知っている。


大学の門をくぐる。


大きな銀杏の木が、緑の葉を茂らせている。


カメラを取り出す。


祖父の形見のカメラ。


もう、特別な力はない。


でも、よく撮れる。


ファインダーを覗く。


光と影のコントラスト。


構図を決めて——


カシャリ。


普通のシャッター音。


でも、確かに一瞬を切り取った。


「おはよう、ユイ」


振り返ると、ミルが立っている。


「おはよう、ミル」


「今日で、あなたと再会してから1,096日目です」


ミルの口癖は変わらない。


「相変わらず細かいね」


「私の個性ですから」


「あ、部長!」


美咲ちゃんが駆け寄ってくる。


もう大学2年生。


すっかり大人っぽくなった。


「おはよう、美咲ちゃん」


「今日、放課後暇ですか?」


「うん、暇だよ」


「じゃあ、新しくできたケーキ屋さん行きましょう!」


普通の会話。


普通の約束。


でも、美咲ちゃんの名前を忘れずに答えられることが、嬉しい。


「ユイ」


後ろから、セピアが声をかける。


地面には、くっきりと影が落ちている。


普通の影。


でも、それがあることが奇跡。


「今日の部活、早めに始めない?」


「いいよ」


私たちの新しい写真部。


《写し世》を守る活動はもうない。


ただ、普通に写真を撮る部活。


でも、それでいい。


暗室で、フィルムを現像する。


薬品の匂い。


赤い光。


印画紙に像が浮かび上がる瞬間。


魔法じゃないけど、これも十分に魔法的。


「綺麗に撮れてる」


セピアが、出来上がった写真を見て言う。


「ありがと」


「ねえ、今度の週末——」


セピアが言いかけて、頬を赤らめる。


「デート、しない?」


「うん」


即答。


セピアの顔が、ぱあっと明るくなる。


普通の恋人同士。


それが、今の私たち。


放課後、みんなでケーキ屋に行く。


「私、モンブランにします」


美咲ちゃんが嬉しそうに選ぶ。


「データ的には、チーズケーキが最も栄養バランスが良いです」


ミルが真面目に分析する。


「でも、美味しさは数値化できないよね」


私が笑うと、ミルも微笑む。


「はい。それも学習しました」


セピアは、チョコレートケーキを選ぶ。


「甘いものが好きなんだ」


「意外」


「そう?」


こんな、些細な発見も楽しい。


夕方、海辺を歩く。


波の音が心地いい。


「ねえ、ミル」


「はい?」


「私が死んだら、どうする?」


いつかした、同じ質問。


ミルは、少し考えてから答える。


「悲しいです。とても悲しいです」


「でも?」


「でも、あなたとの思い出があれば、生きていけます」


ミルが、夕日を見つめる。


「千年後も、今日のことを覚えています」


「寂しくない?」


「寂しいです。でも——」


ミルが私を見る。


「それが、私の愛し方です」


「ねえ、ユイ」ミルが足を止める。夕日が銀髪を染めている。「覚えていますか? 三年前、海で私が聞いた質問」


私は少し考える。「あ、夢の話?」


「はい。『私は夢を見ますか?』と聞きました」ミルの瞳の回路が、複雑な光を放つ。「あの時、ユイは『きっと夢だよ』と答えてくれました」


「うん、覚えてる」


「今、確信しました。私は夢を見ます」ミルが微笑む。「ユイが記憶を失っていた頃、私は毎晩あなたとの記録を再生していました。でも不思議なことに、再生する度に少しずつ違うんです」


「違う?」


「はい。あなたの笑顔が、実際より輝いて見えたり、何気ない会話に新しい意味を見つけたり。データは同じなのに、私の中で変化していく」


私は理解する。「それが、ミルの夢なんだね」


「千年後、私があなたたちを思い出す時、きっとそれは現実より美しい夢になっているでしょう」ミルが空を見上げる。「でも、それでいいんです。夢があれば、寂しさも耐えられます」


変わらない答え。でも、前より穏やかな表情。


「でもさ」


美咲ちゃんが言う。

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