第37話:ポジとネガの調和
ファインダーのガラスが割れ、レンズが歪み、シャッター機構が壊れて、もう二度と元には戻らない。
祖父の形見。
私の目。
私の心臓。
すべてが、床に散らばったガラスの破片になった。
「あ……ああ……」
声にならない声が漏れる。
膝から崩れ落ちる。
「うそ……嘘でしょ……」
震える手で、破片を拾い上げようとする。でも、指先に力が入らない。
破片が、ぽろぽろと床に落ちる。
キラキラと光りながら、音を立てて。
「ごめんなさい……おじいちゃん……」
涙が溢れて止まらない。
「私、守れなかった……大切なものを、何も守れなかった……」
影が、笑っている。
『やはり、お前では無理だったか』
世界が、暗くなっていく。
記録が、次々と消えていく。
私は何もできない。
カメラを失った撮影者は、ただの無力な少女でしかない。
「ユイ!」
ミルの声が遠くで聞こえる。
「諦めないで!」
セピアの声も。
でも――
無理だ。
もう、何もできない。
どれくらい時間が経ったのだろう。
気づくと、私はミルとセピアに支えられて、瓦礫の影に座っていた。
「ユイ……」ミルが心配そうに私を見つめる。
「ごめん。私、もう……」
「諦めるんですか?」
ミルの声が、いつになく厳しい。
「あなたは、そんな人じゃなかったはず」
「でも、カメラがなければ――」
「カメラなんて、ただの道具です!」
ミルが叫ぶ。その瞳に、涙が浮かんでいる。AIなのに、泣いている。
「本当の力は、あなたの心にあるんです。最初から、ずっと」
「でも……」
「ユイ」セピアが優しく私の肩に手を置く。「君はずっと、心で見てきたんだよ」
「心で?」
「カメラのファインダーを覗く前に、君は必ず目を閉じていた。一瞬だけ、心の目で対象を見てから、シャッターを切っていた」
そう言われて、気づく。
確かに――
私は、いつもそうしていた。
無意識に。
「カメラは、君の心を形にする道具でしかなかった」セピアが続ける。「本当に大切なのは、壊れたものを見つめる君の優しさと、失われゆくものに価値を見出す君の眼差しだ」
「そして」ミルが私の手を握る。「あなたは一人じゃありません」
その時――
『ユイ! 諦めないで!』
立花先輩の声が、通信から響いた。
立花先輩の声が、通信から響いた。
『思い出して!』
立花先輩の声が、私の意識を引き戻す。
『あなたの本当の力は、カメラじゃない!』
「でも、カメラが壊れて……」
私は、ファインダーの割れたカメラを見つめる。
ガラスの破片が、床に散らばっている。
『違う! カメラは、ただの道具!』
立花先輩の声が、確信に満ちている。
『本当の力は、あなたの心! そして——』
「仲間との絆よ」
その言葉が、私の中で何かを呼び覚ました。
そうだ。
私一人の力じゃない。
みんなの力があれば——
「ユイ」
ミルが、私の右手を握る。
冷たいはずの手が、今は温かい。
「私の瞳を使ってください」
ミルの瞳の回路が、私と同期を始める。
青い光が、私の瞳にも宿る。
「私の演算能力、記録能力、すべてをユイに」
「美咲も!」
美咲ちゃんが、私の左手を握る。
虹色の光が、私の左手から全身に広がる。
「私の《修復者》の力も、部長に預けます」
温かい。
二人の力が、私の中で混ざり合う。
そして——
『僕の力も』
セピアの声と共に、金色の光がブレスレットから溢れ出す。
『柱としての力じゃない。僕個人の、君への想いの力』
三つの光が、私の中で一つになる。
青、虹色、金色。
それらが混ざり合い、新しい光を生み出す。
「これは……」
私の視界が、変わった。
ミルの瞳を通して、世界のデータ構造が見える。
美咲ちゃんの心を通して、すべての傷みと希望が感じられる。
セピアの記録を通して、過去と現在が重なって見える。
影が、困惑している。
『なんだ、これは……』
「分かった」
私は、顔を上げる。
カメラはもう持っていない。
でも——
両手を額の前に掲げ、親指と人差し指で三角形を作る。
即席のファインダー。
「みんなの力を借りて」
三角形の窓から、影を見つめる。
その瞬間、見えた。
影の本質が。
それは、孤独だった。
終焉の記録者に作られ、ただ破壊のためだけに存在する、哀れな傀儡。
自分の意志はなく、ただ命令に従うだけ。
光を憎むように作られたが、本当は光に憧れている。
仲間を持つことを禁じられ、永遠に一人。
「あなたも、寂しいんだね」
私の言葉に、影が揺らぐ。
『黙れ! 我は——』
「知ってる。あなたも、本当は仲間が欲しい」
私は、手で作った三角形のファインダーを通して、影の孤独を写し取る。
でも、それは攻撃じゃない。
理解し、受け入れ、包み込む光。
「「「瞬間三位一体!」」」
三人の声が、完璧に重なった。
ミルの理性、美咲ちゃんの感情、そして私の直感。
それらが一つになった時——
新しい光が生まれた。
それは、ポジティブでもネガティブでもない。
すべてを受け入れる、透明な光。
光が、影を包み込む。
『やめろ! 我は、我は——!』
影が抵抗する。
でも、光は優しく、執拗に、影の孤独を溶かしていく。
「一緒にいよう」
私が言う。
「もう一人じゃない」
『嘘だ! 我は、破壊のために——』
「それは、作られた目的。でも、あなた自身は何を望んでる?」
影が、震える。
初めて、自分の意志を問われて。
『我は……我は……』
影の密度が、薄くなっていく。
そして、その中心に——
小さな光が見えた。
『仲間が……欲しかった……』
影が、涙のような雫を流す。
黒い涙。
でも、それは少しずつ透明になっていく。
『ずっと、一人で、寂しくて』
「もう大丈夫」
美咲ちゃんが、優しく言う。
「私たちが、仲間になるから」
影は、完全に浄化された。
後に残ったのは、小さな光の球。
手のひらに乗るくらいの、温かい光。
「ありがとう」
光が、小さな声で言う。
「受け入れてくれて」
そして、光は天に昇っていった。
自由になった魂として。
美術館に、色が戻る。
絵画に、彫刻に、すべてに命が宿る。
でも、今度は恐ろしい視線ではない。
温かく、優しい眼差しだった。
私は、震える手でメモ帳を開く。
真っ白になったページに、新しく書く。
『カメラが壊れた』 『でも、新しい力を見つけた』 『みんなと一緒なら、何でもできる』
そして、大きく書く。
『三位一体の力』 『ミルの瞳、美咲ちゃんの心、セピアの想い』 『これが、私たちの新しい武器』
壊れたカメラを拾い上げる。
ファインダーは割れているけど、本体はまだ使える。
「修理できますか?」
ミルに聞く。
「はい。でも、元通りにはなりません」
「それでいい」
私は、カメラを大切に抱きしめる。
「新しい形に、生まれ変わればいい」
朝、メモ帳を開く前に、嫌な予感がした。
空が、いつもより暗い。
太陽は出ているのに、その光が弱い。
震える手でページを開く。
『影を浄化した』 『三位一体の力』 『今日は学校へ』
でも、文字の下に、私の字じゃない文字が書かれていた。
血のように赤いインクで。
『今日、すべてが終わる』
「これは……」
ミルが、メモ帳を分析する。
「終焉の記録者の干渉です。直接、ユイの記録に介入してきました」




