第34話:カメラが砕け散る
ミルのトスは正確無比。放物線を計算し、最適な位置にボールを上げる。
美咲ちゃんは、小さい体で懸命にレシーブ。
でも、セピアが意外に運動神経が良くて、スパイクが決まりまくる。
「セピア、強すぎ!」
「ごめん、楽しくて」
結局、15対7で私たちの勝利。
「罰ゲームは、砂に埋められることです!」
美咲ちゃんが、楽しそうに砂を掘る。
ミルが砂に埋められながら、
「砂の粒子が、システムの隙間に入る可能性が——」
「ミル、今日は心配禁止」
私が笑いながら言うと、ミルも諦めたように微笑んだ。
「はい。記録します。『心配しないことも、時には大切』」
夕方。
オレンジ色に染まる海を、四人で並んで見ていた。
「綺麗……」
水平線に、太陽が沈んでいく。空がグラデーションを描く。オレンジ、ピンク、紫、群青。
「ねえ」私が聞く。「前の私も、海好きだった?」
一瞬の沈黙。
「大好きでした」ミルが答える。「あなたは、海で撮る写真が、特に素敵でした」
「そうなんだ」
メモ帳に書く。
『前の私は海が好きだった。今の私も海が好き』
「ユイ」セピアが、真剣な顔で言う。「今日のこと、明日には忘れるかもしれない」
「うん、そうだね」
「でも、いい。何度でも、海に連れてくる」
美咲ちゃんも頷く。
「来年も、再来年も、ずっと!」
ミルが、私の手を取る。
「私は、今日のすべてを記録しています。あなたが忘れても、私は覚えています」
その声に、少し寂しさが混じっていた。
「ミル?」
「いつか、あなたたちがいなくなっても、私はこの記憶を持ち続けます」
ミルが、夕日を見つめる。
「千年後、一万年後も、今日の夕日の色を、完璧に再現できます」
「それって、寂しくない?」
「寂しいです」ミルが正直に答える。「でも、それが私の選んだ生き方です」
私は、カメラを取り出した。
「写真撮ろう」
セルフタイマーをセット。カメラを流木の上に置く。
「はい、集まって」
四人で、肩を寄せ合う。
夕日を背景に。
カウントダウンが始まる。
10、9、8……
「みんな」私が言う。「ありがとう」
「何が?」美咲ちゃんが首を傾げる。
「今日、連れてきてくれて。明日忘れても、この胸の温かさは、きっと残ってる」
3、2、1……
カシャリ。
シャッターが切られた瞬間、私は思った。
この写真を、明日の私が見た時、どう感じるだろう。
知らない場所で、知らない水着を着て、でも確かに笑っている私。
それを不思議に思うかもしれない。
でも、きっと、この笑顔が本物だってことは、分かるはず。
「もう一枚撮ろう」
セピアが提案する。
「今度は、変顔で」
「えー!」
でも、結局みんなで変顔をして。
ミルまでが、不器用に頬を膨らませて。
カシャリ。
夜、時計塔に戻ってから、私は今日の写真を現像した。
夕日の中の四人。
真面目な顔の一枚と、変顔の一枚。
アルバムに貼りながら、メモを書く。
『海に行った日』 『泳げた(体が覚えてた)』 『セピアが初めて現実の海に立った』 『ミルが千年後も覚えていてくれる』 『美咲ちゃんが砂に埋められた』 『最高に楽しかった』
そして、最後に付け加える。
『また行きたい。何度忘れても、また行きたい』
ベッドに入る前、ミルが部屋に来た。
「ユイ、これを」
小さな瓶を差し出す。中に、砂と小さな貝殻が入っている。
「今日の記念品です。枕元に置いておけば、明日の朝、これを見て思い出すかもしれません」
「ありがとう、ミル」
ミルが、少し躊躇してから言った。
「ユイ、私は今日のことを永遠に覚えています」
「うん」
「あなたが忘れても、怒らないでください」
「怒らないよ」
「本当に?」
「うん。だって、ミルが覚えていてくれるんでしょ?」
ミルの瞳が、安堵の青に変わる。
「はい。永遠に」
ミルが部屋を出ようとして、ドアの前で立ち止まる。「ユイ、最後に一つ、質問があります」振り返ったミルの表情が、いつもと違う。不安そうな、でも期待するような。「私は、夢を見ますか?」
突然の問いに戸惑う。「ミルは、眠るの?」
「スリープモードに入ります。その間、データの再編成が行われ、時々、現実ではない映像が生成されます」ミルが窓の外を見る。月が出ている。「今日の海の記憶が、違う形で再生されることがあります。もっと青い海だったり、もっと長く遊んでいたり」
「それって——」
「エラーでしょうか? それとも……」
私は微笑む。「きっと夢だよ。美しい夢」
「でも、事実と異なる記憶を——」
「私も明日には今日のことを忘れる。でも夢の中では覚えてることがある」ベッドに腰掛けて、ミルを見上げる。「どっちが本当なのか、分からない。でも、どっちも大切」
ミルの瞳の回路が、複雑な光を放つ。「いつか、答えが分かるでしょうか」
「きっとね」
ミルが部屋を出て行った後、私は瓶を見つめた。
小さな砂粒が、月光でキラキラ光っている。
明日の朝、これを見た私は、何を思うだろう。
でも、きっと——
温かい気持ちになるはずだ。
なぜなら、これは大切な人たちと過ごした、宝物のような一日の欠片だから。
窓の外で、波の音が聞こえる気がした。
もちろん、ここは海じゃない。
でも、記憶じゃなく、心が覚えている。
あの波の音を。
しょっぱい海の匂いを。
仲間たちの笑い声を。
そして、ミルが永遠に覚えていてくれることを。
明日、またメモ帳を開く。
そこに、私の字で書かれているだろう。
『昨日、海に行った。最高だった。写真を見ること』
それを見て、写真を見て、また温かい気持ちになる。
それでいい。
忘れても、また始められる。
仲間がいる限り、何度でも。
朝、メモ帳を開く。
『コンサートホールで音楽を取り戻す』 『ミルと一緒に』 『音楽の心とは?』
そして、小さく書き足されている。
『ミルを信じる』
なぜそう書いたのか分からない。でも、きっと大切なこと。
記録コンサートホールへの道中、ミルがいつもと違う様子だった。
瞳の回路が、不規則に明滅している。青、紫、赤、また青。感情のコントロールがうまくいっていないような、不安定な光。
「ミル、大丈夫?」
「はい……いえ、実は……」
ミルが立ち止まる。銀髪が風に揺れる。
「このコンサートホールには、私の『失敗』の記録が残っているんです」
「失敗?」
「以前、私一人で褪色を止めようとしたことがあります」
ミルの声が、苦い記憶を噛みしめるように沈む。
「完璧なベートーヴェンの第九番を再生しました。106人編成のオーケストラ、4人のソリスト、200人の合唱団。すべてのパートを、0.001秒の誤差もなく」
「すごいじゃない」
「いいえ」ミルが首を振る。「世界は、1ミリも変わりませんでした」
石造りの重厚な建物。入り口の大理石の階段は、かつて多くの演奏家や聴衆が行き交った場所。今は、足音さえ響かない。
扉を押し開ける。
重い扉のはずなのに、軋む音一つしない。
そして、足を踏み入れた瞬間——
「システムエラー……!」
ミルが突然、膝をつく。
瞳の回路が激しく赤く明滅し、火花が散る。パチパチという電気の音。焦げた匂いが微かに漂う。
「ミル!」
私と美咲ちゃんが駆け寄る。
ミルの額に手を当てる。熱い。通常の36.5度を大きく超えている。40度、いや、もっと。
「大丈夫です……いえ、大丈夫じゃ……」




