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第31話:影の正体

『セピアは観覧車に乗れない。だから、私たちが目になる』


彼を縛り付ける時計塔。そこからは、限られた景色しか見えない。


観覧車の頂上。それは、彼が決して見ることのできない、世界の風景。


(セピアに、見せてあげたい)


記憶はない。


でも、心の奥から、そんな強い想いが湧き上がってきた。


熱い何かが、胸の中で脈打つ。


「よし、決めた」


私は二人を見る。


「私たち三人で、あの観覧車に乗ろう。そして、そこから見える景色を、セピアに伝えるんだ」


私たちは、色を失った観覧車のゴンドラに乗り込んだ。


扉を開けた瞬間、埃っぽい空気が肺に入る。何年も使われていない物置のような匂い。


ギシリ、と錆びついた金属が悲鳴を上げる。


ゴンドラは、私たちの重さで大きく揺れた。


「大丈夫かな……」美咲ちゃんが不安そうにつぶやく。


『大丈夫かい?』セピアの心配する声。


「うん、なんとかなりそう」


美咲ちゃんの《修復者》の力が、オレンジ色の光となってゴンドラを包む。


錆びた金属が、少しだけ強度を取り戻す。ボルトが締まり直される音。


そして、ミルの解析能力が、最も安全なルートを導き出す。


「上昇角度、毎秒0.5度。振動を最小限に抑えます」


ミルの瞳から、青い光線が放たれる。それが観覧車の機構に干渉し、ゆっくりと動かし始めた。


静寂の中、ゴンドラがゆっくりと空へ昇っていく。


一メートル、また一メートル。


地面が遠ざかっていく。


「セピア様、聞こえますか」


ミルが、少し興奮した声でレポートを始める。


「高度10メートル。私たちが色を付けたメリーゴーラウンドが、あんなに小さく見えます」


ゴンドラの窓に顔を押し付けるミル。鼻が窓ガラスに押しつぶされて、少し間抜けな顔になっている。


「まるで、可愛いミニチュアのようです。木馬の頭が、小さな点に見えます」


「本当だ!」


美咲ちゃんも、最初の怖さを忘れて、窓の外の景色に夢中になっている。


「ジェットコースターのレールが、龍の背中みたいにも見えますね!」


美咲ちゃんが指差す。確かに、うねうねと曲がったレールは、巨大な龍が眠っているようにも見える。


「あっちは、お化け屋敷かな? 屋根に穴が開いてる!」


私も、眼下に広がるモノクロームの世界を見下ろす。


高度20メートル。


遊園地全体が見渡せる。色を失った、でも確かにそこにある世界。


「セピア……」


私は、遠くを見つめる。


「ここからだと、時計塔も見えるよ」


視線の先に、小さく時計塔が見える。古い石造りの建物。てっぺんの時計は、今も時を刻んでいる。


「いつも、あそこにいるんだね」


『うん』セピアの声が、少し寂しそうに響く。『いつも、君たちのことを見守っているよ』


ゴンドラが、さらに高度を上げる。


30メートル。


風が強くなってきた。ゴンドラが少し揺れる。


「きゃっ」美咲ちゃんが私の腕を掴む。


「大丈夫だよ」


でも、私も少し怖い。


高度40メートル。


もうすぐ頂点。


みんなが、それぞれの言葉で、必死にセピアに景色を伝えようとしてくれている。


「セピア様、東の方角に川が見えます!」ミルが報告する。「太陽の光を反射して、銀色のリボンみたいです!」


「西には森が広がってます!」美咲ちゃんも負けじと伝える。「木々が風に揺れて、まるで緑の海みたい! あ、今は灰色だけど……」


その姿が、たまらなく愛おしかった。


セピアのために、一生懸命に世界を言葉にしようとしている仲間たち。


でも——


楽しい、だけじゃない。


嬉しい、だけじゃない。


胸の奥で、別の感情が渦巻いている。


セピアがここにいないことが、寂しい。


この景色を、隣で一緒に見たかった。


その手のひらを、今、握りしめたかった。


「あと少しで頂点です」ミルが告げる。


高度50メートル。


観覧車の頂上。


世界が、360度見渡せる。


灰色の街並み。色を失った空。でも、私たちが少しずつ色を取り戻した場所が、点々と淡い色を放っている。


公園の薄い緑。メリーゴーラウンドの褪せた金色。


それは、希望の光のようだった。


喜びと、切なさと、愛おしさが、全部ごちゃ混ぜになって、胸がいっぱいになる。


ああ、そうか。


これが、今の私の、本当の「心」。


記憶はない。でも、この気持ちだけは、嘘じゃない。


私は、カメラを構えた。


ファインダーの先に見えるのは、モノクロの世界に立つ、小さな時計塔。


でも、私の心には、そこで私たちを想ってくれている、セピアの笑顔がはっきりと見えていた。


優しい笑顔。少し寂しそうな瞳。影のある姿。


「セピアに届け」


心を込めて、シャッターボタンを押す。


カシャリ!


瞬間色彩モーメント・カラー!」


シャッターを切った瞬間、私の心から溢れ出した、複雑で、温かい光が、観覧車全体を包み込んだ。


それは単純な色じゃなかった。


夕焼けのオレンジ。朝焼けのピンク。真昼の青。夕闇の紫。


すべての時間の色が、混ざり合った光。


光が収まると——


観覧車は淡いパステルカラーに染まっていた。


ゴンドラの窓ガラスには、夕焼けのようなオレンジ色が映り込んでいる。


そして、観覧車の骨組みに沿って、小さなライトが点灯し始めた。


一つ、また一つ。


まるで星座を描くように、ゆっくりと点滅するイルミネーション。


それは涙の雫のように優しく輝いていた。


『……きれいだ』


セピアの、感嘆の声が聞こえる。


『ありがとう、ユイ。みんな。最高の景色だよ』


でも、その声には、隠しきれない寂しさもあった。


観覧車から降りて、私は震える手でメモを書いた。


『観覧車の頂上から世界が見えた』 『セピアに景色を伝えた』 『でも、本当は一緒に見たかった』『いつか、セピアの手を握りたい』


最後の一行を書いてから、なぜそう思ったのか分からない。


でも、心が確かにそう叫んでいる。


真っ白なアルバムの、3ページ目。


そこに、新しい写真を貼る。


夕焼け色に染まったゴンドラから、小さな時計塔を見下ろす風景の写真。


写真を見つめながら、私はそっと、自分の右手に触れる。


記憶にはない、でも、魂が覚えている。


失われた、大切な人の手のひらの温もり。


セピアの手の感触。


いつか、必ず。


もう一度、その手を握るために。


「次は、ジェットコースターですね」ミルが言う。


「怖いけど、頑張る」美咲ちゃんも決意を新たにする。


私たちの、色褪せた世界を取り戻す旅は、まだ始まったばかり。


でも、一歩ずつ、確実に前に進んでいる。


窓の外を見る。


観覧車のイルミネーションが、静かに明滅している。


まるで、この世界の新しい心臓のように。


ゆっくりと、でも確実に、生命を取り戻していく世界。


その鼓動を感じながら、私は次の写真の構図を、心の中で描き始めていた。


メモ帳の新しいページ。


『図書館に行く』『本から文字が消えている問題を解決する』 『物語の力が必要』


そして、小さく書き足されている。


『ミルに物語を聞く。きっと素敵』


自分で書いたのに、なぜそう思ったのか分からない。でも、期待で胸が温かくなる。


遊園地に淡い色彩を取り戻してから数日後。


私たちは時計塔の作戦室で、次に色を戻すべき場所を探していた。


真っ白なアルバムは、少しずつページが埋まっていく。写真を撫でるたび、あの時の空気感が蘇る。メリーゴーラウンドのオルゴールの音、観覧車からの風、仲間たちの笑い声。


「褪色の進行が速いのは、このエリアです」

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