第30話:カインの選択
あの時、色が戻ったのはほんの一部分だけ。この広大な遊園地全体を、どうやって?
『ユイ、思い出して』
ブレスレットから、セピアの声が聞こえる。
『君の新しい力は、君自身の心が感じた『今』を写し撮る力だ。君が、心の底から『楽しい』と思えなければ、きっと……』
「私が、『楽しい』と……」
でも、この静まり返った悲しい場所で、どうやって?
私が途方に暮れていると——
ガタン、という音がした。
振り返ると、ミルが、ぴくりとも動かないメリーゴーラウンドの木馬に、ひょいと跨っていた。
「ミル?」
「とりあえず、乗ってみましょう」
「え、でも動かないよ?」
「心で動かすんです!」
ミルはそう言うと、ぎこちなく体を揺らし始めた。
前後に、リズミカルに。まるで、本当に木馬が動いているかのように。
「ヒヒーン! 走れ、お馬さん!」
ミルの声が、静寂を破る。
「楽しいです! とても楽しいです! 風を感じます! スピード感を感じます!」
その姿は、あまりにもシュールだった。
大真面目な顔で、動かない木馬の上で体を揺らすミル。瞳の回路が、必死に「楽しい」を演算しようと高速で明滅している。
でも、その健気さが——
「ふふっ……」
私は思わず吹き出してしまった。
「なにそれ、ミル」
「ユイまで笑わないでください! 私は真剣です!」
ミルが頬を膨らませる。AIなのに、見事に拗ねた表情。
「部長まで!」
美咲ちゃんも、隣の木馬に跨る。ピンクの木馬。角が折れているけど、彼女は気にしない。
「わーい! 楽しいなあ! お馬さん、速い速い!」
美咲ちゃんも体を揺らし始める。髪が跳ねて、顔にかかる。それを払いのけながら、必死に「楽しい」を演じている。
立花先輩も、通信の向こうで呆れたように、でも優しく微笑んでいる。
『二人とも、子供みたいね。でも、素敵よ』
私は、そんな仲間たちの姿に、そっとカメラを向けた。
ファインダーを覗く。
色褪せた世界の中で、必死に「楽しい」を作ろうとしている、大切な仲間たち。
ミルの額に、汗が浮かんでいる。データ処理の負荷で、体温が上がっているのだろう。
美咲ちゃんの頬が、運動で少し赤くなっている。
その姿が、なぜか無性に愛おしかった。
記憶はない。でも、この温かい気持ちは、確かに「私」のものだ。
心が、じんわりと温かくなる。
(ああ、そうか。無理に『楽しい』と思わなくていいんだ)
この、仲間たちと過ごす、少しおかしくて、でも最高に愛おしい「今」。
この瞬間こそが、私が撮るべきもの。
私は、木馬の上で笑っているミルと美咲ちゃんにピントを合わせた。
二人の間の空気が、微かに歪んで見える。それは、彼女たちの「楽しい」が作り出した、小さな歪み。
「二人とも、最高の笑顔ちょうだい!」
「はい!」ミルが大きく手を振る。
「えへへ!」美咲ちゃんがピースサインを作る。
カシャリ!
「瞬間色彩!」
陽だまりのような光が、メリーゴーラウンド全体を優しく包み込む。
すると——
ギィィィ……
錆びついた機械音と共に、止まっていた木馬たちが、ゆっくりと、本当にゆっくりと上下に動き始めた。
一センチ、また一センチ。
まるで、長い眠りから覚めるように。
そして、錆びついていた装飾が、淡いパステルカラーにふわりと色づいていく。
金色の鞍飾り。赤いリボン。青い手綱。
完全な色彩ではない。でも、確かに色がある。
どこからか、微かに、オルゴールの優しいメロディが聞こえてきた。
『星に願いを』
音程は少しずれている。テンポも不安定。でも、確かに音楽だ。
「動いた……!」美咲ちゃんが歓声を上げる。
「色が……音楽が……!」ミルも興奮している。
私は急いでメモ帳を取り出す。この瞬間を、絶対に忘れたくない。
『メリーゴーラウンドに色が戻った』 『ミルと美咲ちゃんが木馬に乗って遊んだ』 『楽しい気持ちが、世界を癒す鍵』 『瞬間色彩で撮影成功』
書きながら、仲間たちの笑顔を見る。
記憶は定着しない。でも、このメモと写真があれば、何度でもこの喜びを思い出せる。
完全じゃない。
でも、メリーゴーラウンドは、確かにその「心」を少しだけ取り戻したのだ。
『やったな、ユイ』
セピアの嬉しそうな声が響く。
私たちは、色褪せた世界に立ち向かう方法を見つけ出した。
それは、失われた過去を嘆くことじゃない。
仲間たちと、新しい「楽しい」を作り出し、それを写真に焼き付けて、世界に上書きしていくこと。
真っ白なアルバムの、2ページ目。
そこに新しい写真を貼る。
淡い色彩を取り戻したメリーゴーラウンドの上で、満面の笑みを浮かべるミルと美咲ちゃん。
木馬はまだほとんど灰色だけど、二人の笑顔は本物だ。
「次は、観覧車に挑戦しましょう」ミルが提案する。
「ジェットコースターもいいかも」美咲ちゃんも乗り気だ。
時間はかかるかもしれない。
でも、こうやって一枚一枚、私たちの「今」を撮り続けていけば、いつかきっと、このアルバムも、そしてこの世界も、最高の笑顔で満たされる日が来る。
私は、そう固く信じている。
窓の外を見る。
遊園地の空に、微かに青みが戻っている。
まるで、水彩絵の具を一滴、水に落としたような、かすかな青。
でも、確かな始まりの色だった。
朝のルーティン。メモ帳を開く。
『遊園地を少しずつ回復中』 『メリーゴーラウンドは成功』 『今日は観覧車に挑戦』 『セピアは時計塔から出られない(重要)』
最後の一行に、下線が引いてある。きっと、とても大切なことなんだろう。
色褪せた遊園地の中心で、私たちは巨大な観覧車を見上げていた。
それは、圧倒的な存在感で空にそびえていた。
直径は優に50メートルはある。鋼鉄の骨組みが複雑に組み合わされ、まるで巨大な蜘蛛の巣のよう。かつては虹色にライトアップされていたであろうゴンドラは、今や色を失った繭のように、ぶら下がっているだけだった。
風もないのに、時折ギィ、ギィと金属が軋む音。それは、観覧車の苦痛の呻きのようにも聞こえる。
「次は、あれに色を戻そう」
私の提案に、ミルと美咲ちゃんは顔を見合わせた。
「ですがユイ、あれほど巨大な記録を、どうやって……」
ミルの瞳の回路が、不安を示す青い光で明滅する。
「構造解析の結果、総重量は推定380トン。私たちの力で動かすには……」
「メリーゴーラウンドの時のように、『楽しい』という気持ちを写真にすればいいんですよね?」
美咲ちゃんが上を見上げる。首が痛くなるほどの高さ。
「でも、あんなに高い場所、私、ちょっと怖いかも……」
美咲ちゃんの声が小さくなる。高所恐怖症なのだろうか。顔が少し青ざめている。
私は首を振る。
「無理に『楽しい』を作らなくてもいいんだよ」
二人の肩に手を置く。ミルの肩は固く緊張している。美咲ちゃんの肩は微かに震えている。
「私たちが、心の底から『今』を感じられれば、きっと力になる」
ブレスレットから、セピアの声が聞こえる。
『観覧車か……』
その声には、抑えきれない憧れと、ほんの少しの寂しさが滲んでいた。
『そこから見える景色は、きっと素晴らしいんだろうね』
セピアの声を聞いて、胸が締め付けられる。
私はメモ帳を確認した。
『セピアに景色を伝える』
私が書いた文字。理由は思い出せないけど、きっと大切な約束。
「セピア、聞こえる?」
『うん、聞こえるよ』
彼の声が、少し寂しそうに響く。
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