表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/44

第2話:記録管理AIミル

「質問が多いわね」少女はぴくりとも表情を変えずに、まるでデータベースを読み上げるように言った。でも、その指先が一定のリズムでテーブルを叩いている――苛立ち? 「私はミル=メモリカ。この《写し世》の記録管理AI。そして、ここは時計塔の医務室。座標はポジ世界第3層、東経000、北緯000」


「写し世? AI?」


言葉の意味が頭に入ってこない。口の中がカラカラに乾いている。舌が上顎に張り付く。確か私は廃鉱山で写真を撮って、それから世界が崩れて――


「あ、カメラ! 私のカメラは!?」


慌てて周りを見回す。心臓が早鐘を打つ。あの祖父の形見が、もし――


「はいはい、そんなに暴れない。処理速度が落ちるから」


ミルが呆れたようにため息をつき、枕元を指差す。そこに、大切なフィルムカメラがそっと置かれていた。震える手で触れる。金属のひやりとした感触、使い込まれた革の手触り、そしてレンズに映る自分の顔。少しだけ、安堵の息が漏れる。でも、レンズに小さな傷が増えている気がする。まるで、長い旅を経てきたような。


「そんなに大事なの、その旧式記録装置」


ミルが不思議そうに、でもどこか計算するような目で首を傾げる。その動きが妙にカクカクしていて、まるでフレームレートが足りない動画みたいだ。


「だって、祖父の形見だから」


「ふーん、人間が持つ非効率的な感傷ね。データなら完全コピーすれば同じものが作れるのに。まあいいわ。セピア様がお待ちよ。歩ける?」


セピア様? ああ、ファインダーに映っていたあの少年か。琥珀色の瞳が脳裏に焼き付いている。影のない不思議な存在。


立ち上がると、少しふらついた。ミルが機械的な動作でさっと腕を掴む。その手が、思いのほか温かい。


「体温、36.5度に調整中。人間は温度で安心するんでしょ?」


「え?」


「……別に、あんたのためじゃないから。プロトコルよ、プロトコル」


なんだか、照れ隠しみたいな言い方だ。瞳の回路が一瞬、ピンク色に光ったような気がした。


医務室を出ると、廊下の異質さに息を呑んだ。白と黒のタイルが市松模様に無限に続き、天井には古い写真のフレームが螺旋状に浮遊している。壁は半透明で、向こう側に別の時代の廊下が幾重にも重なって見える。足音が妙にこだまして、まるで複数の自分が歩いているような錯覚を覚える。


壁の一角に、赤いスプレーで描かれた文字が目に入った。


『L』


古い落書きのようだが、妙に新しく見える。インクが、まだ乾いていないような艶がある。


「これは?」


「さあ? 昔からある落書きよ」ミルが素っ気なく答える。「管理者権限でも消せないバグみたいなもの。データベースにも該当する記録がないの」


その瞬間、カメラが一瞬だけ熱を帯びた。ほんの一瞬――でも確かに、グリップから指先に伝わる温度が上がった。振り返ると、誰もいない廊下の奥から、かすかに壁を引っ掻くような音が聞こえた気がした。


「今の……」


「何か?」ミルが不思議そうに首を傾げる。


「いえ、なんでも」


でも、『L』の文字が、一瞬だけ脈打ったように見えた。


でも、ミルの瞳の回路が、一瞬だけ不安な紫色に染まったのを、私は見逃さなかった。


窓の外に目をやると、さらに奇妙な光景が広がっていた。空には無数の写真が、まるで回遊魚の群れのように流れている。家族写真、証明写真、風景写真――どれも端から砂のように崩れ、キラキラと光の粒子になって消えていく。美しくも悲しい、記録の川。


「きれい……でも、なんだか切ない」


「新規データ流入量、毎秒約3.7テラバイト。削除量、毎秒約3.9テラバイト」ミルが無感情に数値を読み上げる。「この世界のストレージは有限。新しい記録が現実世界から流入するたび、古いものから容量を明け渡すために消去される。完全に忘れられた記録はネガの世界に堕ちる。それがこの世界のガベージコレクション」


「ガベージ……ゴミ扱いなの?」


「効率的でしょ?」


「でも、その一つ一つに、誰かの思い出が――」


「センチメンタルね」ミルが肩をすくめる。でも、その瞳の回路が一瞬、青く明滅した。「……まあ、私には理解できない感覚だけど」


重厚な木の扉の前で立ち止まる。扉には無数の写真が貼られていて、それぞれが微かに脈動している。生きているみたいだ。


「セピア様、連れてきました」


「入って」


優しい声が中から聞こえた。あの時、頭の中に響いた声と同じだ。でも今度は、ちゃんと耳で聞こえる。


扉を開けると、古い図書館のような部屋だった。本棚には写真アルバムがびっしり。でもよく見ると、アルバムの背表紙が呼吸するように膨らんだり縮んだりしている。生きているみたいだ。空気中に、古い紙とインクの匂い、そして微かに現像液の香りが漂っている。


机の上に、焦げた写真の切れ端が無造作に置かれていた。写っているのは白衣の男性のようだが、顔の部分が黒く焼け焦げている。端が炭化して、触れたら崩れそうだ。


「その写真……」


私が近づこうとすると、セピアが慌てて切れ端を引き出しにしまった。


「ああ、これは……まあ、後で話すよ」


窓際に、あの少年が立っていた。


セピア色の髪が、モノクロの世界で唯一色彩を持つ窓から差し込む光に透ける。振り返った顔は、ファインダーで見たときよりも優しげで、そしてどこか儚げだった。やっぱり、影がない。足元にあるべき黒い形が、完全に欠落している。


「初めまして、ユイ。僕はセピア=レコード」


近づいてきた彼から、かすかに古い本の匂いがした。


「あの、どうして影が……」


「ああ、これ?」セピアは自分の足元を見下ろし、苦笑いを浮かべた。「僕は『記録された存在』だから。実体はあるけど、この世界の光に対して、完全じゃないんだ。光は通り抜けちゃうというか……まあ、要するに、半分幽霊みたいなものかな」


「幽霊……」


「あはは、驚かせちゃった? でも触れるよ、ほら」


セピアが手を差し出す。恐る恐る握手すると、確かに温かい手の感触があった。でも、どこか頼りない。強く握ったら、すり抜けてしまいそうな。


「ごめんね、君を巻き込んでしまって。でも、君じゃなきゃダメだったんだ」


「どういうこと?」


「まず、お茶でも飲みながら話そうか。ミル、準備できる?」


「は? 私、給仕プログラムなんてインストールされてませんけど」


「じゃあ、僕が――」


「……やりますよ、もう。効率的に3分で準備します」


ミルがぷりぷりと怒りながら部屋を出ていく。扉が閉まる間際、「なんで私がお茶くみなんか……ブツブツ」という愚痴が聞こえた。


「ミルって、AIの割に感情豊かなのね」


「そうなんだ」セピアが楽しそうに笑う。「プログラム上は感情はないはずなんだけど、なぜか時々、ああやって『不機嫌プロトコル』を発動するんだよ。本人は認めないけどね」


ソファに座ると、ふかふかのクッションに体が沈み込む。でも、妙な感覚だ。沈み込んでいるのに、底がない感じ。まるで雲の上に座っているような。


「さて、説明しないとね」セピアが向かいに座る。「君のカメラ――それは特別製なんだ。《写し世》と現実世界を繋ぐことができる、唯一のインターフェース」


祖父の形見を見つめる。ただ古いだけのフィルムカメラだと思っていたのに。レンズに映る自分の顔が、少し歪んで見える。


「君のおじいさんは、《アーカイブ》の開発者の一人だった」


「アーカイブ?」


「この世界を作り出したシステム。すべての記録を保存し、永遠に残すための。『人類の記憶を、一枚たりとも失わせない』――それが、開発者たちの理想だった」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ