第26話:立花先輩との対峙
「そして、私が、ユイの外部記憶装置になります」
「外部記憶装置?」
「はい。AIである私は、忘れることがありません。ユイの新しい記憶も、すべて完璧に記録します。日付、時間、天気、会話の内容、表情の変化まで」
ミルの瞳が、静かに輝く。
「それが、私にしかできない愛し方です。人間はいつか忘れる。でも、私は忘れない。永遠に」
その言葉に、胸が熱くなる。
「でも、私は前の私じゃない」
思わず口にしてしまった本音。
「写真の中の私みたいに、強くないし、優しくもない。そして、新しいことも覚えられない」
「それでもいいんです」
ミルがきっぱりと言う。
「前のユイも、今のユイも、どちらも本物です」
「でも——」
「君は君だよ」セピアが私の目を見つめる。「それ以上でも以下でもない」
部屋に、他の人たちも入ってきた。
眼鏡の女性——立花先輩。
「久しぶり、ユイ。覚えてないと思うけど」
優しい笑顔。でも、その奥に心配の色。
元気な女の子——美咲ちゃん。
「部長! よかった、目が覚めて!」
涙声で、でも明るく。部長という呼び方が、なんだか嬉しい。
みんなが、私を大切に思ってくれている。
それが、言葉じゃなくても伝わってくる。視線、仕草、声の震え。すべてが、私への愛情を物語っている。
「みんな、ありがとう」
私は、涙を拭いて、精一杯の笑顔を作った。不器用な笑顔だろう。でも、心からの笑顔。
「私の名前は、海野ユイ。よろしくね」
新しい始まり。
でも、それは悲しいことじゃない。
だって、こんなに素敵な仲間がいるから。
「あ、そうだ」
ミルが何かを思い出したように、引き出しから一つの箱を取り出した。
「これ、ユイのカメラです」
祖父の形見のカメラ。
ずっしりと重い。金属の冷たさ、革の手触り、使い込まれた傷。
手に取ると、不思議と懐かしい感覚がする。体が覚えている。このカメラの重さ、持ち方、シャッターの感触。
「使い方、覚えてる?」
私は首を振る。頭では覚えていない。でも、手が覚えているような気がする。
「じゃあ、また教えるね」ミルが嬉しそうに言う。
「まず、これがシャッターボタンで……」
ミルの説明を聞きながら、ふと窓の外を見る。
夕日が、世界を金色に染めている。
美しい光景。
「撮ってみる?」セピアが提案する。
「うん」
カメラを構える。
ファインダーを覗く。
そこに映ったのは——
オレンジ色の空と、その下に広がる街並み。
そして、窓に映る私たちの姿。
不器用だけど、でも確かにそこにいる私たち。
カシャリ。
シャッターを切る。
技術は拙い。手が震えて、少しブレているかもしれない。
でも、この一瞬は、確かに私が撮った。
「上手!」ミルが拍手する。
「才能は忘れてないね」セピアも微笑む。
この瞬間も、新しい記憶になる。
失ったものは、もう戻らないかもしれない。
新しい記憶も、やがて薄れていくかもしれない。
でも、写真は残る。
「ねえ」私は仲間たちを見回す。「これから、たくさん写真撮ろう」
「毎日、撮ろう。忘れる前に、全部撮ろう」
「はい!」ミルが力強く頷く。「私も、すべて記録します」
「もちろん」セピアも微笑む。
「楽しみです!」美咲ちゃんが跳ねる。
「いいわね」立花先輩も優しく頷く。
みんなの笑顔が、夕日に照らされて輝いている。
その夜、ミルが私の隣で、昔の話をしてくれた。
「ユイは、最初に私に料理を教えてくれたんです」
「料理?」
「はい。スクランブルエッグ。すごく美味しくて」
ミルの話を聞いていると、失った記憶の輪郭が、ぼんやりと見えてくる気がした。
実際には思い出せないけど、でも、温かい何かを感じる。
「また、一緒に作ろう」
「はい!」
ミルが嬉しそうに頷く。瞳の回路が、幸せの金色に輝く。
「でも、明日になったら、この会話も忘れちゃうかも」
私が不安そうに言うと、ミルは優しく微笑んだ。
「大丈夫です。私が覚えています。明日も、明後日も、ずっと」
セピアも、写真を見せながら話してくれる。
「これは、商店街に行った時の写真」
「これは?」
「君が撮ってくれた、現実世界の夕焼け」
一枚一枚の写真に、物語がある。
忘れてしまった、でも確かにあった、私たちの時間。
「全部、覚え直すから」私は決意を込めて言う。「時間はかかるかもしれないけど」
「急がなくていいよ」セピアが優しく言う。
「そうです」ミルも頷く。「私たちには、時間がたくさんありますから」
私は、ベッドサイドのメモ帳を手に取った。
そして、震える手で書き始める。
『今日、目が覚めた』
『ミル(銀髪のAI、親友)とセピア(影を持つ少年、大切な仲間)がいた』
『私は記憶を失った。新しい記憶も定着しにくい』
『でも、仲間がいる』
『毎日、写真を撮ること。これが一番大切』
「これを、毎朝読むから」
私は二人に見せる。
「忘れても、これを読めば思い出せる」
「私も、毎朝説明します」ミルが言う。
「僕も、君の隣にいる」セピアも頷く。
「でも、私、前の私みたいになれるかな」
不安が、また顔を出す。
「なる必要はないよ」セピアが言う。「今の君を、僕たちは好きになるから」
「前のユイを求めません」ミルも断言する。「今のユイと、新しい思い出を作りたいんです」
その言葉に、心が軽くなる。
前の私と比べられることへの恐怖が、少しずつ溶けていく。
シャッターを切るたび、世界は豊かになる。
たとえ記憶を失っても、たとえ新しい記憶が薄れても、写真は残る。
ミルの完璧な記録も残る。
心が繋がっていれば、物語は決して終わらない。
さあ、ここから始めよう。
新しい私と、大切な仲間たちとの、二度目の物語を。
一枚の写真に写った、最高の笑顔を取り戻すための、長い長い旅を。
でも、それは「取り戻す」旅じゃない。
「新しく作る」旅なんだ。
毎日が、新しい始まり。
忘れても、また始められる。
窓の外で、星が瞬いている。
《写し世》の記録の星と、現実世界の星が、今夜は一緒に輝いているような気がした。
「おやすみ、ユイ」ミルが言う。
「私は、ユイの夢も記録しますから。安心して眠ってください」
「おやすみ、ユイ」セピアも言う。
「明日も、僕たちはここにいるから」
「おやすみ、ミル、セピア」
名前を呼ぶ。
まだぎこちないけど、でも確かに、私の大切な人たちの名前。
枕元に、メモ帳とカメラを置く。
明日の朝、最初に見るために。
明日も、きっといい日になる。
新しい思い出を作れる日に。
そして、忘れる前に、全部写真に撮る日に。
前の私を追いかけるんじゃなく、新しい私として生きていける日に。
そう信じて、私は静かに目を閉じた。
夢の中で、誰かが優しく微笑んでいる気がした。
それが誰なのかは、分からない。
でも、とても温かい夢だった。
あれから、一ヶ月が過ぎた。
私の日常は、穏やかに、でもどこか奇妙な感触と共に流れている。
朝、目覚めると最初にすることがある。枕元のメモ帳を開くこと。私の字で、びっしりと書かれている。
『あなたは海野ユイ。写真部の部長』
『隣の席の銀髪の女の子は、ミル。AIだけど、親友』
『セピア色の髪の少年は、セピア。影を持つようになった大切な仲間』
『毎日、必ず写真を撮ること。それが、忘れないための唯一の方法』
最後の一行には、赤ペンで何度も線が引かれている。きっと、とても大切なことなのだろう。




