表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/44

第24話:セピアの覚悟

美咲ちゃんが指示通りに動く。触手が空を切る。紙一重。


「今です!」


ミルの展開する防御壁が、一瞬だけ影の動きを止めた。


ガラスが砕けるような音。でも、持ちこたえる。


私はカメラを構える。


ファインダーを覗く。


でも——


脳裏に声が響く。


(この一撃を放てば、また記憶が消えるぞ)


(次に失うのは、何の記憶だ?)


(仲間の名前か? 顔か? それとも、自分が誰なのかさえ忘れるか?)


一瞬、指がためらう。


シャッターボタンが、異様に重く感じる。


恐怖が、全身を縛り付ける。


でも——


仲間たちの顔を見る。


必死に戦っている、大切な人たち。


美咲ちゃんが祈っている。ミルが歯を食いしばって防御壁を維持している。立花先輩が的確な指示を出し続けている。


(私にはもう、失うことを恐れている時間なんてない!)


長時間露光ロング・エクスポージャー、最大出力!」


シャッターを開く。


私の記憶を感光剤にして、光を集める。


カメラが熱くなる。レンズが割れそうな音を立てる。金属が軋む。


そして、私の中から、何かが流れ出していく。


小学校の入学式の記憶が消える。


初めて自転車に乗れた日の記憶が消える。


でも、撃つ。


カシャリ!


光の奔流が、影を貫く。


「ぐ……おおおっ!」


影が初めて、大きくよろめいた。


『なぜだ……なぜ、記憶を失うことを恐れない!』


「失っても、また作ればいいから!」


私は叫ぶ。涙が頬を伝う。


「仲間がいれば、何度だって!」


『……愚かな』


影の体から、さらに濃い闇が溢れ出す。


それは、もはや影ではなかった。


存在そのものの否定。


すべてを無に還す、究極の虚無。


光さえも吸い込む、絶対的な闇。


『ならば、世界そのものを喰らうまで』


影が、二つの世界そのものを吸収し始めた。


空が落ちてくる。


大地が浮き上がる。


上下左右の概念が失われ、私たちの足元から無に還っていく。


重力が狂い、体が浮き上がる。いや、世界そのものが崩れている。


「もう、ダメか……」


立花先輩が膝をつく。


ミルの防御壁も、限界だ。ひび割れ、砕け、消えていく。


美咲ちゃんの光も、闇に飲み込まれそうになっている。


その時——


私の心に、直接セピアの声が響いた。


『ユイ、諦めないで』


「セピア……!」


『僕も一緒に戦う。この世界の柱として、僕のすべてを君の力に変える!』


セピアのいる《アーカイブ》の中枢から、温かい光が流れ込んでくる。


それは、純粋な記録のエネルギー。


世界を支える、根源的な力。


私のカメラが、金色に輝き始める。


でも、まだ足りない。


終焉の力が、あまりにも強すぎる。


どうすれば……。


その時、私は理解してしまった。


この世界を救う、本当に最後の方法を。


カメラを取り出す。


フィルムの、最後の一枚。


36枚撮りの、最後の一枚。


これを撮るには、最高の感光剤が必要だ。


悲しみも、喜びも、出会いも、別れも、そのすべてを焼き付けられる、究極の記憶が。


私の、一番大切な記憶。


私の脳裏に、その記憶が鮮明に蘇る。


——廃鉱山で、初めてファインダー越しにセピアを見た瞬間。


琥珀色の瞳。影のない不思議な存在。「お願い、僕を写して」という切実な声。


——時計塔で、ミルが初めて「美味しい」と言ってくれた朝。


効率しか考えなかったAIが、初めて感情を理解した瞬間。あの驚きと喜びの表情。


——三人で写真館に行った日。


セルフタイマーでの記念撮影。ぎこちない笑顔。でも、確かにそこにあった温もり。


すべての始まり。


私がここにいる理由。


私が私である、根源的な記憶。


『ユイ、ダメだ! それを失ったら、僕たちのことを!』


セピアの悲痛な叫びが聞こえる。


「ユイ、やめてください! それだけは!」


ミルの泣き声も。瞳から涙が溢れている。


「部長! お願い、やめて!」


美咲ちゃんの懇願も。


でも——


私は決めた。


これは、誰かに強制されたわけじゃない。


私自身の、選択だ。


私は涙で歪むファインダーを覗きながら、静かに微笑んだ。


「大丈夫」


声が、不思議と落ち着いている。


「たとえ私が忘れても、みんなが覚えていてくれるでしょ?」


仲間たちを見る。


泣いている。みんな、泣いている。


「そしたら、また、きっと友達になれるから」


ありがとう、ミル。


私に心の温かさを教えてくれて。


ありがとう、セピア。


私に居場所をくれて。


ありがとう、美咲ちゃん、立花先輩。


私に、守りたい世界をくれて。


さようなら、私の、始まりの記憶。


でも、これは犠牲じゃない。


これは、私が選んだ、最高の一枚を撮るための、必要な選択。


「究極記録創造——」


シャッターボタンに指をかける。


最後の力を込めて。


「インフィニット・アーカイブ!」


カシャリ。


シャッターを切った瞬間——


世界が、止まった。


音が消える。


色が消える。


すべてが、一枚の写真の中に収束していく。


ファインダー越しに見えたのは、涙でぐしゃぐしゃになりながらも、私を信じてくれる仲間たちの顔だった。


ああ、これが、私の撮りたかった写真。


最高の、最後の一枚。


フィルムに焼き付けられた私の始まりの記憶が、世界を救う光に変わっていくのを感じる。


光は螺旋を描きながら上昇し、影を包み込む。


終焉の影が、光に包まれて消えていく。


しかし——


完全には消えない。


『覚えておくがいい』


消えゆく影が、最後に呟く。


『記憶は呪縛。その真理は、永遠に変わらない』


『いつか、また……』


『私の一部は、世界のどこかに必ず残る』


影は消えた。


でも、その言葉は、世界のどこかに、小さな棘として残った。


呪いの残滓。


完全には払拭できない、疑念の種。


二つの世界が、正しい形で分離していく。


崩壊が止まる。


そして——


私の意識も、ゆっくりと、暗闇に沈んでいく。


もう、怖くない。


みんながいるから。


たとえ忘れても、きっとまた——


最後に見えたのは、ミルとセピアの顔だった。


二人とも、泣きながら、私の名前を呼んでいる。


「ユイ! ユイ!」


でも、もう声は聞こえない。


ただ、温かい光に包まれて——


(みんな、また会おうね)


(今度は、もっといい写真を撮るから)


私の意識は、安らかな満足感と共に、静かに途切れた。


世界は救われた。


でも、完璧じゃない。


呪いの残滓は、どこかに潜んでいる。


それでも、今は——


光が、勝った。


目が覚めると、私は時計塔の医務室のベッドにいた。


天井が見える。木目の模様が、ゆらゆらと揺れている。いや、揺れているのは私の視界か。古い木材の節目が、まるで誰かの顔のように見えて、すぐに崩れて、また別の形になる。


鼻腔に消毒液の匂い。でも、それだけじゃない。ラベンダーの香りもする。誰かが、私のために芳香剤を置いてくれたのか。シーツの肌触りは柔らかくて、洗い立ての布地の清潔な香り。点滴の針が腕に刺さっている鈍い痛み。冷たい液体が、血管を通って体に流れ込む感覚。


五感が、少しずつ戻ってくる。


窓から差し込む光。


以前のモノクロではなく、温かい色彩を帯びている。オレンジ色の夕日が、部屋を優しく照らしている。光の粒子が、空中でゆらゆらと踊っている。埃のようでもあり、記録の欠片のようでもある。


世界の崩壊は、本当に止まったんだ。


でも、何か大切なものと引き換えに。


「……あれ?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ