第21話:ミルの葛藤
リーダーらしき男が、私の写真の前に立つ。
「素晴らしい作品ですね」
男の声は、表面上は穏やかだった。でも、その奥に潜む欲望が、空気を濁らせる。
「まるで、本物の《写し世》のようだ」
男がにやりと笑う。口角が、不自然に吊り上がる。
「あなたが新しい《写し手》か。騒ぎは起こしたくない。そのカメラを渡してもらおう」
「断る」
その瞬間、男の仲間たちが動いた。
素早く、来場者たちのすぐそばに立つ。まるで、人質を取るように。
「この部屋には50人以上の人間がいる」男が冷たく言う。「彼らの記録を人質にさせてもらう」
男が指を鳴らす。
パチン。
来場者たちが、ふらりと目眩を起こしたように体を揺らす。
顔から表情が消えていく。目の光が薄れる。
大切な思い出や、自分を形作る記録を、少しずつ奪われ始めているのだ。
「みんなを守らないと……!」
私はカメラを構える。
でも、どうすれば? ここで派手な技を使えば、一般人を巻き込んでしまう。パニックになれば、それこそ思い出が台無しになる。
その時、美咲ちゃんが叫んだ。
「部長、みんなの笑顔を撮ってあげてください!」
「笑顔?」
「はい! きっと、楽しくて幸せな『今』の記録は、強い力を持っているはずです! 簡単には奪えません!」
美咲ちゃんの瞳が、不思議な光を帯びている。
その言葉に、私はハッとした。
そうだ、記録は過去だけじゃない。今、この瞬間も記録になる。
「みなさん!」
私は来場者に大声で呼びかける。
「文化祭の記念に、集合写真を撮りませんかー!?」
戸惑っていた来場者たちが、私の言葉に反応する。
奪われかけていた意識が、少しずつ戻ってくる。
「いいね!」
「撮って撮って!」
みんなで肩を組み、ピースサインを作る。
小さな子供が前に、大人が後ろに。自然と笑顔になっていく。
その、ありふれた、けれどかけがえのない瞬間を――
カシャリ!
「瞬間保護!」
私の新しい技。
撮影した瞬間の「楽しい」という記録を、強力な光のバリアとして定着させる。
温かいオレンジ色の光が、来場者たちを包み込む。
「ぐあっ!」
記録を奪おうとしていた男たちが、光に弾き飛ばされる。
まるで、聖水を浴びた悪魔のように苦しむ。
「今よ!」
立花先輩の指示で、ミルが防御壁を展開する。
透明でありながら強固なフォトグラメトリの壁が、一般の来場者たちと《奪し手》たちを完全に分断した。
「小賢しい真似を!」
リーダーの男が舌打ちする。
仲間たちが一斉に攻撃を仕掛けてくる。
彼らの手から放たれるのは、記録を喰らう黒い霧。それは、触れたものの思い出を根こそぎ奪い取る、恐ろしい力。
「来るわ! 右から二人、左に一人!」
立花先輩の《視し手》の力が、敵の動きを完璧に予測する。
私はその声に従い、カメラを構える。
「瞬間凍結!」
カシャ、カシャ!
フラッシュの光が、右から来る二人の動きを止める。
その隙を、ミルが見逃さない。
「拘束します!」
ミルの展開したバリアが、蔦のように伸びて、敵の足元に絡みつく。
しかし、リーダーの男は格が違った。
黒い霧を纏い、すべての攻撃をすり抜けてくる。
そして、来場者たちを包む「瞬間保護」の光そのものを奪おうと、霧を集中させる。
「その思い出、いただくぞ!」
バリアがミシミシと音を立てる。
光が弱まっていく。
「させない!」
私が男にカメラを向けようとした、その時だった。
「やめてください!」
美咲ちゃんが、男の前に立ちはだかっていた。
その手には、ただのスマホ。
「美咲ちゃん、危ない!」
でも、美咲ちゃんの瞳は恐怖に濡れていなかった。
むしろ、深い悲しみの色を浮かべていた。
「あなたも……失くしたんですね。大切な思い出を」
「……何?」
男の動きが止まる。
「視えるんです」
美咲ちゃんの瞳が、虹色に輝き始めた。
「あなたの心が、泣いているのが。空っぽになったアルバムを抱きしめて、ずっと泣いているのが」
美咲ちゃんには、常人には視えないものが視えていた。
《奪し手》の男が失った、家族との幸せな記録の「抜け殻」が。
美咲ちゃんは、スマホのカメラを男に向ける。
でも、それは攻撃のためではなかった。
「あなたの心を、少しでも癒せますように」
カシャリ。
スマホから放たれたのは、攻撃的なフラッシュではない。
温かい、夕焼けのようなオレンジ色の光。
それは、壊れたものを優しく包み込む、癒しの光だった。
光が男を包み込むと、彼の表情から険しさが消える。
そして、涙が溢れてきた。
「俺は……家族の記録を、事故で失って……」
男の声が震える。
「写真も、ビデオも、すべてが火事で燃えて……だから、どんな形でもいいから、他人の記録で心を埋めようと……」
「分かるよ」
いつの間にか、《写し世》から来たセピアの声が、ブレスレットを通じて響いていた。
「大切なものを失う辛さは、僕も知っている。でも、他の誰かから奪うことで、君の心が本当に満たされることはない」
セピアの優しい言葉が、男の心の最後の壁を溶かしていく。
「……そう、なのかもしれない」
男は膝から崩れ落ち、静かに泣き始めた。
他の仲間たちも、戦意を喪失してうなだれている。
騒動が収まると、来場者たちは何事もなかったかのように、展示を楽しんでいた。
彼らの記憶の中では、今の出来事は「文化祭のちょっとしたパフォーマンス」として記録されたようだった。
「美咲ちゃん、すごかった……」
「なんだか、体が勝手に動いちゃって……」
美咲ちゃんは照れくさそうに頬を掻く。
「それは、あなたの才能よ」
立花先輩が優しく微笑む。
「壊れたものを癒す力……《修復者》としての力が、目覚め始めている」
「《修復者》……」
美咲ちゃんが自分の手を見つめる。
そこには、まだ微かに、オレンジ色の光が残っていた。
打ち上げは、部室でささやかに。
ジュースで乾杯し、今日の出来事を振り返る。
「それにしても、新たな脅威ね、《奪し手》は」立花先輩が言う。
「でも」ミルが考え込む。「彼らもまた、記録を失った被害者だった」
「憎しみだけでは、何も解決しないのかもしれない」私も頷く。
「ところで」立花先輩が切り出す。
「私は、今年で卒業。大学に行ったら、本格的に《視し手》の一族と、この世界の関わり方を変えていこうと思う」
「寂しくなります」ミルがしんみりする。
「大丈夫。繋がりは、決して消えないから」
先輩の言葉が、温かく私たちの胸に響いた。
文化祭は終わった。
でも、私たちの物語はまだまだ続く。
《修復者》として目覚め始めた美咲ちゃん。
《視し手》として新たな道へ進む立花先輩。
そして、私たち三人。
守護者が、少しずつ集まり始めている。
文化祭が終わり、穏やかな日常が戻ってきた。
でも、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
放課後の部室。窓から差し込む秋の陽光が、埃の粒子を金色に染めている。古い机の木目が、光の加減で浮かび上がる。
「部長、また視えました」
美咲ちゃんが、窓の外を指差す。
彼女の瞳が、虹色に揺らめいている。文化祭の一件以来、《修復者》としての力は、日に日にその輪郭を明確にしていた。
「どこに?」
「学校の裏山の方から、なんだか……」
美咲ちゃんが言葉を探す。
「冷たくて、悲しい気配がするんです。まるで、世界が泣いているような」




