第20話:消えていく私
私たちの高校は、文化祭の準備で一年で最も活気づいていた。
廊下には段ボールが山積みになり、ペンキの匂いが充満している。あちこちから金槌の音、のこぎりの音、そして生徒たちの笑い声が響く。
廃墟写真部でも、初めての大型展示に向けて、部室は連日賑わいを見せている。
「部長、この写真、すごくないですか!?」
美咲ちゃんが興奮気味に一枚の写真を指差す。
それは、私が《写し世》の記録商店街で撮った一枚だった。時代が層になって重なる不思議な光景。でも、現実世界の人には、ただの多重露光に見えるだろう。
「この虹色の光とか、どうなってるんですか? レンズフレア……とは違うような」
美咲ちゃんの瞳が、好奇心でキラキラしている。
「うん、でも、これはちょっと特殊な撮り方したから……」
私は言葉を濁す。
美咲ちゃんにはまだ、何も話せていない。彼女の平和な日常を、壊したくなかったから。
でも、最近気づいてしまった。美咲ちゃんの瞳の奥に、時々、普通じゃない光が宿ることに。まるで、見えないものが見えているような。
「展示する写真、決めた?」
放課後、時計塔からこちらの世界に来たミルが、手伝いに来てくれていた。
彼女は完璧な記憶力と分析力で、展示のレイアウト案を秒速で三次元モデル化してくれる。空中に投影される設計図は、美術館のように完璧だった。
「展示効率を最大化しました」ミルが得意げに言う。「来場者の動線、視線の高さ、照明の角度、すべて計算済みです」
「うーん、まだ悩んでる」
机の上には、現実世界で撮った写真がたくさん並んでいる。
夕焼け、猫、商店街、学校の風景。
でも、本当に飾りたいのは、セピアに見せるために撮り続けてきた、この世界の美しい瞬間たちだ。彼が見られない、触れられない、でも確かに存在する世界。
その時、部室のドアが控えめにノックされた。
コン、コン。
規則正しい、でもどこか遠慮がちな音。
「失礼します」
入ってきたのは、生徒会長の立花先輩だった。
きりっとした黒髪は、一糸の乱れもなく整えられている。知的な眼鏡の奥の瞳は、深い知性を湛えている。制服も完璧に着こなし、凛とした佇まいは、学校中の生徒の憧れの的だ。
でも、その瞳の奥に、何か違うものを感じる。
「海野さん、ちょっといいかしら?」
「は、はい! なんで生徒会長がうちの部に……?」
「実は、廃墟写真部の展示を楽しみにしているの」
立花先輩は微笑むと、まっすぐ私たちの写真に目を向けた。
その視線が、普通じゃない。
まるで、写真の向こう側にある何かを見ているような。
「特に、最近あなたが撮った作品の『光』に、とても惹かれていて」
心臓が跳ねる。
先輩の視線は、ただの写真を見る目ではなかった。それは、真実を見抜く目だった。
「あの写真、どこで撮ったの?」
先輩が一枚の写真を手に取る。それは、ノイズビーストを浄化した時の光が、偶然写り込んだものだった。
「物理法則を無視した光の屈折……まるで、世界の境界を写し込んだみたい」
立花先輩の瞳が、眼鏡のレンズ越しに、鋭く私を見つめる。
「もしかして、あなた――」
言いかけた時、部室の空気が微かに揺れた。
震えるような、でも地震とは違う振動。
現実と《写し世》の境界が、すぐ近くで不安定になっている気配。
窓ガラスが、一瞬だけ波打つ。
「!」
ミルも気づいたようだ。彼女の瞳の電子回路が、警戒レベルを示すオレンジ色に明滅する。
「異常振動を検知。位相のずれ、0.03%」
小声で呟くミル。
「やっぱり、そうだったのね」
立花先輩が、すっと眼鏡を外した。
その瞬間、私は息を呑んだ。
素顔の瞳に、見覚えのある淡い光が宿っていた。
虹彩の奥で、微かに何かが動いている。それは、記録の粒子のようにも、星のようにも見える。
記録を視る者――《視し手》の瞳だ。
「あなたも……!?」
「ええ」立花先輩は静かに告げる。「《視し手》の家系なの」
先輩は窓の外を見る。そこには普通の校庭が広がっているはずだが、彼女には違うものが見えているようだった。
「代々、《写し世》を観測してきた。でも、決して干渉してはならないという掟がある」
「掟?」
「見守るだけ。記録するだけ。決して手を出してはいけない。それが、私たち《視し手》の宿命」
先輩の声には、苦渋が滲んでいた。
美咲ちゃんは、私たちの会話を理解できず、ただ戸惑ったように立ち尽くしている。
「あの、何の話を……?」
「大丈夫」
先輩は美咲ちゃんに優しく微笑む。
「私は敵じゃない。むしろ、あなたたちの仲間になりたい」
「仲間……?」
「ええ。掟を破ることになっても、もう見ているだけなんて嫌なの」
先輩の瞳には、強い決意が宿っていた。
彼女もまた、この世界の歪みを感じ、一人で戦おうとしていたのかもしれない。
「小さい頃から、見えていた」先輩が語り始める。「消えゆく記録たち、崩れる境界、そして……記録を狙う者たち」
「記録を狙う?」
「最近、おかしな動きがある」
先輩の表情が真剣になる。
「《写し世》の存在を悪用し、記録そのものを奪おうとする者たちがいる」
「記録を奪う……?」
「ええ、通称《奪し手》」
先輩が空中に指で図を描く。すると、微かに光の線が残り、立体的な地図が浮かび上がった。《視し手》の力の一端。
「彼らが、大勢の人が集まるこの文化祭を狙っているという情報を掴んだの」
新たな敵の存在に、緊張が走る。
「なんてこと……せっかくの文化祭が」
「だから、協力させてほしい」先輩が真っ直ぐ私を見る。「私には、彼らの気配を『視る』ことができる」
こうして、私たちは予期せぬ形で、強力な仲間を得た。
作戦会議は、部室で密かに行われた。
カーテンを閉め、ミルが音漏れ防止の結界を張る。
「状況を整理しましょう」立花先輩が切り出す。
「《奪し手》の目的は、強い感情の込められた記録。文化祭は、青春の記憶が凝縮される場所」
「つまり、格好の狩場ってことですね」ミルが分析する。
「私たちの写真展を囮にしましょう」私が提案する。「《写し世》の記録を写した写真は、きっと《奪し手》たちを強く引き寄せるはず」
「危険よ」先輩が心配そうに言う。
「でも、他に方法はない」
作戦が決まる。
ミルはデータ監視と防御担当。
立花先輩は敵の位置を特定。
私は、いつでも撮れるように準備。
「美咲ちゃんは、危ないから……」
「私も手伝います!」
美咲ちゃんが、震えながらも一歩前に出た。
「何ができるか分からないけど、みんなと一緒に、文化祭を守りたいです!」
その強い瞳を見て、私は何か特別なものを感じた。
彼女にも、力があるのかもしれない。
「分かった。でも、無理はしないで」
文化祭当日。
朝から人でごった返している。焼きそばの匂い、綿あめの甘い香り、呼び込みの声。青春の熱気が、学校中に満ちている。
展示室は朝から大盛況だった。
「すごい写真ですね!」
「どうやって撮ったんですか?」
来場者たちが、口々に感想を述べている。
午後になって、ついにその時は来た。
「来たわ」
立花先輩の瞳が鋭くなる。《視し手》の力が、全開になった証拠。
展示室に入ってきたのは、一見普通の来場者に見える五人組。
スーツを着た中年男性、若いカップル、老夫婦。
でも、先輩には彼らの周囲に漂う、不吉なオーラが見えていた。
黒い霧のようなものが、彼らの体から立ち上っている。それは、飢えた獣の吐息のよう。




