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妻の星

作者: 雉白書屋

「なんてこった!」


 おれは叫んだ。しかし、その声はヘルメットの中でくぐもり、内壁に小さく反響しただけだった。何も起きない。起きようがないのだ。この惑星に、生き物はおれだけしかいないのだから。

 近年、人々の間では結婚記念日に妻へ惑星を贈るのが流行している。星を一つ所有するという行為が、既婚者の新たなステータスと化していたのだ。

 SNSには気取ったハッシュタグとともに、夫婦で星を背景に並ぶ記念写真や、降り立って地面に旗を刺す写真が、無数に投稿されている。

 おれも例に漏れず、惑星販売カタログを端から端までめくり、予算の範囲内でなんとか手の届く惑星を選び出した。

 ところが、実際に現地に降り立ってみれば、それは見事に荒廃した小惑星だった。

 空気は限りなく薄く、木はおろか苔の欠片ひとつすら見当たらない。空は腐った藻のような緑がかった濁色で、ただ見ているだけで気が滅入る。地面は干からびた馬糞のようにひび割れ、無数の凸凹が不規則に広がっていた。歩けば足を取られ、足首を捻りそうになる不安定さだ。唯一褒められるところがあるとすれば、静かなことくらい。呼吸のたびに宇宙服の酸素供給装置から漏れる『シュー』という音が妙に耳にこびりついた。

 まあ、格安だったし、当然と言えば当然だ。だが、まさかこれを妻に贈るわけにはいかない。ああ、自殺行為だ。

 とりあえず仮設のテントを設営したが、どうしたものか。こんな何もない星で、どうやって妻を喜ばせろというのか。

 ……ん? 

 小石を蹴り飛ばし、ため息をついたときだった。ふと、視界の端に妙なものが映った。地面に、かすかに模様のようなものが刻まれている。

 おれは近づき、しゃがみ込んでじっと観察した。

 これは……やはり何かのパターンだ。自然にできたものとは思えない。直線や円弧が交差し、巨大な記号のように地表に広がっている。

 いいぞ。もしかすると“当たり”を引いたのかもしれない。惑星の中には、まれに、貴重な鉱石や古代文明の遺跡などのお宝が見つかることがあるのだ。

 おれは小型の偵察衛星を打ち上げて、上空から地表を俯瞰することにした。

 タブレット端末に映像が送られてくる。荒れ果てた地表に、明らかに人工的な模様が描かれていた。これは……宇宙文字のようだ。何かの暗号かもしれない。古代の遺跡の入り口や、財宝の在り処が記されているのかもしれない……。

 おれは興奮し、即座に翻訳プログラムを起動した。画面に翻訳された文字列が浮かび上がる。


【返品不可】


 ……おー、糞食らえだ。終わりだ、終わり。完全に詰んだ。こんな惑星に妻を連れてきて、どうしろと言うんだ。喜ばせる方法があるとしたら、多額の生命保険に加入したと伝えるくらいだろう。

 いや、待てよ。糞食らえか……。




 ◇ ◇ ◇




「この星なの……?」


「そうだよ。結婚記念日のプレゼントさ。君の名前をつけたんだ」


 おれがウインクすると、妻はじっとおれを見つめた。やがて口角がピクッ、ピクッと引き上がり始めた。怒りの兆候である。

 数秒後にはおれの鼓膜が破れ、宇宙服のバイザーにひびが入るだろう。その怒声は、ブーアタ星のツノガエルの鳴き声より聞き取りづらいだろうが、内容はだいたい察しがつく。


『○○の奥様は○○な星をもらったのに!』


 もう何回も聞いたフレーズだ。

 そうなったら、自分の舌を飲んで気絶するところだが、大丈夫だ。おれには切り札がある。


「おっと、ちょっと待って……はい、これをご覧」


「コオォレエ? ……あっ、嘘」


 おれはタブレット端末を取り出し、偵察衛星からの映像を妻に見せた。


「これ、私の顔……?」


 惑星の地表に広がる巨大な肖像画。そう、妻の顔をこのどうしようもない惑星に彫ったのだ。

 妻は呆然とし、やがて小さく呟いた。


「素敵……」


 頬がわずかに紅潮し、目尻にうっすらと涙が浮かんでいる。きっと何日もかけて、おれが手作業で彫り上げたと思っているのだろう。だが、実際はAIに設計から整地、彫刻まで丸投げである。でもまあ、それは言わぬが花というやつだ。


「君を愛する気持ちを、この星全体に刻んだんだ」


「あなた……最高よ!」


 おれたちはどちらからともなく身を寄せ合い、仮設テントへと歩き出した。


 頭上から隕石が降り注いだのは、その五秒後だった。

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