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9.臆病な勇者

 自分でも驚くほどすんなりと言葉が出てくる。次いで、それが今まで散々俺に向かって投げられたものだと気づいた。


『イレネア姫のことは残念だが、彼女一人のために魔王領に軍を投入するわけにはいかないんだ』


 辺境伯である父にイレネアの捜索打ち切りを抗議したとき、困った子を相手するようにそう諭されたのを思い出す。


 十名弱の命のために危険は冒せない。この言葉に嘘はない。


 けれど、イレネアというたった一人の人間のために、ここまでやってきた俺の言える台詞ではなかった。


「人の命に変えられるものなんてない」


 イレネアは静かに首を横に振る。その瞳の強さに、今更ながら父の気持ちが理解できるような気がした。


「⋯⋯声が聞こえなくなってからまた来ても、イレネアの薬なら間に合うかもしれないだろ。ほら行こう」


 頑なになっているイレネアの肩をポンと叩いて、玉座の間に続く道に背を向ける。その瞬間だった。


「セウォンズ、待って」


 イレネアがカートから手を離して、俺を引き留めるように手を握った。彼女の右手からぬくもりが伝わる。


「何かを諦めるような生き方しなくていいの」


 彼女の切実な訴えが、静まり返った廊下に一際大きく響いた。


「諦めるなんてっ⋯⋯」


 そんな生き方はしていない。そう強く彼女の言葉を否定しようとしたが、音にならなかった。


 今は諦めて、未来を信じよう。そういう思考の癖がついている。そう指摘されたような気がしたから。


「⋯⋯諦めたわけじゃない」


 絞り出すように出たのは、我ながら弱々しい反論。


 諦めたわけではないなんて、本当にそう言えるだろうか。そんな迷いが言葉の語気を削いでいた。


 イレネアの捜索を打ち切られた七年前、魔王の花嫁になったと聞いた一年前、いくつもの分岐点があって、俺はその時々で諦めてきたのではないか。


 諦める理由は、色んな大人やその時の状況が用意してくれていた。

 思えば先程別れた工作員に指示した言葉も、自分の諦めの思考が反映されているような気がする。


「セウォンズ」


 イレネアが俺の名を呼ぶ。重なった手は強く握られ、諦めなど知らないとでもいうような真っ直ぐな瞳が俺を見ていた。それが見ていられなくて、俺はすっと目を逸らす。


「⋯⋯イレネアだって!イレネアだって、魔王を諦めただろ。人間としてそれが正しいと、信じて、選んだ。俺も同じだ」


 もうあんな後悔などしないために、七年間で正しさというものを学んだ。


「考えて正しい方を選ぶことを、諦めと言ってしまったら、選ぶ気力もなくなって、前に進めなくなるだろ⋯⋯」


 いつの間にか、自分でも引いてしまうほどの熱量で喋っていた。それに驚いたのか、イレネアは俺から手を離す。


「イレネア?」


 慌てた俺は彼女の顔を伺うように、逸らしたままだった顔を上げる。

 しかし、目が合った瞬間、すぐにそれを後悔した。


「セウォンズ、私たちはきっと賢くなってしまったのね」


 慈愛と悲哀が綯い交ぜになった声色。凪いだ瞳が淋しそうに細められた。


「魔王領の森を大人たちに内緒で冒険した、あの日の私たちはもういない」

「⋯⋯当たり前だ」


 別れを言いそびれたあの日の子どもたちに、会えることは二度とない。


「今日初めて会った時、セウォンズは変わらないと私が言ったの、覚えてる?」

「覚えてる。けど、変わらないわけがないんだ」


 どれだけ取り繕っても、俺自身が気づけない部分が変わってしまっている。時間経過というものには抗えない。


「でも、変わらない部分もあると思う」


「そうかな?」


「だって、七年経ってもセウォンズだって分かったもの」


「それは、見た目の話だろ」


「見た目だけなら、セウォンズだと気づけなかったわ。血まみれだし、昔では考えられないくらい、険しい顔つきだもの」


 それは少し意外な話だった。俺は倒れているその姿と相貌からイレネアだと確信を持っていたが、彼女は俺の見た目だけでは分からなかったらしい。


「じゃあ、なんで俺だって分かったんだ?」


「臆病なところがそのままだったの」


 堂々と悪口を本人に告げる彼女は、悪戯っぽく笑った。そんなイレネアの姿に、随分遠い昔になった思い出を掘り起こされる。


『どうせ臆病者だって笑ってるんだろ』


『そうね』


『否定しろよ』


 何がきっかけだったかは忘れたが、落ち込んでいた俺の元に来たイレネアに、そう八つ当たりしたことがあった。


『嫌よ』


 今と同じように、からかうように笑った彼女の両手が、俺の頬をすべり包み込んだ。


『セウォンズ。あなたは誰よりも傷つくことに対して臆病だからこそ、誰よりも人に優しくできる。そんな勇者なの』


「……なんだよ、それ」


 あの時と同じように、俺は不貞腐れたように、けれどほんの少し期待をするように、彼女に言葉の真意を訊ねた。


「そのままの意味よ。魔王を倒したのに泣いてた私に、問い詰めるでもなく、その状況でハンカチを差し出してくるんだもの」


「それは⋯⋯」


「人を傷つけることに臆病で、だからこそ優しい」


 拡大解釈が過ぎる。そう思ったが、上手く口が動かない。


「昔もそう。人を助けられなかったと傷つく私を見たくないからって、恐怖を押し殺して自分が強くあればいいと思う人なのよ。セウォンズは」


 私の勇者。そうイレネアが昔と同じように、俺を呼んだ。


「あの日と同じように冒険しましょう」


「強さには限界がある。……俺には守り切れない」


「そこは私の手品師としての才能を信じて。私は柄の分からないカードは引かないの」


「七年も行方不明になってた癖に?」


「そうよ」


「……分かった。けど、不審なことがあったら早く言って」


 イレネアの言葉に、いやかつての自分の亡霊に絆されて、玉座の間の前に戻ってくる。泣き声はやはり聞こえないが、隣を歩くイレネアが時折ピクリと何かに反応していたので、彼女には聞こえているのだろう。


 しかし、玉座の間の前の廊下に倒れ伏している人間と魔族には、特に不審な点はなかった。


「イレネア。効率が悪くなるけど、投薬を任せていいか」

「もちろん」

「ありがとう。頼む」


 イレネアが作業に取り掛かるのを見守った後、周囲を警戒しながら俺は剣を握り直す。正直、それが役に立つかは怪しいところだ。魔王に何が起こったか分からないまま剣を弾かれたのは、まだ記憶に新しい。


 なんとなく、扉の閉まった玉座の間に目をやる。


 何事もなければ出た時と変わらず、この扉の中には魔王の亡骸があるはずだ。なにせ自分がイレネアに促されて死亡を確認した。遺体が勝手に動くはずもない。



 しかし、扉を見つめているうちに嫌な予感が脳裏を過ぎる。


「イレネア」

「うん?なにかあった?」


 イレネアはこちらを見ずに作業の片手間に返事をした。集中しているところを邪魔はしたくはない。だが、急いで確かめなければならないことがあった。


「イレネア、聞こえた声ってどんな声?」

「どんなって……うーん、表現しにくいわね」


 イレネアの返答はどうも歯切れが悪かった。本当に上手く表現できない声なのだろう。けれど、そこを深掘りしたいわけではなかった。


 俺は妙な胸騒ぎを覚えながら、疑念を彼女にぶつける。


「じゃあ、なんでイレネアはそれを泣き声だと思ったの?」


 言葉に表現できないような声を泣き声だと言ったイレネア。魔王の死した状況でそれが意味するもの。早鐘を打つ鼓動をうるさく感じたその時、イレネアがぽつりと言った。


「悲しい感じがしたからよ」


 閉じられた扉が急速に不気味なものに感じられた。魔王の遺体の側に何かいるのではないか。そんな考えが脳を支配する。


「イレネア、やっぱり引き返そう。玉座の間に魔族がいるかもしれない」


 この状況において魔王の死を悼む魔族がいるとすれば危険だ。


 魔王が死を予期していたこと。そして、攻撃により即死した人間がいないこと。そのことからはじき出されるのは、事前に魔王が人間を殺さないように指示して、無抵抗に殺された可能性だ。


 それほどに人間であるイレネアに惚れていたのか。また別の狙いがあってのことなのか。


 いずれにせよ、それが記されていそうな紙切れの内容は読めていない。


 しかし、この仮説全てが正しい場合、泣いている魔族は魔王に何の指示も受けていなかった可能性がある。それは人間を殺すことを厭わないことも同時に意味している。


「イレネア、早く」


「落ち着いて。もうすぐ全員に打ち終わるから。大丈夫。魔王を倒した私に死角はないわ」


「……俺はその魔王を倒したところから疑っている」


 俺が唸るようにそう言うと、初めてイレネアの手が一瞬止まった。

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― 新着の感想 ―
イレネア捜索の打ち切りも、イレネアがいなくならなければそもそもそんな事起きなかった。 花嫁の件も、イレネアが魔王に惚れなければ諦めなくて良かった。 何かを諦めるような生き方を選択させたのは全部イレネア…
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