8.王族と手品師
俺の心情をよそに、工作員の一人が恐る恐るといった様子で死んだ魔族に近づいて脈拍を確かめた。やがて他の四人を振り返り、一つ頷く。彼らの表情は途端に明るいものへと変わった。
「イレネア様、その心根を疑い申し訳ございませんでした。この場の魔族への毒の投薬や、目覚めた者への説明は我々にお任せください」
「助かるわ。私とセウォンズは、この先に進む。カートの薬品と注射器は多めにこの広間に置いていくから使って。でも、みんなの目が覚めて一通りの説明と魔族への投薬が終わったら、一度私たちも合流する……。そうね、今から一時間ほどでここに戻ってくるわ」
「かしこまりました。セウォンズ殿が付いているとはいえ、お気をつけくださいませ」
「ええ。あなた達も」
イレネアは伝えるべきことは伝えたとばかりに、薬品と注射器の整理のために壁際に置かれたカートの方に歩いていく。それを横目に俺は工作員の一人に小声で指示を出した。
「一時間経って戻らなければ、イレネアの危機と考えて誰か迎えに来てほしい。人選は任せる。なるべく腕が立つやつを一人だ。もしそいつも戻ってこなければ、……夜が来る前に逃げろ」
「何を言います!我々も戦いますよ」
俺の意図を汲んで小さな声ではあったが、はっきりと反対の意を示す彼に、俺はさらに声を低くした。
「冷静に考えろ。魔族が本気になればこの場に伏している者では敵わない」
ここにあるのは偶然イレネアの薬で助かっただけの命。この優位な状況に気分が高揚するのは分かるが、魔族と人間の根本的な力関係は覆らない。
彼らのやる気をむやみやたらに削ぐのは本意ではないが、あらかじめ釘をさしておいた方がいいと判断しての忠告だった。
俺の言葉を受けた工作員が恐らく無意識に自身の腹を撫でる。そこにはイレネアの薬により綺麗に塞がった傷跡があるのだろう。
「しかし、それではイレネア様を見捨てることになるのでは……」
それ以上の言葉が見つからなかったのか、そこで口を噤む工作員。しかし、迷いながら発されたその台詞の意味を違えるほど愚かではない。
自分たちの命を救った一国の姫を生死不明のまま見捨てる。
そんな決断、一介の工作員が出来るはずもないと言われれば、確かにそれまでだ。
だが、せっかく助けた命を無駄死にさせるわけにはいかない。
「見捨てるわけではない。この遠征の指揮官である俺が生死不明になったのであれば、作戦行動の継続は誰がどう考えても不可能。体制の立て直しのための一時帰還というのは妥当な判断だろう」
「そんな屁理屈が通じるとお思いで?」
「思わない。だが、押し通せ」
「そんな無茶な」
「下手に口裏を合わせようとすれば、ボロが出るぞ。帰還後の事情聴取では、都合よく話そうなどと思わないことだ。起きたことは正確に、けれど行動の正当性はきっちり主張しろ。恐らく命は助かる。汚名返上など後回しでいい」
「イレネア様を見捨てる判断が正しいと?」
「助けるための立て直しだと言ってるだろ。それに、この遠征は近々行われる対魔族大戦の威力偵察として国に許可されたもの。イレネアの救出は元より俺の独断だ。イレネアを優先すべきだったと言う馬鹿には、七年前に帰れとでも言っておけ」
行方不明になったイレネアの捜索が打ち切られた日、俺がそれをどんなに主張したか。それを知らない軍部の人間などいない。工作員は俺の言葉の強さに気圧されて、渋々と頷いた。成り行きを見守っていた他の工作員にも、分かったなと目配せする。
「セウォンズ、薬品と注射器の仕分けが終わったわ。先へ行きましょう。……何か取り込み中?」
「いや。もう終わった」
「セウォンズ様」
「ああは言ったが、さっきの話はあくまでも最悪の場合の話だ。俺は魔王の死を確認してる。……俺たちは勝ったんだ。そうだろ?イレネア」
「ええ。残党はいるけれど、いずれ魔族は滅ぶ。約束するわ」
イレネアが淡く微笑む。微妙にズレた回答だったが、溢れるその自信に工作員も励まされたのだろう。切り替えるように頭を下げた。
「そういうところは王族らしいな」
広間を出て次の負傷者の元へ向かうなか、少なくなった薬品と注射器がのったカートを押すイレネアは小首をかしげた。
「どんなところ?」
「うーん。約束に躊躇がないところ」
「王族は無責任ってこと?」
ぎょっとするような拡大解釈。誤解で王族に不敬を指摘されるほど怖いことはない。ただ彼女の問いに、俺の言葉を咎めるような剣吞さはなかった。
「言い方を間違ったよ。約束により生じる責任を負うこと。それに対して躊躇がない。そう言いたかった」
「それが王族らしいの?」
「上手くは言えないけどね。そもそも、イレネア以外の王族は良く知らないし」
責任逃れの台詞をわざとらしく口にする。それにイレネアが笑った。
「実際のところは別として面白い考えね」
「実際は別なの?」
「そうね。王族は手品師みたいだと思ったことならあるわ」
謎かけのような組み合わせに今度は俺が首をかしげた。共通項が全く思い至らない。そんな俺を可笑しそうに見つめるイレネアに、降参とばかりに両手を上げた。
「生き方がまるで違うだろ」
「そう?もう少し考えてみてもいいんじゃない?」
「お手上げだよ。さっぱり分からない」
「手品師がカード裏の柄を当てると約束したなら、どんなに難しそうに見えても既にその手段があるものでしょ。王族も同じ。不可能そうな約束に見せているだけ。王族だもの、一般人が思いもよらない手段はいくらでもある」
「そう言われると、そういう風にも思えるな」
「そうでしょ。手品を覚えると何度も人に見せて驚かせたくなるのが人間というもの。王族が約束に躊躇がないように見えるのはそのせいかも」
「なるほど、面白い考えだな」
イレネアを真似るように相槌を打つ。イレネアの薬草話は理解に苦しむが、こうした問答から拾える彼女の感性には、いつも心惹かれるものがあった。
「あ、セウォンズ。あそこに人が。行きましょう」
足を早めるイレネア。その姿だけを見ていると彼女の言動には裏がないように見える。けれど、彼女に手品師である自負があるのであれば、それはただそのように見せているだけなのかもしれない。
投薬作業に慣れてきたおかげか、そんなに時間をかけることなく、玉座の間までの道を戻っていく。道中には十数名ほどが倒れていたが、いずれも薬による回復を果たした。
「これで五十人くらい?」
「城内への救出作戦に参加したのは六十名だ。あと十人弱だろう」
「それなら、玉座の間の前で倒れていた人たちを助ければ、大体全員になるかしら?」
「……そうだな」
しかし、それが全員かと問われると歯がゆいものがあった。ここにたどり着くまでに失った四十名ほどの命。合わせて百名。それが本当の数だ。
「どうする?一度戻るか?」
「約束の時間まであと二十分ほどね。十人弱なら待たせることにはならない。進みましょう」
「なら、少し急ごう」
早足で玉座の間の前に戻る。しかし、隣でカートを押すイレネアの歩みが不意に止まった。
「どうした?」
「……泣き声よ」
そう言われて耳を澄ませるが、それらしき音は拾えない。やはり泣き声は俺には聞こえないようだ。
「引き返そう」
「セウォンズ……」
イレネアは秘密の作戦を抱えている。それが何かは分からないが、彼女の涙に免じて今のところは信じると決めた。
しかし、この様子からして、泣き声は彼女の想定外のもの。そうである以上、歓迎すべきことではない。引き返しは妥当な判断だ。
「……駄目よ。引き返すことはできない。まだこの先に瀕死の人間がいる」
「その泣き声に検討がついていない以上、俺は反対だ。それとも、泣き声に心当たりがあるのか?」
「それは⋯⋯」
イレネアは眉を下げて口をつぐむ。あと、一押しすれば説得できる。そう思った。
「残りは十名弱。非情な判断に聞こえるかもしれないが、そのために危険を冒すわけにはいかない。ここで引き返そう」