6.薬草博士のお姫様
「そうみたいだな」
使い終わった針をカートに置いてしばらく様子を見守る。その間手持ち無沙汰だったため、全員の腹を確かめたが、全員に同じような傷跡が残っていた。
「全員同じ奴にやられたのか?」
戦い方にはどうしても個人の癖が出る。それは魔族も同じだ。どの急所をどうやって狙うか、本人も無意識にパターン化されている。
「……あ、せ……ん…、ちが」
「おい、喋っても平気なのか?」
何か語り掛けるように言葉を発した工作員。上手くは聞き取れなかったが、俺の言葉を否定したかったように聞こえた。
「待って。私が診るわ」
イレネアが工作員と俺の間に割り込む。工作員の言葉の真意は気になったが、俺は大人しく身を引いた。
「脈は正常。手を握れる?……そう、上手ね。名前は?言える?」
「……サデル」
「意識もはっきりしてる。もう大丈夫よ」
「貴女は……」
「イレネア。あなたたちが助けにやってきたお姫様」
「なんとっ」
感極まったかのように言葉を詰まらせた工作員は、次いで慌てて起き上がる。そのまま座ったままではあるが、うやうやしく頭を下げた。
「このような姿でお目を汚し申し訳ございません」
「顔を上げて。堅苦しいのは苦手なの」
「はい」
「それと、病み上がりのところ申し訳ないけれど、貴方とそこの四人に手伝ってほしいことがあるの。まずは状況を説明するわ」
イレネアは魔王が倒されたこと、魔族の残党が活発化する前に、瀕死の状態でも生きている者は救いたいこと、そのための投薬について手早く説明する。
「分かりました。そうとあれば、すぐに行動を開始しましょう」
「助かるわ。四人が起きたら同じ説明をしてあげて。私たちは先に広間に行っているから」
「待て、魔族が戻ってきても彼らだけでは抵抗できない」
「セウォンズも彼らが動くなら夜と言っていたでしょ?それに賭けましょう。一人でも多く救おうとするなら、多少のリスクは仕方がないわ」
「そうです。この場はこのサデルにお任せください。姫様が救ってくださった命です。決して無駄にはしません」
イレネアに加勢する形で腕に小さな力こぶをつくるサデル。こうなると、強く反対はできない。俺はもう一度魔族の気配がしないか神経を張り巡らせたが、それらしいものは検知できなかった。
イレネアほど確信が持てないが、夜になる前に奇襲されることは本当にないのかもしれない。
「……サデル、無理はするなよ。戦いは終わったんだ。残党狩りに生き急ぐ必要はない」
「肝に銘じます」
彼が真面目に頷くのを見て、俺はイレネアを振り返る。
「じゃあ、行こうか」
「ええ。この調子なら夜も乗り越えられるはずよ」
自信たっぷりにそう言い切るイレネア。回復薬の効果がなければ、夜が来る前に俺一人で彼女を連れて魔王領を脱出することもプランにあった。けれど、それを提案するまでもなさそうだ。
「イレネア」
「なに?」
「イレネアが薬草博士で良かった」
「調子のいいこと言っちゃって。最初に出会った頃は、お姫様が草いじりなんてって、すごく剣幕だったのに」
「そうだっけ」
「そうよ」
「全く覚えがない」
そもそも出会ったのはお互いが五歳の時。もう十年以上も前の話だ。そうでなくとも、物心のつき始めた時期の記憶は往々にして忘れやすい。
「けど、間違ったことは言ってないな。一国のお姫様がすることではない」
「あら?イレネアが薬草博士で良かったって言ったのは、噓だったの?」
「それとこれとは別だよ。良かったというのは、今の状況に対してだけの話だから」
「どう違うの?私が昔から薬草博士だから、今がある。私が箱入りのお姫様だったら、偶然すごい回復薬を持ってるなんて奇跡、起こらないんだから」
偶然。その言葉に魔王の言葉を思い出す。『偶然の産物など存在しない』と、強く講釈をたれながらこちらに攻撃を繰り出す冷たい瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。
しかし、偶然は存在しないというのは間違いだ。
戦士としてなら、失敗や敗北を偶然で片付けることは愚かだと思う。負けた理由は自分の中に見出さなければ、同じ轍を踏むだけだ。けれど、この世には偶然が確かに存在するのだ。
例えば、イレネアが幼い頃から薬草に関心を持っていたのも、偶然の一つだ。イレネアがたまたま持ち合わせていた特性に過ぎない。そこには何の必然性も存在しない。
「納得いかないって顔ね。セウォンズは最初こそ苦虫を嚙み潰したような顔してたけど、最後の方は自分から積極的に護衛兼案内役をかって出てたの。覚えてる?」
「覚えてるよ。でも、若気の至りって分かるだろ。イレネアの護衛役だって今回が最後だ」
「へ?セウォンズは私の護衛騎士なのに?」
「なにをとぼけたこと言ってるんだ。イレネアはここから帰れば、お城でお姫様らしく平穏な生活を送る。王城の近衛兵に守られて。俺は辺境伯の一人息子。専属の護衛騎士なんて出来ない」
「私だっていまさら深窓のお姫様なんて出来ないわよ」
自慢げに宣言するイレネア。そんな自由すぎるお姫様に惚れたのは事実。だが、それに流されるわけにはいかない。
「……イレネア。俺は大真面目に言ってるんだ。今回で薬草博士は引退して」
この回復薬を開発した功績だけで、薬草博士としては充分過ぎる実力を示せる。これ以上の手柄はお姫様には不要なものだ。
俺の真剣さが伝わったのか、イレネアが少し俯く。
彼女だって、己の立場を理解していないわけではないだろう。また、自分の我儘で勝手に出歩いて、行方不明になるなど目も当てられない。もう無鉄砲な子どもではないのだ。
しかし、彼女は再び顔を上げると、首を横に振った。
「イヤ」
「え?」
「絶対に引退なんてしない」
強くこちらを見上げる瞳。頑固として譲る気がないその勝気な表情に、こちらも負けじと諭すように名前を呼ぶ。
「イレネア」
「そもそもセウォンズの思い描くような帰還にはならないわよ」
「どういう意味?」
「私が人間の姫なのか、魔族の姫なのか、みんな分からない。全面的な歓迎ムードとはいかないわ。王城に足を踏み入れることができるかさえ怪しいと私は思ってる」
「そんな……」
「そんなことないと思う?」
俺の言葉に被せてイレネアが問う。大事な意思決定の際、彼女は俺との口論に負けたことがなかった。昔のように口八丁手八丁に俺を丸め込むつもりなのだろう。
しかし、彼女の言い分に穴がないわけではない。
「イレネアは魔王を倒した。今も薬で多くの人間の命を救ってる。人間側である証拠には充分じゃないか」
「でも、セウォンズも私を疑っているでしょ」
巧妙な論点ずらし。俺が疑ってないと彼女に対して嘘をつくことができないと知っての台詞だ。
「……何か隠し事があるとは思ってる」
「ほらね。私がお城で大人しくしてるとすれば、それは幽閉生活なのよ。違う?」
「否定はできないかな」
「そうでしょう?私が国のお姫様の座に返り咲くなら、もっと大勢の人に、魔族と対立関係である根拠を、目に見える形で示さなければならない。民が信じるからこそ、王族は王族なのだから」
彼女の矜持が垣間見える一言に、自然と背筋が伸びた。薬草博士を引退したとて、お飾りのお姫様でいるつもりはないらしい。
個人としてそれは応援したい。
しかし、一度広まった噂を覆すというのは難しい。
イレネアが魔王の花嫁になったという噂の出所は不明だ。誰かの創作話に尾ひれがついて、偶然広まった説が濃厚と言われている。
そのような不確かな情報でも面白ければ信じるのが民衆だ。似たような童話が昔からあることも、この噂が独り歩きするのを助けている。
「少なくとも俺はイレネアの隠し事を話してくれれば、それだけで信じられるけど」
思わずこぼれ出た本音。何の解決にもならない余計な思考だ。けれど、イレネアは目を細める。
「女の子の隠し事の一つや二つ許容できないなんて、モテないわよ」
こちらをからかう言葉に反して響きが優しい。くすぐったくなるようなニュアンスを含んでいる。
「あれ?さっき俺のこと好きって言ったの誰だっけ?」
調子に乗って反射的にそう言うと、イレネアはクスクスと声を上げた。