5.蘇りの薬
イレネアの質問に俺は渋々と口を開いた。出来るだけ感情をのせないように、言葉を選びながら話すことを意識する。
「おそらく魔王城の入り口だ。戦闘には向かないから、城外から魔族の増援が来ないか見張りに立たせていた。けど、城内を進んでいく中で彼らからなんの知らせもないうちに、後方から魔族の増援が現れたんだ。推測するに、入り口でなすすべもなく死んでる」
「では、まずはそこに向かいましょう」
「イレネア。魔族の攻撃は一撃で致命傷になる。増援によって人間と魔族でごった返していた広間なら、運よく生きている奴もいるかもしれないが、五人しかいなかった場所で魔族が生きてる人間を見逃すはずがない。彼らは死んでるよ」
「……そうね」
返事には間があった。言い方を間違ってしまったことを自覚する。イレネアの救出のために人間が死んだ。そう聞こえてしまったかもしれない。
しかし、イレネアのせいでは決してないのだ。俺があの日イレネアを一人で行かせてしまった。そのために今回の遠征があり、その結果人が死んだ。全て俺だけの責任だ。
「あー、えっとイレネアが気に病む必要はない。別の場所から回ろう。俺みたいに多少不器用な奴でも、教えてもらえれば注射を扱えるようになるんじゃないか?」
誤魔化すようにそうおどけてみせると、彼女の紫の瞳が真っすぐに俺を射抜く。
「いいえ、魔王城の正面入口に」
「イレネア?」
「回復薬と言ったけど、それはほぼ蘇りに近い域の回復が可能なの。だから、大丈夫」
「蘇り?そんなものあるわけ……」
「信じられない?薬草博士に不可能はないのよ」
不可能なことは何事にもある。そう反論するため口を開こうとした。俺の唇を彼女の人差し指が制する。
「セウォンズ。時間はあまりないわ。夜になれば月が出る。今は倒れている魔族も息を吹き替えす可能性がある。その前に死傷者をできるだけ治癒して、手分けをして倒れてる魔族に念のため特効薬を打つの。何年も考えてきたことよ。この作戦に一番詳しいのは私。今は私の話を信じて」
その声音の真剣さに気圧されて、俺は思わず押し黙る。彼女のことを完全に信じることは出来ない。しかし、死体に薬を打つことに、人間を陥れる大きな思惑があるとも思えなかった。
むしろ、そんな奇跡的回復を果たせる薬があるのか、死体で試せるのであればローリスクハイリターンと言っていいだろう。
「分かった。行こうか」
俺が頷くと同時にイレネアは指をそっと下す。そのまま医療カートを押すように背を向けた。それを受けて、俺は再び鉄の扉を開ける。その横を当然のように歩くイレネアに、彼女の護衛役だったあの頃に戻ったような感覚を得た。何も言わなくても彼女の意図を汲み取れること。それは、かつて俺の自慢の一つだった。
扉を通り抜けた彼女の背を追いながら、無意識に彼女が触れた唇へと手が向かう。そういえば、あの時も怪我をした俺の唇に指をあてながら、一人で大人たちを呼んでくるのだと言っていた。
そう考えた途端、温かかった気持ちに薄ら寒い気配が忍び込む。
「セウォンズ?どうしたの?」
「……いや、何でもない」
結局、この薬品庫が何の秘密を抱えていたのかは分からずじまいだ。回復薬の真偽も不明。彼女の行動意図さえ、読み取れている自信がない。
懐にしまった魔王からの手紙から嘲笑が聞こえるような気がした。
『お前にイレネアは任せられぬ』
どんな言葉で惑わされるか分からない。しかし、もう既に手紙を開封したい誘惑には抗えそうになかった。
魔王城の入口までに、同胞と魔族があちらこちらに倒れ伏していた。どう見ても死んでいるように見えたが、イレネア曰く後回しにしても助かるらしい。
魔族の奇襲を想定して、カートはイレネアに押してもらい、俺は倒れていた同胞から拝借した剣を構えて進んだ。しかし、特に不審な動きはない。
それはとても不気味に思えた。戦いの終わったばかりの戦場というのは、このような静けさに包まれている場所ではない。
怪我に苦しむ声や助けを求める声、何とか動こうとする音や戦線離脱する動きを見せる人影があったりと、普通であれば静けさとは無縁の場所になる。
何もないというのは変だ。
動ける人間も魔族もいないというのであれば、この場にいた両者全てが相討ちになったということになる。
そんなことは現実に起こり得るだろうか。
魔族の残党がこちらに気取られることもなく、どこかに潜んでいる可能性の方がまだ高いように思える。
しかし、魔王はイレネアに殺されるのを読んでいたかのような手紙を残した。この状況さえ魔王の何らかの意図により作り出されているかもしれない。
「やはり動くとすれば夜か」
月明かりは魔族の力を増幅する。そのため、魔族との戦いは日中での短期決戦勝負が基本だ。長期になれば、人間側が不利になる。
物思いにふけっているといつのまにか、入口が見えてきた。その脇には倒れ伏す何人かの人影。
「セウォンズ、あの人たちが工作員?」
「そうだ」
俺はイレネアより少し先を行き、周辺の気配に神経を研ぎ澄ませる。倒れている魔族は見当たらないので、入り口から来た増援の魔族たちに工作員は一方的に蹂躙されたのだろう。
「魔族の気配はない」
「ありがとう。じゃあ、早速はじめましょう。セウォンズにもやり方を覚えてほしいから、よく見ててね」
イレネアが人間用と書かれた薬瓶の中身を少量注射に移す。
「一回の量はこれくらい。目盛りもついてるから、慣れないうちは少しずつ、ここを見ながら量を調節して。まあ、少ない分には二度刺ししても問題ないはずよ」
「多すぎる場合は、どうなんだ?」
「この注射の容量内の誤差なら、副作用はあるけど死にはしないわ」
大雑把な言い方だが、それなりに薬の効果について実験しただろうことは分かる。
副作用とは何か聞こうとしたが、イレネアは薬の入った注射針を持って、倒れている工作員の一人に近寄ったため、まずはやり方を覚えることに専念することにした。
「見たところ、どの工作員も腹部からの出血で気を失ってる状況ね。まず、脈を確認しましょう。これはセウォンズも出来ると思うから、手伝って」
「もちろん」
イレネアが手前から見ているので、俺は奥に倒れてる工作員の方へと近づいた。
俺が脈を診るために腕を取った工作員も腹に致命傷を負っている。脈はあるようだが、微弱。この出血を止められない以上、普通であれば死を待つだけ。
「どう?」
「まだ脈はあるが、この出血を止めないと助からない」
「脈があるのであれば、大丈夫。見ていて」
工作員の腕に注射針を当ててみせるイレネア。その手つきは小慣れている。
「ここからが少し難しいのだけど、血管を見つけて、そこに注射を打つの。こればかりは器用さと経験が物を言う。けれど、今は患者の意識がないから、抵抗されたり、邪魔されることがない。落ち着いてやれば出来るわ」
説明をしながらも注射により薬が少しずつ投与されていく。工作員が意識を取り戻す様子もない。
「これで終わり。しばらく安静にするために、横たえておきましょう。あと、注射針は一回使ったら洗うまで使わないで。どんどん新しい針を使えるように用意はあるから」
「分かった」
「さて、あと四人ね。二人やってみせるから、その後、セウォンズも挑戦してみて」
手際の良いイレネアに習ったおかげもあり、俺も無事に二人に注射を刺せた。緊張で手が震える性分ではないのが幸いしたようだ。
「これでとりあえずこの五人は大丈夫。そろそろ一番はじめに投薬した人の意識が戻るはず」
「本当か?」
「無理を強いて人間の治癒能力を魔族並みに上げる薬なの。傷は塞がり、臓器は修復されるけど、相応の痛みが伴う。寝てなんかいられないわよ」
その時、イレネアの言葉がまるで聞こえていたかのように、工作員の一人が身じろぎした。
「うっ」
「ほらね」
工作員が苦しそうに咳をする。しかし、顔色は先程よりもずっと良い。虫の息だったのがまるで嘘かのような回復。
「薬草博士っぷりは健在か」
「魔王を一発で仕留めたこの私に不可能はないわ」
正直、そこは魔王がわざとイレネアに殺されてやったのではないかと疑っている。しかし、口にはしなかった。代わりに咳き込む工作員の目の前に膝まづき、肩に手を置き声をかける。
「おい、俺が分かるか」
俺の声に反応した工作員はなにか伝えようと顔をゆっくりあげたが、その無理がたたり激しく咳き込んだ。
「あと、三分くらいはその状態ね」
「すまない。返事はしなくていい。……傷口をみさせてくれ」
真っ赤に染まった腹部は、服の上からでは傷口が塞がったのか確認ができない。そのため、形だけ断わりを入れて服をめくった。
「……すごいな」
おそらく魔族に切り裂かれただろう大きな傷跡はあったが、綺麗に傷口は塞がっていた。それは確かに魔族の化け物じみた治癒能力そのものだ。生きていれば瀕死でも回復するという魔法みたいな薬。その存在が、現実味を帯びる。
「げほっ」
他の四人も咳き込み始めた。それを見て、イレネアは微笑みをこぼした。
「作戦成功ね」