19.今後の話
「どうして?」
イレネアが理由を問う。だが、魔族の力を必要としてはいけないのではないかという俺の意見に、大した理由はない。
「イレネアの言うような良い使い方もあるとは思うけど、剣でさえ悪い使い方をする人が多くいるこの世界には、強大な力過ぎるように感じる」
事実として、そんな強力を持つ魔族が理由もなく人間を襲う。非道な使われ方をしている。
「過ぎた力は悪いことに使いたくなるってこと?」
「どんなに力を手に入れても、人間は弱い生き物ってことかな力を手に入れれば、使いたくなるという根本を覆せるほど、人間はきっと強くない」
妄想の域を出ないが、俺は思ったことをイレネアに伝えた。言葉を受け取ったイレネアは、意味を咀嚼するように黙り込む。
「なんて、イレネアの回復薬に助けられてるのに、どの口が言うんだって感じだけどね」
「ううん。ありがとう。セウォンズの意見が聞けて良かった」
「どういたしまして。⋯⋯魔王を燃やすか迷った?」
半グレ魔族が欲すると言うからには、魔王の遺体は魔族化の研究に相当役立つのだろう。
情があるにしろないにしろ、研究者気質なイレネアのことだ。貴重な研究材料を燃やすということに抵抗があっても不思議ではない。
しかし、そんな俺の考えを間を置かずして、彼女は否定した。
「いいえ。それは最初から決めてたことだから」
俺の言葉に動揺の一つさえ見せない、凪いだその表情には決意が浮かんでいる。
イレネアは身体を乗っ取られたと言っていたけど、愛してると言ったあの瞬間以外にも、俺は言葉の節々から魔王が好きなのではないかと感じていた。
彼女は嘘つきなのか、好きなのに無自覚なのか、それは結局分からない。
それでも彼女が色んな話をしてくれたことで、俺も決意ができた。
「イレネア。告白の返事なんだけど」
切り出した側から、緊張で喉が渇くのを感じながら、最後までなんとか話そうと唾を飲む。
「無事に魔王領を出れたら、ちゃんと話すから、待っていてほしい」
彼女の告白が嘘だとしても、この初恋に俺は答えを出さなければならない。
「うん。分かった。待ってる」
そう彼女が頷いた。俺は次の言葉を探したが、特に何も浮かばなかった。イレネアもうつむいて何も話さない。
俺はそのしばらくの沈黙に耐えられなくなり、「行こうか」と手を離した。
しかし、歩き出そうと玉座の間の扉の方を改めて見ると、ラネルとツノーノがニヤニヤしながら、こちらを見つめていることに気づく。
「⋯⋯お前ら、うるさいぞ」
「えー、ボク何もまだ話してなかったのにー」
「そうですよ。お二人をただ黙って見守っておりました」
「視線がうるさいんだよ。歩きながら、この後の動きを確認しよう。イレネアも協力してくれ」
気持ちを切り替えるため、そう提案すると三人が俺の横に並ぶ。
「まずは魔王城に火をつける導線の確認をしたい」
その言葉を皮切りに相談をしながら、玉座の間を出て広間に戻った。
すると、一番最初に助けた工作員が喜びの涙を浮かべて俺たちを出迎える。部屋を見渡すと先程まで伏していた人間も、立ち話に花を咲かせていた。
しかし、後ろの方に立っていた目立つピンクのメイド服を着た女に気が付くと、一様に不信感を露にする。
「予定時間を過ぎても戻らないので、ラネルに行かせましたが、皆様全員無事で良かったです」
「悪い。少し想定外のことがあって」
「それは……後ろの御仁のことで?」
探りを入れるようにそう訊ねられ、俺はツノーノを盗み見るが、窓枠から外を見つめて我関せずといった態度だ。助け舟を出す気はないらしい。
思わず溜息が漏れる。それを誤解した工作員が慌てた様子で頭を下げた。
「出過ぎた質問をしました。申し訳ありません」
「いや、お前に怒っているわけではないんだ。ただ、説明が難しい」
そもそもツノーノの素性については、俺も説明を受けたが良く分かっていない。話をまとめるとデモルカという地域でそれなりに戦果を上げた武人ということなのだろうが、如何せん恰好から説得力がなかった。
「……上手くは言えないが、魔王城に使用人として捕らわれていたらしいんだ。イレネアとはこの七年間で旧知の仲と聞いている」
一から説明するのも、それに対して理解を得るのも難しいだろうと判断し、イレネアが用意してたという設定を話す。この時になってようやく、俺に隠し事をするイレネアの気持ちが分かってしまうのが嫌だった。
「なんと……」
俺の言葉に目を丸めて驚く工作員。その後ろで聞き耳を立てていた仲間たちもざわめき出す。
「おいおい魔王って人間の女が趣味なのかよ」
「イレネア様も別嬪だから、顔の好みで人を攫ってるのか」
小声で下世話なやり取りが繰り広げられ、勝手な噂が広まっていく。説明が難しいと言った部分が都合よく拡大解釈される光景に、イレネアも俺にそう望んでいたのだと思うと、少し感傷的な気分になった。
「セウォンズ様。そうであれば、彼女はイレネア様と同じく保護対象ということでよろしいですか?」
この場に巻き起こるざわめきを封じるように、工作員が保護対象という言葉を強調しながら、ツノーノの扱いについて俺に確認をする。
「ああ。名前はツノーノ。ここからは遠いデモルカという地域出身の平民らしい」
「デモルカ……?」
ツノーノの出身地だという場所の名に小首を傾げる工作員。
「知っているのか?」
「いえ……知らない地名でしたので。工作員として地理的知識は網羅しているつもりでしたが、勉強のやり直しが必要ですね」
「気にしなくていいんじゃないか。ツノーノ本人も人に知られていない地域だと言っていた」
「お気遣いありがとうございます。ところで、もうすぐ日が暮れますが、この後はどうなされますか?」
工作員の言葉で、場に緊張が走るのを肌で感じながら、俺は声を張り上げる。
「その話は全体にしよう。皆、よく聞いてほしい」
この後のことについては、広間に戻る途中で相談済みだ。俺が考えるべきは、その内容を如何にして彼らに短時間で納得してもらえるよう話すか。
「直近のやるべきこととしては、魔王城を燃やしたい。その後は夜間の移動にはなるが、森を目指して馬を走らせる予定だ。危険だが、魔王城に留まるよりは良いと判断した。森で一晩明かした後は、一度辺境領に戻る」
「待ってください。魔王城を燃やせば、悪目立ちします。森まで撤退する前に死にますよ」
さっそく想定していた質問が飛んだ。
一度は瀕死状態となり、そこから蘇るようにして回復した彼らは、魔族の強さを身を持って実感している。イレネアを前に士気は高いが、いざ魔族を目の前にした場合、及び腰になるのは目に見えていた。
彼らもそれは自覚している。だから、魔族を挑発する行為は出来るだけ避けたいと願うのだ。
「そうですよ。それに、この場の魔族の死亡はイレネア様の薬を使用後に確認済みです。燃やさなくても問題はありません」
声を上げた兵に加勢するようにもう一人が声を上げる。その主張は尤もだ。俺も半グレ魔族という奇妙な話さえなければ、そうしたところなのだから。
「それについては、私から説明しましょう」
俺でさえ半信半疑な内容を仲間に信じさせるという難題に、頭を抱えそうになりながらも口を開こうと思ったその時、イレネアが俺の前に進み出た。
「イレネア?!」
事前に打ち合わせた内容にはなかった行動。しかし、この場に彼女のことを止められる人間はいない。
「魔王城を燃やすことについては、私が提案しました」
なぜよりにもよってそれを言ってしまうのか。今日何度目のことか分からないが、真意の分からない彼女の言動に、俺は祈るような気持ちで、その背中を見つめた。
「これを言えば、私の個人的な復讐心から生まれた無責任な話のように捉える人もいるだろうと、セウォンズには言われました。ですが、私を助けにきてくださった皆様に、私は忠実でありたい。そう思っています」
そこで言葉を区切ったイレネアは一人一人と目を合わせるように広間を見渡した。
「私が魔王の花嫁と噂されているのは承知の上ですが、それは事実ではありません。私は魔族の根絶と人間の繁栄を願う者として、今日という日を七年間待ち望んでいました」