18.魔族の力
イレネアの身体に憑依する何者かの存在と、それに惹かれた魔王という構図があったのではないか。ツノーノはそう言いたいのだろうが、とても理解しがたい話だ。
しかし、これに関してツノーノやイレネアを今問い詰めても、ほしい答えは返ってこないのだろう。
「ところで先程、魔王の死により結界が破れて、半グレ魔族が乗り込んでくると仰りましたか?ツノーノ殿」
黙って考え込みはじめた俺をよそに、話が途切れるタイミングを窺っていただろうラネルが新たな話題を切り出す。
「そうだよ。ご主人……いや、もういいか。イレネアも言っていたけど、魔族も一枚岩じゃないって話。一番厄介なのが人間と協力関係を結ぶ半グレ魔族なんだ」
「人間と協力関係?それはまた興味深いですね。もちろん、貴女とイレネア様の関係も気になりますが」
そのラネルの言葉に、ツノーノは待っていましたと言わんばかりに口を開く。
「ご主人ってやつのことなら、イレネアがそう呼べって言ったんだよ。他にも、人間の女の子っぽい恰好の方がいいとか、魔族に仕方なく従っていた人間の使用人設定でいけとか」
無駄に凝り性で注文が多い。そう大げさに嘆くツノーノに、イレネアは俺から手を放して腕を組むと、強く睨みつけた。
「それを言うなら、私は貴女に眷属を名乗れとも、派手なピンクの服を着ろとも、玉座の間で合流しようとも、勇者を挑発しろとも、一切言ってないと思うのだけど」
「そうだっけ?まあ、いいじゃん。面白かったから。イレネアも画策してること全部裏目に出て、勇者に疑われてたし。ボクの登場はちょうど良かったでしょ。むしろ、感謝してほしいね」
ツノーノはイレネアの睨みに全く物怖じせずに言い返す。
どうやらツノーノとの出会いの一連は、イレネアの意思ではなく彼女が面白半分に行動した結果らしい。それにしては殺意が高く、死を覚悟する瞬間もあったが、それもツノーノに言わせれば面白かっただけだと返されてしまいそうだ。
「ボクがいなかったら、イレネアの計画は今頃きっと頓挫してたよ。勇者に見捨てられて」
「それは……仕方ないじゃない。暗殺者やその他敵対勢力がいて、セウォンズの仲間に紛れてるかもしれない。それに、セウォンズにだけ話すにしても、全員に回復薬を使用した後がいいと思ったの。きっと、その前に話してたら、セウォンズは優しいから、回復薬を使っていい仲間かぐるぐる考えてしまいそうだもの」
「それで疑われてたら、世話ないよね」
「私の七年間にしても、貴女の存在にしても、突拍子もない話ばかりでしょう?黙ってた方が勝手に都合いい解釈をしてくれると踏んだのは、間違いじゃないと思うわ。私の口が勝手に愛してるなんて言わなければ、きっとセウォンズも私を疑わなかったはずだもの」
「それなんて言うか知ってる?自惚れって言うんだよ?」
「貴女こそ軽率って言葉を知ってるのか疑問ね」
いつの間にか口論を始めた二人に、俺とラネルはどちらからともなく目を合わせた。剣をおさめた俺が黙って拳を出すと、ラネルもそれに習う。それを一度引く手振りに合わせて、それぞれもう一度手を前に出した。次いでラネルは口の端を釣り上げる。無言のじゃんけんは、俺の負けだ。
「おい」
「なにっ、勇者。イレネアいじめるなって?」
「セウォンズ、手出し無用よ」
「どっちでもいいけど、半グレ魔族の話の続きを聞かせてくれ」
俺の言葉にツノーノが思い出したように「あー」と声を上げた。その心底面倒くさそうな声色のまま首を傾げる。
「……ボク、どこまで話したっけ?」
「人間と手を組む魔族がいるという話よ。問題は平和に共存しようとか、そういう良い意味での手の取り合いじゃないこと」
イレネアがツノーノに代わり、続きを話し始めた。その表情は先程までと違い、険しさが滲んでいる。
「彼らは人間を魔族にする方法を探して、世界の支配を目論んでいるの」
「人間を魔族に……」
スケールの大きい話に言葉を失う。そもそも人間と魔族には、魔力の有無という越えられない壁がある。魔力の根源については、色んな学者が時代を跨いで研究しても、一切の答えが出ていない分野だ。
「とても現実的な目論見とは思えない……」
「ところが、最近はそうでもないって話さ」
得意げにそう言ったツノーノに「どういうことだ?」と尋ねると、「勇者は察しが悪いなー」とストレートな悪口が返ってくる。
「なるほど。魔族が自ら人間の実験台になってるということですか?」
「ビンゴ!やるじゃん、眼鏡」
「察しの悪い男は嫌われますからね」
今度はラネルの遠回しな悪口が飛ぶ。それから逃れるように、俺はイレネアに話を振った。
「イレネア。魔族が実験に協力して、魔力についての研究が一気に進んだとして、人間が魔族になるなんて、そんなこと可能なのか?」
「……私が言えるのは、魔族の持つ能力の一部を再現することは可能だということ。実際、今日散々使った回復薬も、七年間の魔王城襲撃を通しての成果だもの。魔族のような永続性はないけどね」
「そうか」
人間が魔族化するなど考えもしなかった。しかし、魔族の摩訶不思議な力に傾倒する人間がいるという噂は、どこかしらで聞いたことがある。
「でも、そんなまがいものの魔族を増やすことに協力する魔族が現れるなんて」
「魔王が引きこもってるから、自分たちで世界征服しようぜ精神なんじゃない?」
「そうね。魔族化が可能かどうかについての話は置いといて、目下やるべきことは危険思想を持つ魔族と人間にこれ以上実験体を与えないことよ」
「つまり、魔王城は今からキャンプファイヤー会場になるってワケ!」
楽しそうな声を上げる。しかし、その瞳はなぜか笑っていないように見える。
「魔王城ごと燃やすのか?」
「必ず彼らは実験のために魔王の遺体を欲しがる。それは阻止しなくてはいけないわ。城に火さえつければ、私の薬で細工してあるから、遺体はよく燃えるはず。もちろん、薬品庫の資料も」
何も渡さないための準備はできているということなのだろう。魔王城が燃え朽ちることに異論はない。
「そうであれば、急ぎ一度広間に戻って、情報を共有しましょう。それでいいですか、セウォンズ?」
「そうだな。まだ聞きたいことは山ほどあるが、魔王の張る結界が破れたという突飛な話でさえ信じないわけにもいかない」
「同意見です」
それだけ言い残して、ラネルは身体を翻して負傷者の元へ先に向かう。その背中を追いかけるように歩き出した俺の手を誰かが掴んだ。
「イレネア?」
「……セウォンズは、人間が魔族のような力を得ることについて、どう思う?」
それはあまりにも唐突な問いだった。しかし、茶化すような雰囲気でもなく、ただその真剣な眼差しに飲まれる。
「どうって……もちろん魔族になって世界征服なんて、そんな非道な行為は許されることじゃない」
「そうね。だけど、世界征服とかそういう侵略的な軍事利用を目的としないのであればどう?」
「軍事利用しない?」
「そうよ。例えば、魔族の自然治癒能力があれば、怪我で夢を諦める人がいなくなるかもしれない。結界を作れるような魔力は、誰かを守るかもしれない」
イレネアにそう言われると、魔族化も悪いことのようには聞こえないから不思議だ。
「そういう使い方もあるのに、人間は魔族の力を手に入れてはいけないのだと、勝手に可能性を潰してしまっていいと思う?」
掴まれた手から伝わるのは、微かな震え。その葛藤の答えを俺は知らない。
「⋯⋯やっぱり、何でもない。引き留めてしまったわね。行きましょう」
少しの間の後、イレネアがそう手を放す。俺はその離れた手をもう一度掴んだ。
「俺は剣を必要だと思って生きてきた人間だ。剣が存在するせいで、罪のない人が何人死んでいたとしても、必要だと答える」
「そう」
「でも、俺は魔族の力は必要としちゃいけない気がする」