16.二重人格
「ねえ、ご主人。そろそろ手は空いた?」
「ええ。全員問題なさそうよ」
「良かった。だったら、ここからの話はご主人ともう一人」
ツノーノはそう言うと壁から離れて、玉座の間に近づいた。そして思いっきりその扉を開く。
「死んだ魔王にも聞いてもらおうかな」
ツノーノによって開けられた部屋の奥には、出た時と変わらない姿で魔王が倒れているのが分かった。それに安堵しながらも、ツノーノと最初に対峙した時の既視感がなんだったのかという疑問が胸の内を巣くう。
「急にどういう風の吹き回しだ?」
「勇者がそわそわこの部屋を見てたから、気になっていたんじゃないかと思って。時間も押してるみたいだし、これはボクなりの配慮だよ」
信用していない相手に思考を読まれていることほど、気分の悪いものもない。何かの罠かと身構えるが、隣でずっと黙っていたラネルが俺の前に出た。
「では、お言葉に甘えてお招きにあずかりましょうか。実は魔王がどんな姿をしているのか、昔から興味がありまして」
魔王の風貌に興味があるなど、長い付き合いの中で一度も聞いたことがないが、ラネルがそう言う。
「顔はいいよ」
「貴女が言うのであれば、そうなのでしょうが、少し妬けますね」
「その絡み方、鬱陶しいって誰にも言われなかった?」
「私がこのように話すのは貴女だけなので」
「へー。女性の誘いは一切断らないことを信条にしてるタイプかと思ったよ」
「否定はしません。それは紳士の嗜みですから」
「なら、勇者にもその紳士の嗜みってやつ教えてやったら?ボクのこと警戒して、ついていくか決めかねてるみたいだよ」
ツノーノに促されてラネルがこちらを振り返った。その満面の笑みからは、意思の固さが読み取れる。それなりの考えがあるのだろう。
「怪しい動きがあれば、俺は容赦しない」
「はいはーい」
ツノーノの適当すぎる返事に溜息をつきながらも、俺は再び王座の間に足をすすめることにした。
「怪我人の皆さんも扉は開けっ放しにするから、安心して待っててねー」
「すまないが、こいつに従ってくれ」
安心できる要素など何もないだろうが、回復したばかりの仲間たちは、指揮官の俺の判断であれば逆らわない。イレネアの暗殺者であれば、話は別となるが。
「イレネア」
「ええ。今行く」
俺の呼びかけに、注射器など素早く片付けた彼女が隣に並ぶ。その表情は真剣みを帯びていた。
「……」
ツノーノから聞いた話はどれも半信半疑ではあったが、イレネアに魔王を好きになったこと以上の背景があるというのは、本当なのだろう。
しかし、なぜだか余計にモヤモヤした気持ちにさせられていた。
「セウォンズ?」
いつの間にかその横顔をぼうっと眺めていたのだろう。視線に気が付いたイレネアが、少し気まずそうに名前を呼んだ。どこか落ち着かない様子で、ワンピースの裾を握っている。
「あ、……いや何でもな、……くはない」
感情のまま話してまた彼女を傷つけるのではないかと思い、自然と口を閉ざしそうになった寸前、それでいいのかという迷いが生じた。
「何でもある、かも……」
自分でも情けなくなるくらい、ふわっとした言葉。
しかし、彼女が俺を臆病だと評したのを思い出して、気が付けばそう言っていた。
優しいとか、そういう出来た人間を目指していたわけではなかった。
ただ、彼女に頼られる強くて格好いい自分でありたかった。
「あのさ、イレネア」
ここで口を閉ざしたら、彼女の中の俺は臆病で優しい勇者で終わってしまう。その一心で声を張り上げる。
もはや彼女を好きであるのかすら分からないのにも関わらず、今そうしなければいけない気がした。
「イレネア、俺はっ」
何を話すか決めていなかった。言葉に迷いながら、彼女に伝えるべきことを探す。
しかし、散々時間を使って俺の頭から絞り出されたのは、たったの一言だった。
「俺は勇者だ」
虚を突かれたように目を丸くするイレネア。
怪我の様子をお互いに見合っていた仲間さえ話を止めて、こちらを振り向く。そうして場が静まり返るなか、ツノーノのわざとらしく声を上げた。
「……まったく、何を言うかと思ったら……急いでるんじゃなかったのー?……おーい、聞こえてるー?無視しないでよー。勇者くーん」
場を和ませるためか、明るめの声で茶化すツノーノ。視界の端でラネルが助け舟を出そうと口を開いたのが分かった。けれど、まだ話は終わっていない。だから、俺はそれを遮るようにもう一度声を張り上げた。
「勇者は、⋯⋯一人だけの味方にはなれない。誰かを無条件に信じてもあげられないし、それは誰かにとって、何もしてあげられない人ってことになるのかもしれない」
魔王から初恋の人を救い出す。そう昨晩考えていたのが噓のように、魔王相手に何もできなかった俺。魔王を倒したイレネアに啞然とするばかりだった俺。ずっと、彼女を疑ってばかりの俺。
今日一日を振り返れば、笑ってしまうほど、本当に何もしてあげられていない。
「でも、勇者だからこそ、必ず多くを救える道を選びたいと思ってる」
それは、かつて彼女の背を追いかけていた頃に抱いた、憧れのようなもの。
「このイレネア救出だって、その一つだ」
魔族との大戦を見据えての威力偵察が主目的だった今回の遠征を、国に秘密でイレネアの救出に変更した最終的な決め手は、彼女が姿をくらます前に上げた薬草を用いた医学貢献の高さだった。
俺だけの想いだったのであれば、遠征メンバーを説得しようとは思わなかった。
百人の命を俺の初恋の想い出だけで奪ってしまっては、責任が取れないからだ。
彼女がただのお姫様であれば、威力偵察の作戦途中で、俺は一人で魔王に立ち向かうことにしていたと思う。
だけど、幼かった彼女の知識で救われた人は百人以上だった。
そのことが俺の背中を押したし、かつて救われた者からの賛成意見も上がって、この救出作戦は決行されている。
「けれど、イレネアは救われたいなんて思ってなかったかもしれない。何でも知っていて、何でも出来るお姫様だから。秘密ばかりなのも、俺が必要ないからだろ。このよく分からないツノーノとかいう奴は、イレネアのこと何でも知ってるように話してるのに」
「勇者ってばボクに嫉妬してるのー」
「そうだよ!だから、⋯⋯どっちか選んでほしい」
俺はイレネアの隣を離れ、最後に見た時と寸分違わず同じ場所で目を伏せている魔王の心臓に剣先を突きつける。
「この剣で死者を冒涜するのを赦すか。赦さないのか。イレネア、決めてくれ」
彼女の顔は見れなかった。自分でも目茶苦茶なことを言っていると自覚があったからだ。
「セウォンズ、何回も言ってるけど、私は魔王の花嫁じゃない」
「なら、そこで見ていて」
「嫌よ」
それはなぜなのか、そう問おうとした瞬間、剣を持った俺の右手に、細い手が重なった。
「一緒にやりましょう」
その手に導かれるように、俺は死んだ魔王の心臓を刺した。
「イレネア?」
「セウォンズが納得するまでやりましょう。何回でも」
抉るように剣を何度も刺した。
「勇者として多くを救う道を選ぶ、それは私も同じだから」
「うん」
「それから、勿論セウォンズに全て話すわ」
「そうしてくれ」
死んだ魔王の心臓は回復することなく、ぐちゃぐちゃと音を立てる。
「首も跳ねてしまう?」
「骨があるから、結構力がいるよ?」
「そうね。でも、セウォンズなら出来るでしょ」
耳元から囁かれる甘言に誘われそうになる。
「俺を恨まない?」
「なぜ?」
そう聞き返されると、なんと答えればいいか分からない。
「セウォンズ?」
「⋯⋯俺はイレネアが魔王のこと好きだって知ってるんだ。どうしてかは知らないけど、愛してるって」
「聞こえてたのね」
「聞こえてた訳じゃないけど、読唇術で」
玉座の下に伏す魔王にお似合いと言ったり、今魔王の亡骸を何度も剣で刺しているイレネアを見ていると、そうとは思えない部分もあるが、確かにこの目でそう唇が動くのを見た。
「これを言うと、セウォンズからまた疑われると思うけど、正直私にもよく分からないの」
そう言いながら、イレネアは俺の手を借りながら、また、魔王の心臓を刺した。
「⋯⋯あの瞬間身体が乗っ取られたような感覚と、愛してるって言葉が口からついて出た。それしか言えないわ」