12.友と噂
思わぬ人物の乱入。ツノーノの短剣は戦場では珍しい眼鏡の男が受け止めていた。その力の押し合いは拮抗しており、両者睨み合いをしている。
「ボクの邪魔をするな」
「貴女のような美女に剣を向けるのは大変心苦しいのですが、一応この方は私の主人なのですよ。一応ね」
淡々とした声音で毒を吐く横顔には汗が滲んでいた。長年の付き合いである俺には、余裕そうな言葉の裏でラネルがこの力の耐久勝負に相当疲弊しているのが分かる。
薬で回復したばかりの身体に無理を強いて、俺とツノーノの間合いに入ったのだろう。あまり長くは持たない。
「お前、そこの勇者に仕えてるんだ?」
「ええ。もっとも戦いの途中で目を瞑るような主人をもつと、命が幾つあっても足りませんが。これも仕事なので仕方がありませんね」
「勇者とは名ばかりの男に忠誠を誓う理由は?」
ツノーノは挑発的な発言で動揺を誘うが、ラネルがそれを一刀両断する。
「昨今の勇者は金払いが良いんですよ。そうだ、貴女も仲間になるのはどうです?美しい人」
「絶対にごめんだね」
「おやおや、これまた随分と嫌われましたね。セウォンズ。そろそろこの状況を説明頂いても?」
ラネルが唐突に俺に話しを振る。しかし、俺にはツノーノが何者かも分からなければ、彼女を魔族、いや魔王ではないかと疑った経緯についても、主観が先行している部分があり、他者に伝わるような言語化は難しかった。
「俺には説明はできない」
「まったく。溜息しか出ませんね。一にイレネア、二にイレネア、三にもイレネアと、うじうじと初恋を引きずっているから、女心の一つも分からない人間になるのですよ」
「なっ、それは今関係ないだろ」
つっこみを入れながら、俺は剣を構え直す。こうなれば、二対一だ。得意の不意打ち技は通用しない。不意打ちなしの純粋な勝負であれば、俺の方が格上だ。そのことは、ツノーノも先程の戦いの中で痛感しているはずである。
「チッ命拾いしたな」
箒を床に投げ捨ててツノーノは、降参とばかりに両手を上げた。先程まで本気で殺しにかかってきたとは思えないほど、引き際がいい。魔王のことを口にした瞬間に豹変したところをみると、彼女が人間だとしても魔王に何らか思い入れがあるのだろう。イレネアと同じように。
「……ツノーノ、回復薬を」
成り行きを見守っていたイレネアがそう声をかける。人間用と書かれている瓶の回復薬を躊躇なく使用するのだから、恐らく人間であるという判断は間違いではないのだろう。
「はーい」
呼ばれたツノーノは、素直に服の袖をめくると、その腕をイレネアに差し出した。自称イレネアの眷属と主張していただけあり、俺に対する反抗的な態度とは真逆だ。眷属という言葉を真に受けるわけではないが、何か主従関係のようなものがあるのかもしれない。
「いやはや、魔王城にこんな美しい人間の女性が二人もいるとは。驚きですね、セウォンズ。魔王も男ということですか」
二人の関係にばかりに気を取られていた俺は、ラネルのその言葉にハッとする。魔族の総本山である魔王城にいた二人の人間の娘。今まで考えたこともなかったが、魔王は人間の娘を攫って洗脳するという卑劣な行為に手を染めていた可能性がある。
「まさか」
頭が痛かった。各国を火の海に沈めたのだから、魔王は生粋の人間嫌いなのだと勝手に思っていた。そのため、対面してからの言動については、例外的にイレネアを好きになったのだと解釈した。想像などしたくはないが、そこには知らない七年間で育まれた純粋な愛があるのだと、思い込んだ。
だが、それが全くの間違いで、人間の娘というものへ異常な執着があっただけだとすれば、とても恐ろしいことだ。魔王による定期的な人攫いが行われ、複数の女性と関係をもっていたのだとすれば、到底許せることではない。
「ところで、セウォンズ。そちらが噂のイレネア様ですか?」
それは彼女たちに聞こえるような大きな声だった。わざとらしいラネルの問いに、嫌な予感がする。
俺は内緒話をするために、ラネルに屈むよう肩を軽く叩いて合図した。いつの間にか随分と離れてしまった身長の差があるため、屈んでもらわなければ耳打ちができないのだ。
「やれやれ。一体なんですか?」
そう言いつつも、こちらに身体を傾けて屈むラネルの顔は、既にニヤつきが隠せていない。
「余計なことを言うな」
「と、言いますと?」
「俺がイレネアのことで⋯⋯話してたこととか、やっていたことだよ」
「はて、それはどの話のことですか?イレネア様が魔王の花嫁になったという噂を想起させる本や舞台について、権力を振りかざして内容を改変させていたことですか?」
「なっ、それは⋯⋯」
「それとも、イレネア様のいなくなった日に合わせて、月に一回ほど専用の祭壇に魔物をささげていることですか?」
「お前、なんでそれを知ってるんだ?!」
ラネルには色んな相談をするが、その習慣を話したことは一度もないはずだ。とても人に言えるものではないと秘密裏に行っていた月一の恒例行事で、祭壇だって自室のクローゼットに隠している。バレるはずがない。
「次期当主の右腕として、貴方が秘密している大抵のことは知ってますよ」
「お前、勝手に俺の部屋に入ったのか?!」
「さあ、どうでしょうか」
「とぼけるな」
「セウォンズ。貴方の秘密は安いですが、私の秘密は高いのだと、いつも言っているでしょう」
納得できない理屈をこねるラネルに、半眼になりながら俺は再び釘を刺す。
「とにかく、そういう余計なことは言うな」
「分かりました。祭壇のことだけは私の心の中だけに留めておきましょう」
「全部、墓場まで持っていくと誓え」
「なぜです?すべては拗らせた愛がゆえでしょうが、いいじゃありませんか!素敵な初恋ですよ」
「煽ってるだろ。⋯⋯いいか、俺がイレネアを好きとか絶対に言うな。頼むから」
「理由次第では考えましょう」
俺の必死な訴えがやっと伝わったのか、神妙な面持ちに変わったラネルが問う。
「何があったのです?」
「魔王の花嫁という噂は本当だった」
俺のその言葉が余程衝撃的だったのだろう。ラネルの細い目が見たこともないほどの大きさに開く。
「まさか。その噂は眉唾もののはず」
「いや、本当だった」
「セウォンズ。貴方は初恋を拗らせ過ぎて、何か勘違いしているのでは?魔王を倒したのはイレネア姫なのだと、私に回復薬を注射した工作員が言っていました。その薬も彼女が用意したと。なのに魔王の花嫁なんて、そんなはずは⋯⋯」
「正確には、お前の言う通り、魔王の花嫁かは分からない」
「ほら!花嫁だとしても、それは魔王が無理強いしたのでは?」
ラネルの言葉に、いっそのことそうであれば良かったのにと酷いことを思った。
「だけど、イレネアが魔王の亡骸に向かって言ったんだ。『愛してる』って」
例え、それが魔王による洗脳があったとしても、イレネアの言葉には違いなかった。
ラネルは言葉を失って、あんぐりと口を開けたまま呆けている。俺はその様子に苦笑しながら、言葉の続きを紡ぐ。
「他にもイレネアには不審な点が多い。後でまとめて話すが、彼女を信用しすぎないほうがいい」
「セウォンズ、それは⋯⋯」
「今の俺は、自信を持ってイレネアが好きだとは言えない。だから、さっきみたいな話はしないでくれ」
ラネルの顔が引きつるのが分かった。自称恋愛マスターでも、予想ができないことがあるのだと思うと、少し心が軽くなる。
「分かったな?」
「致し方ありませんね。後できちんと経緯を話して下さいよ」
「そういえば、魔王の花嫁になったという噂が流行ってると最初に俺に嬉々として語ってきたのは、ラネルだったな。そのくせ噂を信じてなかったのか?」
てっきり噂を俺に話すからには、何かラネルの中で噂に関して信じられるものがあったからだと思っていた。
「⋯⋯そうでしたっけ?」
全く覚えていないとでも言いたげに、首を傾げるラネルだが、その言い訳は苦しい。
「一週間くらい執拗に失恋休暇は必要かと絡んできただろ」
「⋯⋯からかいのネタになる面白い冗談だと思っていたので」
本気でバツが悪そうにするラネルに、俺はそれ以上追求するのをやめた。