11.人と魔の境
「死んで証明?」
訝しげに俺の言葉を反芻する相手に剣を向けながら、魔族と人間の間において最も単純明快な差について答えた。
「人間なら死ぬ致命傷を与える。魔族なら回復するはずだ」
動きにくいクラシックメイド服に身を包んだこのツノーノと名乗る人物が、本当に人間だとしたら、俺が後れを取る要素はどこにもない。あっさりと殺せるだろう。その時になって人間だと確信が持てたなら、イレネアの蘇りに限りなく近い回復薬を与えればいい。
「強気だなー」
その後であれば、俺は地獄に落ちても構わないのだから。
「でも、面白そう」
悪巧みするようにニヤリと顔が歪む。その瞬間、ツノーノが視界から消えた。物思いに沈んでいる暇などないぞと言わんばかりに、次いで横腹に衝撃が走る。
「った……」
「痛そうだね。致命傷でもないのに、回復もしない。なるほど、勇者は人間だ」
「箒の柄……」
「そうだよ。人間の眷属はみんなこの武器を使うらしいから。だけど、この服はやっぱり変だ。ひらひらしていて動きにくい」
スカート部分が余程気に入らないらしく、顔を顰めるツノーノ。そこから魔力の気配は一切感じられない。女性の身でありながら純粋に強いということだろうか。それとも……。
「そう思うのはボクが魔族だからかな?」
俺の思考を読んだのか。そう疑いたくなるくらいの台詞。ツノーノはこちらをおちょくるように小首を傾げて見せる。そのあざとい仕草は、服装によく似合っていた。
「まあ、ハンデにもならなさそうだけどね」
その言葉と共にツノーノがまた視界から姿を消す。魔法と説明された方がまだマシな俊敏さ。痛む横腹を無視して、難航しそうな戦いに意識を集中させる。
「もーらい!」
箒の柄がまた飛んでくる気配。その前触れである風の圧を真左から感じる。
「二度目はない」
「ヒュー!やるねー、勇者。反射神経がいい」
「それしか褒めどころがないわけじゃないぞ!」
空振った箒の遠心力で腕が持っていかれている隙を狙って、俺はツノーノの胴体に剣先を素早く突きつける。魔王も反射神経がいいと煽られたが、逃げるだけが芸なわけではない。勇者の末裔としてそれなりに剣には自信があった。
「おっと危ない」
そんな俺の自信を殺すように、ツノーノが箒の遠心力を利用するように身を屈めた。俺の剣筋はその身体の上を掠めて、メイド服の首元についたリボンを跳ね飛ばす。
「あっ、ちょっと!せっかく用意した服なのに」
ツノーノはちっとも残念そうに聞こえない声色で文句を言いながら、下から俺の鳩尾を狙って箒を突き上げてくる。それをかわしながら、まずはこの厄介な箒を片付ける方向性に作戦を頭の中で切りかえる。
「……まあ、いいや。あると少し窮屈だったしね。一体なんのために付いてるものなんだろう?勇者は知ってる?」
俺が箒をかわした間に素早く下から抜け出したツノーノは、器用にも箒を引っかけるようにしてリボンをすくいあげ、時間を稼ぐように素朴な疑問を俺にぶつけた。その肩の上下の揺れから、息が上がってきていることは明白だ。
「服のことは良く分からない」
次の相手の出方を考えながらも、余裕がないように見られるのは癪なので、そう答えてやるとツノーノは心底どうでも良さそうに「そうなんだ」と相槌を打った。攻撃する気がないのか、箒を立てその柄に寄りかかるように肘をついている。
「でもあれってプレゼントとかによく付いてるものでしょ?」
「リボンのことか。まあ、そうだな」
「ということは、眷属は自分自身をプレゼントになぞらえて、主人に服従の意を示してるの?その忠誠を受け取るとき、主人は眷属のリボンを紐解く。そんな儀式があるとか?」
言葉の通りに左の手のひらにのるリボンを右手でほどいて見せたツノーノは、答えを求めるように俺を見る。
「それは⋯⋯ないとは言い切れないけど、かなり特殊な嗜好だ」
突然の誇大妄想に思わず素のツッコミをいれてしまう。大体、メイド服にリボンがついていることの方が少ないはずだ。
「ふーん。この手の話には弱いんだ」
「何をっ」
「顔が赤い。想像した?」
「してない!」
「まあ、冗談だけど」
そう呟くツノーノの首筋に剣を構える。攻撃する気がなくなったのか、箒を構えることもなく、話し続け、こちらが間合いを詰めている間、ろくに反応しなかった。罠かと思ったが、先程までとは違い、本気で抵抗する気がないようだ。
「どうして……」
「箒で戦うのに飽きたんだ。それに、ボクが魔族か人間か知りたいんでしょ。ボクもそれには興味がある」
「そうか」
ツノーノのその言葉の真意は分からなかった。考えるだけ無駄というものだ。俺は遠慮なくかざした剣で白い肌を割いた。
「本当に何も知らないんだ。勇者のくせに」
ツノーノは浅いその傷口から血が流れるのを手で抑えながら、こちらから距離をとって悪態をつく。あの程度であれば、魔族の治癒能力はすぐに治せるはずだ。
しかし、そのピンクの襟元が赤く染まっていく。
「……イレネア」
「回復薬ね」
すぐに俺の意図を汲んで注射を用意する彼女を尻目に、俺はこちらを睨んだまま箒を構えようとしているツノーノへ、迷った末こう呼びかけた。
「休戦しよう」
箒の柄で襲い掛かってきた最初の一撃目。あれが剣であれば俺は死んでいた。しかし、そうはならなかったのだ。色々聞きたいことはあるが、今はそれを信用することにする。
それに回復薬を投与した十人弱の仲間たちも起きそうな状況だ。角がなく箒を武器としたメイド服との交戦は、現場に余計な混乱を招く恐れがある。
「箒を置け」
「ハッ……こんな傷で勇者はボクが魔族じゃないって判断したの?もっとざっくり首をやった方がいいんじゃない?」
「いや、そうじゃない」
「じゃあ、魔族にしては弱いと思った?」
少し上ずった声音で、負け惜しみのような問いかけをするツノーノに、俺は首を横に振った。
「強かったよ。でも、勝負はついた。結論として、お前が魔族かどうかは保留にする。疑いが晴れたわけじゃないから、言動には気をつけることだ」
何も悟らせないまま剣を弾き飛ばした魔王には及ばないが、その俊敏性と重い攻撃をただ武に卓越した人間と判断するのは早計だ。
魔王と被る言動も踏まえて、角と共に魔力を失くしてしまった魔王の可能性だって捨てきれない。
「こんな適当な感じで、魔族かもしれないボクの存在を許すわけ?」
「そうだ」
間髪入れずに頷くと、耽美な顔が歪む。怒りと哀しみでないまぜになったような表情は、俺より背が高いにも関わらず、迷子の子どもみたいだ。
「……勇者なんて嫌いだ」
「魔王にも最期の方に同じようなことを言っていた」
軽いジャブのつもりで魔王と口にすると、正面から殺意の高い箒が飛んできた。
「おい、危ないだ、……っろうが」
すごいスピードで投げられた箒が、顔面にぶつかる寸前、なんとか空いている左手で受け止める。その衝撃に手のひらがジンと痛んだ。
全く、油断も隙も無い。そう呆れ半ばに抗議の言葉を投げかける。
しかし、その目線の先、目立つツインテールの姿がない。
「しまった!」
剣と箒で両手が塞がった、防御がガラ空きの俺めがけて、ツノーノが迫る。その右手には隠し持っていただろう短剣。イレネアの悲鳴が上がる。
それを受け止めるために箒を捨てて剣を構え直そうとするが、直感的に俺は理解していた。
間に合わない。最初の一撃目と同じ重さで繰り出された剣筋に俺は死ぬ。
その襲ってくるだろう痛みに思わず目を瞑った。永遠とも思える一瞬。死を悟ると走馬灯が過ぎると聞いたことがあるが、そんなものはなく、ただ単純に時間が長く感じられる。
いや、それにしても長すぎる。
閉じた目を恐る恐る開くと、眼前には俺を庇うように背を向け、ツノーノと対峙する仲間の姿。
「この美女は一体何者ですか?セウォンズ」
「ラネル!」