人間ほどほどが一番よ。て言う人が一番本気出してる。
昼休みがもう終わる。時計を除けば長針は11に差し掛かっていた。そろそろ戻ろうかと、ソファから立ち上がり先生に挨拶をするところだった。ドアが開かれ2人の生徒が駆け込んできた。ノックもせずに何事かと様子を伺っていると、彼らはとある男子生徒が倒れた、と言った。そのあとすぐに、数人の生徒によって件の生徒が運ばれた。彼は口から下が血まみれで、マネキンのように関節以外の箇所がフニャフニャしていた。出来立てほやほやの死体ってこんな感じかな、なんて思った。
「元気になって出て行ったかと思えば、気絶して帰ってくるんだもんね。しかも血まみれで...。ほんとびっくりした。」
「私、血を見てふらふらしちゃいました。」
彼は血まみれだった。上着を脱いでいたのが幸いだと思った。
「もう、勘弁してよ~。今日はもう楽させてちょうだい。」
先生が疲れるのも無理はない。さっきまで先生は大忙しだったから。傷の処置と血の洗浄。言葉にするとこれだけだが、意識のない人体に触れるのだ。容易なわけがない。彼を運んできた友人達から事情を聞き、よくわからないけどたくさんの人と連絡を取っていた。そんなこんなで、かれこれ40分くらいはバタバタしていただろうか。先生がちゃんと養護教諭なのだと痛感した。ただの優しい残念美人ではなかった。
「はい。肝に銘じます。」
「わかればよろしい。」
私も少しだけ手伝いをした。意識の無い人間を動かすのは、とても大変だ。形の複雑な土嚢を持っているみたいだった。しかも頭と患部と首に注意しなければならないのがリアリティがあってすごく緊張した。リアリティとか、俗な言葉を使うべきではないのだろうけどそう思ってしまったのは事実だ。だが。本当は担架が到着するまで待つべきと先生は言っていた。あれは本当のリアリティではなかったのかもしれない。
「...先生。」
「ん?」
「武内くんって、最近はこういうこと、するんですか?」
思いがけない場所で彼の名前を聞いて、無視することが出来なかった。
「いや~、私が知る限り、今日が初めてだね。」
「そうですか。」
「気になる気持ちはわかるよ。前は優しい子だったもんね。」
「はい。人を殴ったなんて、信じられません。」
高橋君の友人らの証言を私も聞いていた。証言が間違っていなければ、高橋君達に落ち度はない。だが、武内くんの取った行動全てが気掛かりだった。
「きっと。これは兆しだよ。」
憐れんでいるのか喜んでいるのか、声色からは読み取れなかった。
「兆し。」
「そう。きっとこれは兆しだよ。彼が、立ち上がるのか、転ぶのか。」
「...全然わかんないです。」
「わかりたいの?」
「...気にはなります。」
冷やかしではないことぐらいわかる。でも、私にも私の気持ちの全容がわからない。何が知りたいのか、なぜ知りたいのか...。まぁ、知人の蛮行に対する好奇心、といったところだろうけど...。
「限界なのよ。意地を張るのも。」
「意地ですか...。」
意地、何の?私にはわからない。そもそも、わかるはずないか。
「そう。もう我慢できない。でも、伝えられない。わからない。だから自暴自棄になった風に振る舞って、もうどうでもいいって、そう自分に言い聞かせているのよ。」
「それが、彼の意地...。」
「そう。男の子らしいでしょ。かっこつけてやってることが、全然かっこよくない、なんてさ。」
それは、人全体に言えることだろうけれど、男子は絶対言われたくないであろうことは、共感性の弱い私にもわかった。あいつら、プライド高いから。
「でも、もう我慢の限界。自分に付いていた噓も、言い続ければ真実に成り代わる。彼は本当に自暴自棄になりかけてるかもしれない。それが彼の変化の兆し。うまく乗りこなして糧にするか、吞み込まれてヘドロに塗れたような昏い人生にするか、彼の人生の分岐点ってところだね。」
「それは、大丈夫なんですか?」
「知らない。でも、多分大丈夫だよ。」
「どうしてですか?」
「だって、そう考えること以外に意味はないから。」
うわ。合理的。ちょっと引くくらい...。
「先生って、案外ドライなんですね。」
「ポジティブって言って。それに、信じてるとも言えるわ。彼が立ち直れるって。」
「...詭弁ですね。」
「ふっふっふ。人の意見は1つじゃなくて、ベン図くらい適当でいいのよ。」
どや顔が鬱陶しい...。それにベン図って...。ダサい...。
「...わかりにくいです。先生。」
「...そう。上手いこと言ったと思ったんだけどなぁ、ベン図...。」
「はぁ。」
確か、かっこいいと思ったことが、全然かっこよくない。でしたっけ?
午後13時50分。あと5分で6時間目のチャイムが鳴る。多少、遅刻しても大丈夫だと思うが、それでも遅刻しないように努めるべきだ。
「私、そろそろ行きますね。」
ソファに沈んだ体に芯を入れる。よいしょ、と思わず声が漏れ出た。
「体調はもう大丈夫~?」
「...からかわないでください。それじゃ行きますね。」
「は~い。本当に、今日は手伝ってくれてありがとね。そして今後もできれば手伝って!」
先生は目を輝かせてそう言った。別に手伝ってもいいんだけど、調子に乗ってほしくない。多少塩な対応の方がいいだろう。
「今回より楽なら、いいですけど。」
「ほんと!ありがとう~!言質とったからね!録音したからね~!」
ひらひらとスマホを見せつけてくる。くそっ、甘すぎた。次は粗塩対応してやる。
「.....わかりました。それじゃ本当に行きますからね。」
コの字型の手すりを掴む。金属のひんやりとした感覚に少しだけびっくりした。
「は~い。それじゃまたね。南奈佳ちゃん。」
「はい。西野先生もお疲れ様でした。失礼します。」
先生に軽くお辞儀をして、扉が閉まったことを確認してから教室へ向かった。