人と獣は相容れない
二段飛ばしで階段を駆け上がる。手すりを軸に踊り場の最短ルート、インコースを攻める。
「おっと、ごめん!」
事故寸前のところで、身を捻って回避する。階段を登ってすぐの曲がり角で、横並びの三人組とぶつかりかけた。軽く会釈をして後にしたが、あいつらは後ろで文句を言っていた。あれは、お互い様じゃないだろうか。
教室のドアが開放されている。昼食の匂いが籠らないように換気しているのだろう。
「高橋おかえり。体調は大丈夫か?」
「お。高橋くんおかえり。結構元気そうだね。」
教室の入り口には、谷垣さんと新井さんがいた。去年は違うクラスだったため、彼らのことはまだよく知らない。さらに、二人とも容姿が整っているせいで、こちらからは少々近寄りがたい。自己紹介では、サッカー部に所属していて、去年から仲がいいと言っていた。これは紛う事なき類友。
「ありがとう。谷垣さん。新井さん。体調はもう全然大丈夫。この通り。いえい。」
ぴーす。ぴーす。いや、こんなことしてる場合じゃねぇか。
「高橋お前....演技派か?」
「...仮病じゃねぇよ。」
谷垣さんは、どうやら気さくな....いや、リアクション(顔)含めると、ちょっぴりうざい。
「明くんと田中くんならさっき出て行ったよ。」
「わかってる。でもありがとう。助かるよ。」
新井さん。あなた満点です。
こいつら類友じゃない説、ありますか?
「新井さんあんがと。じゃ、行ってくるわ。」
「どういたしまして。」
「...俺は?おい。高橋、俺は?」
弁当を揺らしながら来た道を戻る。さすがに全跳びは怖いので、階段の半分くらいになったら跳ぶ。それなりの衝撃が足に来るし、音もやばいけど、腹を括って走る。
突然だが、この学校の構造を説明する。この学校は、丁度カタカナの「二」みたいな形をしている。「二」の下の部分が教室や職員室がある校舎棟で、昇降口や体育館へのアクセスもこちら側にある。「二」の上の部分は特別棟で、特別教室や購買、部室なんかがこっちにまとまってる。二つの棟は一階と二階にある渡り廊下で繋がっていて、中庭は「二」の隙間の部分にあたる。当然校舎側からも入れるし、外から入ることもできる。だが、中庭では室内履きの使用が規則になっていいて、イベントや集会がなければ、靴を履き替える必要が無い。利便性を優先したのか、校舎に砂や泥を落とすのを嫌ったかはわからないが、下駄箱に爆弾を抱えている俺にとっては非常にありがたい話となっている。
このままノータイムで中庭へ向かえば、四十分にはあいつらと合流できるはずだ。約束を破った焦りと申し訳ない気持ちで心が爆発しそうだが、この借りは別の何かで返すしかない。先輩にもきちんとお礼をしないといけないし、ちょっとナーバスになりそう。
中庭の入り口。校舎棟のエントランスホール。節電のためか明かりは点いておらず、窓から差し込む光のみがこの空間の光源となっている。デカイ四枚の掃き出し窓が立ち並ぶ。ゲームで見る中世ヨーロッパの教会のような荘厳な佇まいが......。ごめん、めっちゃ盛った。靴の汚れを落とすための布巾が、横一列に乱雑に並んでいる。遠目から見れば良い感じなのだが、ここまで近づくと生活感が漂ってきて残念な感じがする。
ガラガラと音を立てながら戸を開ける。エントランスに充満した埃くさい空気を押しのけて、陽気を感じさせる少し青臭い外気が流れ込んでくる。ドアが閉まり切ったのを確認して、明と秋を探す。どこを見てもカップルか、数人の男女グループ。明と秋を見つけるのは容易なはずだった。
「白!こっちだ!こっち!」
明の声がついさっき確認した方向、対岸の方角から聞こえてきた。とりあえず、声がした方に駆け寄ってみると、明と秋がテーブル席に座っていた。
「おまたせ。」
「おかえり。白。体調はもう大丈夫?」
秋は、不自然に、自然を装っていた。
「ありがとう。もう大丈夫。」
まぁ、原因はわかりきっているが。
「これどういう状況?」
見知らむ男女が、俺のことを睨みつけていた。
「俺たちがここに座ってたら、さっきそいつらが割り込んできた。」
明は頬杖を突きながら、異物を見るような眼で二人を指差した。大体想像通りだった。
「なんでそんなことになってんの?」
「そんなん俺が聞きたいんだけど。」
俺も聞きたいん。
「秋は?なんか心当たりない?」
「ない。」
「そっか。」
聞かないとだめかぁ。
「すいません。こいつらの言ってることって、本当ですか?」
「ここ、いつも私達が使ってる席なの。だから譲ってよ。」
ボブの女が答えた。鋭い眼光、威圧的で不遜な立ち振る舞い。気の強い女なんてレベルじゃないぞ。こいつ。
「俺達もここで飯食おうって約束してたんですけど。」
「無理。」
案の定、話通じねぇし。
「そこをなんとかならないですか?」
このやりとり、もうやったんだろうなぁ。俺が来る前に。
「お前ら2年だろ。いいから早くどいてくれ。」
今度は男の方が喋った。緩めにかかった茶髪のパーマが下まつ毛に到達している。生活指導は何してんだよ。取り締まれよ。使えねぇな。
もういいや。めんどくさい。2人を押しのけて秋の隣に座った。
「...いいの?」
「さっさと飯食って譲ればいいじゃん。」
冷たい米だな。いつも通りだけど。
「それもそうだな。ちゃっちゃと飯食うか。」
明はメロンパンの袋を胸の前で開けた。
「...そうだね。」
秋は弁当袋からコンビニのチャーハンを取り出した。
「...お前ら何やってんの?」
男が牽制してきた。理解できなかった。
「てかさ、2人とも聞いてくれよ。昨日のこと。」
卵焼きを1つ頬張る。甘い卵焼きだ。あ?マイナーだ?うるせぇぶっ飛ばすぞ。
「コンビニに行ったら中学の同級生がいてさ。その子がバイト終わったら少し話さないかって誘ってくれたんよ。」
「どうせまた変なオチがあんだろ。」
「オチがないよりはいいだろ。」
から揚げを頬張る。冷凍食品のから揚げってさ、ほぼナゲットじゃね。
「おい。無視してんじゃねぇよ。」
休み時間もう20分も無いんだからさ、頭使えよ。脳みそ入ってねぇの?
「確かに。オチが無いと白の話微妙だもんね。ずっと同じ話してるし。」
「ずっと思ってたんだけどさ、秋のフォローがフォローじゃないんだけど。一体全体どういうことなの?」
「別にフォローしてるわけじゃないよ。思ったこと言ってるだけ。」
「じゃあもっとタイミング考えてよ。味方に背中撃たれた感じがして辛いんだよ。」
「でもタイミングを無くすと話に参加できなくなるじゃん。」
「それは確かに。」
難しい話だ。だが、そのせいで毎度俺が胸をえぐられるような痛みを味わうのなら、正直話に参加しないでいただきたいのだが。
「で、結局その子とはどうなったん?」
「今度バイト先に遊びに来てくれるって。」
「お。いいじゃん。」
明はメロンパンをもちゃもちゃしながら、テキトーな感じに相槌を打つ。こんくらいでいいんだよ。こんくらいで。
「遊ばれてるんじゃなくて?ほら、罰ゲームで告白してこい、的なあれで。」
秋。お前今日特にアタリきつくない?
「約束したし、遊びじゃないと思う。」
「...無理しなくていいんだよ?」
その顔やめろ。まじで腹立つ...。
「無理なんかしてないって。俺のこと何だと思ってんだよ。」
「....ポンコツ居眠り鈍感おちゃらけ馬鹿。」
「ちょっとひどすぎないか!親しき中にも礼儀あり!言葉の暴力反対!」
さすがにちょっと傷ついた。この際聞いてみるか。明にも。
「明は?俺のことどう思ってんの?」
「黙秘。」
「なんで?」
「質問がきもい。」
「...ごめん。確かに、ちょっときもかったかもしれん。」
「...。」
「...。」
「...。」
テーブルに沈黙が訪れた。
「お前らいい加減にしろよ。」
こんなにも和気あいあいとした空間にいてさ、邪魔して申し訳ないな、とか思わないんですか!このバカ!バーカ!
「いい加減どっか行けよ。お呼びじゃないんだよ。」
片手間に。赤子の手をひねるように。軽くあしらった。足蹴にした。
真との出来事を、色々と脚色して面白おかしく話してやろうと思って、声を出そうとした瞬間だった。何か途轍もない衝撃で視界が横転して、パキン、パキン、と箸が床に落ちる音がした。
「おい!大丈夫か白!」
「.....ん?あぁ。大、丈夫。全然、平気。」
身体がうまく動かせない。体を起こそうとしても、腕の力が突然入らなくなる。電池切れ寸前のリモコンみたいだ。目もうまく開かない。意識が点いたり消えたりして、気を抜いたら勝手に瞼を閉じてる。無駄に早起きしたときみたいだ。
秋の声が、俺の安否を確認している。身体が何かに揺さぶられていて、耳だけが、周囲の音だけが、やたらと鮮明に聴こえてくる。
「この仕打ちはさ、ちょっとおかしくねぇか?」
明が2人を責め立てる。
「人が手を出さないと思って舐めた口聞くからだろ。」
「あんたらがしつこかったからだろ。自分のしたことも思い出せねぇのか。てめぇは。」
「三年の俺の言うことに従わないお前らが悪い。」
...でかい小学生かよ。
「えぐすぎ。脳みそ委縮してんじゃねぇの。」
「...いや、悪い。噓ついた。」
「ビビったか?下手すりゃ警察沙汰だも....」
「ちげぇよ。」
明の声は、怒気が込められた男の一言によって、軽く圧し潰された。
「そいつ。そこで伸びてるお前。ムカつくんだよ。こっちの顔チラチラ見てただろ。逐一反応を伺ってるのバレバレなんだよ。この臆病者。まぁ、聞こえてんのかわかんないけど。」
「もういい。」
「ちょっと待てって、まだ話終わって...!」
.....
「明!もういいから、早くこっち来て!白が!」
「....分かった。誰か、こいつを運ぶの手伝ってくれ!」
怒りが目ん玉の奥で脈動している。視界の隅から隅まで、暴力の衝動が渦巻いている。今すぐあいつの胸倉を掴んで、顔面をぐちゃぐちゃにしてやりたい。
だが、今はだめだ。切り替えろ。切り替えろ!手を動かせ!声を出せ!己を誤魔化せ!
「見てないで誰か早く来てくれ!」
誰も来ない。どころか、どいつもこいつも、そそくさと逃げていく。
「ああ、もう!そこの3人。ちょっとこっち来て、運ぶの手伝ってくれ!あと、そこの2人組!ちょっと保健室行って状況を伝えてきてくれ。頼む!」
合図を出して白を持ち上げる。俺と秋を含めて5人。思っていたよりも重い。一人全然力を入れてないやつがいて、右足のあたりがずり下がっている。担架を、保険医を待つべきか、これならおんぶの方がマシじゃねぇかとか、頭の中がめちゃくちゃになっていたが、今から別の決断を下す勇気が、俺にはなかった。
薄れる意識の中でも、男の声はハッキリと聞こえていた。確かにあいつの言う通りだ。お前が下だ。お前が消えろ。俺はそういう意思表示をした。どう考えてもこっちの方が正しかったから。この国には銃が無いから、ごちゃごちゃとうるさい相手をさっさとこの世から消してしまおうなどという、絶対的にシンプルで合理的な選択肢は無い。何をされようが、社会的にはほぼ確実に勝てる。そこまでいかずとも、きっと、多分、おそらく。周りの誰かが助けてくれる。そんな馬鹿なことを本気で考えていた。正確に言うと、無意識にそう直感していた。
要するに、俺はビビってしまった。あいつの複雑に絡み合った前髪からこちらを覗き込む瞳。目が合った瞬間にわかった。こいつは、だめだ、と。何があったのかは知らないが、あいつの眼には一切の光が無く、コールタールのようにどす黒く淀み切っていた。だから、正面から相手をしなかった。
ただ、今は良い気分だ。悔いが残らないように楽しく生き、自信をもって死ぬ。そんな俺の素晴らしい人生設計、ポリシーが、これっぽっちも実行できていないことに気付くことが出来た。俺はあの時、真っ向勝負を挑むべきだったのだ。同じ土俵で戦うべきだったのだ。今更気付いたところで、色々遅いのはわかっている。だからこそ、この悔いは必ず晴らす。そうして俺は、さらに上のステージへと進む。これは背水の陣なんかじゃない。祭りだ。祭りじゃ。血祭りじゃ。あいつは絶対に俺がボコボコにして、二度と逆らえないようにボコボコにして、地獄に叩き落として、カマキリにでも転生させてやるわ。
暗いですね。ごめんなさい。




