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これからあなたを24時間。この袴ではたき続ける。袴ってビッグなハリセンって感じじゃん。

戦国。生きるか死ぬか。信用できるのは己の腕と一振りの刃のみ。敵は真正面から叩き切り、頭蓋を粉々に踏み潰し、刃に滴る血を啜る。秩序も倫理もない。荒ぶる力の時代。

 

 お日様半分沈んで揺れて。空は朱色の逢魔が時。烏の瞳が紅色に輝き、稲がさらりと穂をゆらす。視線の先には仮面の侍。右目の古傷疼かせて、今か今かと戦煩ひ(いくさわずらい)。こちらも負けじと右手を柄に。冷や汗たらりと全集中。手繰り寄せるは隙の糸。竹笛の音色が開戦の合図だ。


ちゃららーん。


悠久の静寂。焦れば一太刀見切られ殺され。振らねば当たらぬ間に合わず。相手の動作を潰す刹那。よーいどんの真剣勝負。息を呑むな。固唾を吞むな。己のカンを信じてただ待て。



パァンッ!!!!!!


「ぐほぁ!!」


ガタン!!!

反射的に席を立ってしまった。

「いってぇな!何すんだこの野郎!!」

鼻がヒリヒリする。どうやら机にぶつけたみたいだ。どうやってぶつけたのか理解できないが。

「こっちのセリフだ馬鹿野郎。」

国語担当、かつ担任教師でもある加藤先生だった。右手で教科書を丸めて、左手にポンポンと打ち付けて音を鳴らしていた。どこぞの看守のようだ。状況を察するに、俺は加藤先生に教科書でひっぱたかれたらしい。

「その年で寝不足とはな。昨晩はさぞお楽しみだったと見える。」

低音なのにハキハキと聞き取りやすい声だった。ただ、怒られているというよりは、ただ冷静に聞いてみたなだけって感じだ。くそ。説教されてるはずなのに、先生がかっこよすぎる。一体何を食べたらこんなイケオジになるのか.....。今度イケオジグロウアップセミナーでも開いてもらおう。

「すみません。昨日は詰将棋に夢中になっちゃって。」

「じじいかお前は。まったく。体調悪くないなら頑張って起きろ。形だけでもいいから。きついならさっさと保健室に行け。」

きつく当たってるように見えるけど思いやりがある。理想の親父。先生!俺のお父さんになって下さ....。あれ、なんか、まじで気持ち悪いかも。やばい、キツイ.....。まじか。

「.....すいません。やっぱ体調悪いので、保健室行ってきます。」

頭が重い。鼓動に合わせて激しく痛む。息を吸うたびに吐き気というか、倦怠感が身を蝕んでいく。昔好きだったミニゲームの夢を見て興奮していたのか、少し遅れて不調がやってきた。

「...保健委員、つけるか?」

加藤先生は見定めるようにこちらを見ている。なんとなくだが、体調不良を疑われているわけではないと思う。日頃の行いがいいからかなぁ。まぁ、このクラスになってから2週間しか経ってないけど。

「大丈夫です。1人で行けます。」

反射で答えてしまったが、正直結構きつい。けど、今更迷惑は、かけられない。

「体調戻るまでちゃんと休め。ダメなら早退しろ。」

担任ガチャは大当たりだと、今確信した。

「はい。行ってきます。」

重い体を懸命に動かして保健室に向かう。倒れるほどではないが、歩くのもしんどい。保健室までいつもの倍くらい時間がかかった気がした。


 手を軽く握って、手の甲で扉を鳴らす。

「は~い。どうぞー。」

扉を閉めたままでも、はっきりとした声が聴こえた。コの字型の手すりを引いて、ドアのレールを跨ぐ。途端に室内の空気が解放され、清涼感のある独特な匂いが鼻腔を満たす。入り口の真横に吊り下げられたコルクボードには、色褪せたコラムの数々と、車のメーターみたいな湿度計と湿度計が掲示されている。反対側には、見るからに柔らかそうなソファとレトロな薬品棚が配置されていた。壁や天井、家具とインテリア、そのほとんどが乳白色で統一されている。ふと気になったのだが、どうして医療機関はどこも似たようなレイアウトになるのだろう。そういう特別な規格でもあるのだろうか...。匂いまでほとんど同じなのは、本当に不思議だと思う。薬品を集めると、自然と病院っぽい匂いになってしまう、とか?


「失礼します。2年2組の髙橋です。体調が優れないため、少し休みに来ました。」

「はい。2組の高橋君ね。ごめん、出席番号だけ教えてくれる?」

パソコンに何かを打ち込んでいたのは、養護教諭の西野先生だった。黒縁のメガネとふんわり分けられた前髪、シワ1つない白衣とパンツスタイル。その他様々な要素が融合し、出来るキャリアウーマン感が爆発していた。昼休みに保健室を訪れる男子がいるとは聞いていたが、その気持ちがよくわかる。保健室の先生が美人で仕事もできるなんて。最高じゃぁないか!

ただ、1つ忘れてはいけない重要事項がある。それは、彼女が既婚者だということだ。知らぬ存ぜぬでラインを越えてみろ。つぶされるぞ。

「19番です。」

「19番ね。はいありがとう。それじゃ、そこのソファ座って~。体温測るからね~。」

はい、と返事をしてソファに座る。ぎゅむっと音がして背面から沈み込むようだった。


「えっと、35.8℃。ちょ~っと体温低いけど、ひとまず風邪じゃなさそうだね。他にも何か症状はある?おなか痛いとか、頭痛いとか?」

「...えっと、頭が痛くて、吐き気っつーか、満遍なく気持ち悪い感じです。」

そっか。う~ん、とボールペンを口に当てながら先生は思考を巡らせている。うん、と呟いて先生はボールペンを胸ポケットに刺した。

「まぁ、多分貧血かな。とてつもなく重い病気、とかじゃなければね~。」

そんな満面の笑みで重い病気とか言わないてくれ。体調が良ければ悪ノリできたけど、今はちょっと厳しいわ。きついわー。

「急に怖いこと言わないでくださいよ。くも膜下出血ですか?脳梗塞ですか?それとも、幽体離脱?」

「さぁね。私にはさ~ぱりわかりません。死にたくなかったら大人しく休んでいきなさい。」

無視、ですか。へー。大人ってそういうことするんだ。へー。え。素直に面白くなかっただけ?あ、ごめんなさい。

「はいはい。大人しく寝ます。」

ふにゃふにゃな身体を起こして奥のベッドに向かう。3つ並んでいるベッドのうち、真ん中のベッドだけカーテンが閉まっていた。どうやら先客がいるらしい。右のベッドは陽光で覆われてて0円サロン状態だし、左側のベッドを使うことにした。


 夏以外、俺は寝巻の上から制服を着ている。友人達からはズボラでだらしないと不評なのだが、ドが着くほどの寒がりな俺にとって、着脱式の温度調節システムは必須なのだ。それに、こういう時に寝巻になれるし。制服を脱いで適当に畳んだら、サイドテーブルにそっと置く。急激に軽くなった身体で布団に体を預けると、疲労感がぐっと和らいで気持ちよかった。枕からは旅館のシーツみたいな、薬品のような匂いがした。

「何かあったらすぐ呼んでね。しばらく近くにいるから。」

カーテンの向こうから先生の声が聞こえる。手を振っているシルエットも、ぼんやりとだが見えた。

「はい。ありがとうございます。」

返事は、ありがとうございますであっているのだろうか。まぁ、どうでもいいや。

 

ベッドに寝転んだら、すぐに眠れると思っていた。だが、安らぎの時間は短く、すぐに苦痛の時間へと変わってしまった。ちゃんと、身体の重さとだるさを感じる。なのに、全く眠気を感じない。目を閉じて大人しくしてみるものの、瞼がヒクついてイライラするばかりだ。身体の右側面に掛かる圧力と、枕から首にかかる応力が煩わしい。落ち着ける体勢を探して、さっきから何度も寝返りを打っている。体を動かしているうちに、右脚の関節が痛くなってきた。股関節から膝へ、膝から足首へと、痛みが伝播(でんぱ)していく。患部を庇っても痛みは消えない。常に一定の痛みを、信号を発している。


 あぁ、まじでイラつく。昔から痛いのは大嫌いだ。考えても考えても痛みは和らがないし、むしろ悪化するのだ。おまけに、休まなければいけない、寝なければいけない時に限ってそれは現れる。原因も対処法もわからない。消えるのを待つことしかできない。限界が来ても、耐えられなくても痛みは続く。これのせいで、何度死のうと思ったか。あぁ、どうしてこんな体質になってしまったのか。俺が知らないだけで、みんなもこうなのかな。でも、もう耐えられない。耐えたくない。誰か、この痛みを取ってくれ。足を引きちぎってくれてもいい。もう、楽になりたい。休みたい。もう、帰りたい。





どこへ?





 車輪が地を蹴る轟音が聞こえる。車窓から覗く対向車は近づくほどに速度を増して、ヒュンと後ろに流れていく。車内の空気は生ぬるくて、タバコの匂いと埃の匂いが混ざり合って籠っていた。朱色の陽光が差し込んで眩しくて、椅子が微妙に柔くて気持ち悪かった。あぁ。これ。前の車だ。


「あんたに、そんなこと言われたくない。」


会話の内容は思い出せない。だが、その声が聞こえた途端に、胸の奥が途轍もない重力に引っ張られたようだった。それに、視界が広がったような気がする。いや、違う。ピントが合っていないのだろう。ぼやけた視界では、朱色と薄暗い影の2色しか、感じることが出来なかった。


「は?あんたには関係ないでしょ?」


会話の内容は覚えていなかった。状況は同じだった。でも、さっきまでのパニックが信じられないほど、何も感じなかった。何かのために働かせていた思考が、大きな壁にぶち当たって粉々に砕け散ったようだった。頭蓋骨の内側を何かが狂ったように暴れて、いたるところからガンガンと衝撃が伝わってくる。あまりのショックに思考能力は機能を停止している。窓の外に見え始めた山々が、絵の具を刷毛で撫でるように、幾つもの線になって流れていく。早く止めてくれ。どうでもいいんだ。音も、匂いも、光りも色も。この身体も。もう全部いらないから。もう楽にしてくれ。





「ねぇ。大丈夫?」

身体が何かに揺さぶられている。肩に置かれた何かは小さくて、音はか細い。

「え?ん?」

あれ、ここ、どこだっけ?なにしてたんだっけ.....。てか誰.....。



「うわぁ!だ、誰!」

がバッと、飛び起きて、思わず叫んでしてしまった。

「ごめん。驚かせちゃったね。私は3年の|足立 彼方(あだちかなた)。君は?」

「あ、2年の、高橋 白です。すみません。大声出しちゃって。」

意識が落ち着いてきて、ようやく彼女のことを認識した。大人びた眼差しが温かくて、綺麗な烏色の髪が印象的な、なんというか艶のある人だった。この人が自分と同じ高校生だと信じるのは、正直かなり難しい。あ、いい意味でね。すごく、いい意味で。

「高橋君が謝ることないよ。私が急に声をかけちゃったから。でもね、高橋君が苦しそうだったから、つい....。もう、体調は大丈夫?」

「あぁ、はい。もう大丈夫です。ご心配をおかけしてすみませんでした。」

「そう。それはよかった。」

優しい微笑みだった。この人、老舗旅館の若女将とか絶対似合うと思う。紅白の椿が散りばめられた黒のシックな着物とか着てほしい...。窓際で夜桜と月をバックに煙管とか咥えてほしい...。美人を前にすると妄想が捗ってキモイな。我ながら。

「あの、先輩もここで休んでたんですよね。先輩の方こそ、体調は大丈夫ですか?」

「あぁ。心配しないで。私は大丈夫。先生との話聞こえてたよ。君も貧血なんだってね。私も貧血気味で休んでたの。奇遇だね。」

奇遇だねって...。うわ。なんかよくわからないけどめっちゃ嬉しい。

「そうですか。先輩の邪魔になってなくて良かった....。そういえば、先生はいないんですか?」

西野先生の姿が見えないことが気にかかる。ていうか、今何時だろ。結構寝てしまったような、逆に全然寝ていないような...。すみません。嘘です。寝てた時間が分からないだけです...。はい。

「先生?先生は今外出中だよ。もう昼休みだしね。」

いま、先輩さ、昼休みって言わなかった?

保健室の壁掛け時計に目を向ける。短針が、12と1の間で、長針が、5と6の間くらいかな.....。12時半じゃぁねぇかぁ!

「え!12時半!やば!1時間以上も寝てたの俺!」

明と秋とピクニックの約束が....。このままだとあいつら、男2人で中庭に....。それはまずい!

「ていうか、先輩はお昼ご飯食べましたか⁉」

先輩はずっとここに居たのだろうか。それともお昼ご飯を食べてきたのだろうか。

「私は、あとで食べるから心配しなくていいよ。あと、先生から伝言頼まれてる。」

伝言?保健室から出る前に書類に名前書いていって~、とかそんな感じのやつだろうか。

「先生がね、ちょっと外すけど体調良くなったら帰ってもいいよ~って。」

ん?それって、多分。

「それ伝言じゃなくて先輩に言ったんですよ!多分。俺のことなんて気にしなくてもよかったのに。ほんとすみません!」

気にしてもらえて、優しくされて嬉しいけど、もっと自分のこと気にした方がいいですよ!

「そうかな。えっと、勘違いしちゃったかな。」

先輩はどこか芝居がかった反応だった。この状況が気まずいとか?ちょっと気掛かりだけど、今は急がなければ...。

「先輩、色々言いたいことはあるんですが、約束があるので行きますね!」

「約束?」

「はい。急がないと、友達が同性カップルにされてしまう!」

省きすぎた。先輩は...。驚きを隠せないといった感じの表情だ。だが誤解を解く時間はない。仕方ないことなんだ。そう、仕方のないことだ。

「それは、大変だね。けど今のご時世ではそういうのもあり、なのかな。いや、高橋君にとってはまた別の問題なのかなぁ。いや、う~ん...。」

し、仕方のないことだ。うん....。

「先輩、先ほどはありがとうございました。今度時間が空いた時にお礼をさせてください。お互いに体調には気をつけましょう!それじゃ、行ってきます!」

ネクタイを結びながら走り出す。保健室に来る前よりはマシって感じだ。

「行ってらっしゃーい。お礼なんていいよー...って、もう行っちゃった。はやいなぁ。ちゃんと聞こえたかなぁ。勢いのある、変わった子だった....。」


 こんなにちゃんと話をしたのはとても久しぶりな気がする。心臓が跳ねるように脈動して、外行きの声を出した喉がカラカラになった。サイドテーブルに置いておいた赤い水筒の麦茶を飲む。いつも通りの味がする。馴染み深い味。家の味。その香ばしさは、既に懐かしさへと昇華している。普段から口にしていても、それは変わらない。


 ただ、この時の一杯は、いつもの味と少しだけ違うように感じた。なんだか、いつもより味がはっきりしていた、ような気がしたの。でも、どうしてそう感じたのか、私にはわからなかった。

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