架け橋となるもの
父さんは、バカで、大食いで、若干体育会系で、ものぐさで、デリカシーの無いろくでなしで、日曜日はソファでいびきをかきながら寝ていた。そんな、まるで絵に描いたような父親だった。母は父さんのことをいつも邪険にしていて、決して顔には出さないが父さんもめんどくさそうにしていた。父さんは、俺と妹には優しかった。母に秘密で色々と買ってもらった。母にそれを取り上げられた時も父さんが庇ってくれた。一緒に風呂に入ったときは、力任せに体を洗われて痛かった。たまらず文句を言うと、兄貴ならこのくらい我慢しろと逆に怒られた。家族で出かけた時は、父さんも俺達と同じようにはしゃいでいた。嬉しい反面恥ずかしい気持ちもあり、当時は父さんが子供っぽい人なのだと信じて疑わなかった。だが、今ならわかる。あれは、子供の俺達と目線を合わせてくれていたのだと。そんな父さんのことが俺と妹は大好きだった。そこには確かに家族の繋がりがあった。安心があった。
母のことも別に嫌いではなかった。
「新藤を退席させろ。」
「それは出来ません。」
すかさず河上が答える。
「何故?」
「あなたの担任は新藤先生なので。」
「でもそいつさっきから一言も喋っていないぞ。」
「私の指示です。」
どんな指示だよ。信用無さすぎだろ。
「それ、この場にいる必要あるのか?」
「あります。新藤先生は書記ですから。」
絶対いらないだろ。
「そんなのあんたがやればいい。」
「こう見えて私、話の要約とか苦手なので。メモ取るのとか超嫌いなので。」
いい年して見え透いた噓つくなよ。みっともない。眼鏡泣いてんぞ。
「まぁ、いいか。じゃあ説明しろ。どうやって父さんのことを知った。」
どうせ情報は共有される。少々不快だが、言っても無駄なら引き下がる他はない。
「君がこれまで在籍していた学校に連絡して事情を話したら色々教えてくれましたよ。」
どいつもこいつも人のプライバシーペラペラ喋んなや。だが、それだけで父さんの所在を掴むことは不可能なはずだ。なぜなら、母でさえ父さんの所在を掴めていないのだから。
「父さんの所在はどうやって調べた。」
いや、母が俺達に黙っていた可能性もある。今までも何度か父さんの所在を探ったことはあるが、私にもわからないの一点張りだった。いつからか俺もそれが真実だと思い込んでいた。
くそ。どうしてこれまでその可能性に気付かなかった。
「自分で調べました。」
....いや、普通に怖くね?何者なのこいつ。
「いつコンタクトを取った。直接会ったのか。」
「コンタクトを取ったのは去年の十二月頃です。直接お会いしたことはありません。」
なんか噓くせぇな。この詐欺師もどきが。
「どうして俺に言わなかった。」
「言う必要が無かったからです。」
......あぁ、そういうことか。俺がやらかすのを待ってたのか。こいつは。道理で生活指導が強く言ってこないわけだ。
「動機は?」
「それは言えません。」
は?何言ってんだこいつ。
「こっちはプライバシーを侵されてる。言い逃れは許さん。」
「君のプライバシーとか、ここに入学した時点で無いも同然じゃないですか。」
お前がそれを言うな。少しは自覚を持てこのクソ眼鏡。
「それとこれは別の話だ。」
「...私の言ったこと、確かに!とか思ってるんでしょ。」
うざい。
「そんなことない。」
「でも話変えたじゃないですか。」
食い気味に反論してくんな。気色悪い。
「...ごちゃごちゃ五月蠅いんだよ。訴えるぞ。」
「どうぞ。私が勝ちますけど。」
...眼鏡クイクイするな。殺すぞ。
「大体見当はついてる。」
「そうですか。なら、君の考えを聞かせて下さい。」
ちょっとわくわくしてんじゃねぇよ。気味が悪い。
「父さんの所在を教える代わりに俺に何かさせようってんだろ。矯正も兼ねてな。さしずめ、なんとか委員だの、なんとか係だの、めんどくさい仕事を押し付けようってとこだろ。要するに、俺を都合のいい駒にしたいんだ。あんたは。」
「...ほう。」
イベントの質は実行委員の質で決まる。いくら例年通りのスケジュールを組もうが、作業する人材のスペックが毎年変わるからだ。運営の経験が豊富でどんな作業でもそつなくこなす出来る側の人間と、運悪く実行委員になってしまったミスの絶えない出来ない側の人間。当然両者の仕事量は変わってくる。出来る人間は出来ない人間を励まし、それぞれの仕事を進める。
時間が経つと、出来ない人間は疎外感を感じるようになる。仕事は山ほどあるのに自分にできる仕事が無いからだ。無理をして手伝ったところで周囲に迷惑を掛けるだけ。少ないが自分の仕事もある。それに、向こう側の人間は仕事に忙殺されている。自分が出来ることは何もない。彼らの方が自分の何倍も辛い。はずなのに、彼らは眩い星のように輝いて見えた。結局、完成した物を見てもこれっぽっちも達成感が得られず、和気藹々とした雰囲気にも耐えられず、その場から立ち去った。
はい終わり。
どうしてこのような格差が生まれてしまったのか。経験、要領、性格、遺伝子なんて答えもあるかもしれない。そして、それらが間違っているとも思えない。だが、俺は思う。単に出来ない人間が傲慢だったのだと。自分はあちら側にいるべき人間だと、同じだけの能力があると過信したのだ。だが、結果は実績を見ればわかる。どれほど目を背けても、差は開いていくばかり。いづれ己の所業に耐えられなくなり、性根が腐って心を閉ざす。こうして人の格差は生まれ、加速度的に開いていく。そして、自分の過ちに気付くことなく、己の無価値を呪う地獄のような人生を送る。
ただ、勘違いしないでほしいことがある。それは、出来る側の人間が最初からそうだったわけではないことだ。己の現実を正しく認識し、恐怖に打ち勝ってきた者達だということだ。だから、迷いのない仕事ができる。必要以上の恐怖を持たずに、最初の一歩を踏み出すことができる。その先にどれほどの困難が待ち受けていても、絶望に苛まれても、大事なところでしっかりと踏ん張れる。結局のところ、意志なのだ。己を過信せず、日進月歩、勇往邁進に徹した人間が生き残る。
そんな簡単なことにも気づけない馬鹿に、世界は残酷だとか、現実は甘くないとか、軽々しく口にしないでほしいね。その言葉が本当に必要な人間が、哀れで仕方ない。
まぁ、俺は出来る人間だから、そんな滑稽なやつらのことは知ったこっちゃないが。
「...流石です。全くもってその通」
だが、
「それだけじゃないんだろ。」
「...。」
俺は自分が優秀であると自覚しているが、百戦錬磨や一騎当千の類ではない。俺よりも優秀な奴もいる。そいつらと交渉すれば、こんな面倒なことをする必要は無い。そもそも、この学校自体が大したことのない凡校なのだから、イベントに力を入れる必要も無い。つまり、河上には別の目的があるということだ。
「仕方ないですね。そこまで言うなら教えてあげましょう。私の壮大なる計画を。」
河上の眼鏡が、怪しげに輝いた。
「というわけで、単刀直入に言ってしまいますが、君にはこの学校の模範しゅ....。いえ。この学校の英雄的存在になって頂きたいのです。」
模範囚って言ったな。こいつ。
「...あぁ、そういうことか。」
「ほら。やる気なくなったでしょ。」
「まぁ、そんなことだろうとは思ってた。」
馬鹿を焚きつけるための薪にしようってことか。不良だって必死で努力すればエリートに...やめておこう。
「君が自覚していない方が都合が良かったんですけどね。」
(君が本当に頑張っていた方が効果的ですからね。)の間違いだろ。訂正しろよ。クソ眼鏡。
「あんたには、俺が何も考えてないように見えるのか?」
「いいえ。だから君には、ものすごく期待していますよ。」
...きっしょ。ストーカーかよ。
「じゃあ、最後に用件を聞かせてくれ。」
「私の要求は三つです。一つ目は、これ以上トラブルを起こさないこと。二つ目は、一度で構わないので成績で学年一位を取ること。三つ目はいい大学に行くこと。」
「見返りは?」
「君のお父さんの所在を教えます。」
いや、対価しょぼくね?
「それだけか?」
「いい大学に行けます。」
「...他には?」
「君次第ですが、今後の評価が上がります。」
いや、それ当たり前だろ。というか、言われなくたっていい大学に行くつもりだわ。最初から。令和の高校生舐めんな。クソ眼鏡。
「それと、妹さんにはまだこの話はしていません。」
「....。」
「私から彼女に説明するつもりはありませんし、君のように交渉を持ち掛けることもしません。その辺は全て君にお任せします。」
「....了解した。」
「私の話は以上です。何か、質問はありますか?」
「...返事はいつまでにすればいい?」
「次の面談でお願いします。他にはありますか?」
「ない。」
「わかりました。新藤先生は何か言いたいことはありますか?」
「....ありません。」
「わかりました。では、これで面談は終わりです。次回の面談を楽しみにしています。」
「...あぁ。」
足早に職員室を後にした。
武内が退室した。身体に力が入らない不自然な脱力感。この学校に赴任して早五年。このような体験は初めてのことだった。
「河上先生。今の話は本当ですか。」
二人のやり取りは、まるで飛沫を上げる濁流の如く。私の頭をまだ混乱している。
「本当です。」
「では、その、武内の家庭には問題があるんですね。」
武内の顔。資料を目にした時の表情は尋常ではなかった。あれは、子供のする表情ではなかった。
「そうですね。家庭というか、どちらかと言えば母親に問題があります。」
「...私は、気付けませんでした。」
「そうですか。無理もありません。」
私は武内本人に問題があると思っていた。そして、資料を見てから本当は父親が関わっていたのか!と思えば、母親に問題があると河上先生は言う。一体私は何を信じればいいのか。
「...では、なぜ武内本人と話をしたのですか?」
「それは...。私は、馬鹿な大人の面倒なんて見たくないからです。馬鹿な大人は、変に自信ありますからね。相手にするだけ無駄ですよ。これ大事ですからね。」
「...そうですか。肝に銘じます。」
胸ポケットに挟んでいる手帳を取り出してメモを取る。
今日の河上先生は変だ。まるで子供みたいに発言に一切の迷いが無い。
「.私は思うんです。これからの学生に必要なのは希望なんじゃないかって。」
希望。フィクションでしか目にしないそれを、河上先生は嬉々として語った。
「近年急速に拡大する個人主義の風潮があるでしょ。より偏差値の高い大学に合格する、より年収の高い企業に就職する、芸術家やクリエイターとして世界に羽ばたく、みたいな。私個人としては、これってすごくいいことだと思うんです。天井が高い方が得られる達成感は大きいですし、人類全体が進化しているとも言えなくもないでしょ。人の可能性が広がっているように感じるでしょ。でも逆に言えば、底が低いんです。」
途端に、河上先生の表情に陰りが見えた。LEDの発光に異常はない。
「...格差が開いているということですか?」
「はい。ですが私は、底にいる人間の能力が劣っているとは思いません。適切な訓練を積めばいくらでも、何者にでもなれる存在だと考えています。そして、この格差が生まれた理由ははっきり言って過去の経験です。過去に失敗し、大きく挫折した経験が、今の彼らを苦しめているのです。」
私は、そんな簡単に言い切れることではないと思った。
「...その苦しみから生徒を開放するのが、河上先生の言う希望、ということですか?」
「その通りです。自分が何を目指して生きているのか、自分はどう生きたいと考えているのか。今の自分と将来の自分が繋がっているという自覚、希望を持っていれば、どんな生徒だって輝ける。もっと上を目指せる。私は、そう信じています。」
綺麗ごと。まさしく、綺麗ごとだと思った。
「その第一人者として選んだのが武内ということですか?」
「そうです。元から持っていた物が人の価値を決めるのではなく、積み重ねてきた物が、これから積み上げていく物が人の真価なのだと。前を向けなくなってしまった生徒に気付きを与える。彼には、そのような存在になって欲しいと思っています。」
武内は学年十位以内には必ず入っている。一年の頃からそれは不動の物だった。だが、それは決して武内が努力の人だからではない。武内には時間が余っているのだ。他の生徒は、総体や卒業制作のために必死で部活に勤しんでいるというのに。
「そんなに上手くいくでしょうか。本人があの調子で。」
上手くいくわけがない。どうせどこかで問題を起こして、誰にも見向きもされずに卒業していくに決まっている。
「そんな他人事みたいに言わないでくださいよ。新藤先生にも色々手伝ってもらう予定なんですから。」
「...え?」
「え、じゃないですよ。武内君の担任は新藤先生ですし、そのために面談にも立ち会ってもらったんですから。」
冗談じゃない。教師としてようやく軌道に乗ってきたところだったのに。
「...私に何が出来るんですか?」
「それは私にもわかりませんが、まずは三年一組の生徒に希望を持ってほしいと思っています。そして将来的には、全校生徒が希望を持って明るい未来を作ってほしい。それが私の野望です。くれぐれも、内密にお願いしますよ。新藤先生。いえ、共犯者先生。」
下らない。出来るわけない。こんな綺麗ごと。子供じゃないんだ。無理に決まってる。だが、立場上断ることも出来ない。
「...わかりました。」
怒りで頭が爆発しそうだった。
空はまだ明るい。だが、朝とも昼とも違う。仄かに暖色系のフィルターが掛けられているような、寂しい雰囲気がした。すれ違いざまに教室の時計を覗く。
十六時三十七分五秒。
体感では五時前といったところだが、案外短時間で面談が終わったらしい。財布の中に見覚えの無い千円札が入っていたような、妙に得をしたような感覚がある。この謎の高揚感があるうちに、さっさと家へ帰ろう。そんで、さっさと風呂に入ってから一眠りして、脳みそを空にしてから勉強する。完璧なビジョンだ。
教室の戸を開く。薄い陽光に照らされた誰も居ない寂しげな教室。半室には濃紺の影が落ち、虚空には運動部の掛け声がこだまする。俺は一人、自席に戻って鞄を持って帰路へ着く。
はずだった。
「お、来たね。待ちくたびれよ。先輩。つっても十五分くらいだけど。」
「十分くらいじゃね?」
「別にどっちでもいいだろ。」
日差しに包まれた俺の席に傍若無人に陣取っている二人の男。その姿には見覚えがあった。
「何しに来た。」
「...あんたと決闘しに来た。」
いい年して決闘ですか。うわ。恥ずかし。
「断る。」
「そうか。なら仕方ない。あんたが男同士の決闘から逃げた臆病者だという噂を学校中に流す。」
「ああ。勝手にしろ。」
丁度いい。これで誰も俺に絡んでこなくなる。いや、多くなるか。まぁ、どっちでもいい。
「であれば、仕方あるまい。追加であんたの息子が機能不全だという噂を学校中に流す。」
「...勝手にしろ。」
何を言ってるんだ。こいつは。
「はぁ。仕方ない。こればっかりは本当に可哀そうだから言わないでおこうと思ってたのになぁ。仕方ない。本当に仕方ない。」
「...。」
もう無視して帰ろう。
「あんたが重度のシスコン野郎で未だにお風呂もお布団も一緒に入っているという噂を学校中に流す。」
「....。」
自席から鞄を取る。二人はピクリとも動かなかった。てか、なんなの。そのやけにデカイサングラス。似合ってねえぞ。
「俺は帰るからな。」
「...はぁ。仕方ない。本当に仕方ない。こればっかりは、本当の本当に可哀そうだから流石にやめておこうかと思ってたのに。だが、こうする他あるまい。あんたは、男同士の決闘から逃げ、臆病風に吹かれて息子の機能不全に陥り、重度のシスコン野郎である本性を隠せなくなって妹にあんなことやこんなことを要求しているゲス野郎だという噂を学校中に流す。」
「...ふ、ふぐっ...。」
沈黙。失笑。
それは、肯定か。否定か。
「...よし。わかった。殺す。」
決戦の火ぶたが切って落とされたぁぁぁ!!!!




