夢ならばどれほどよかったでしょう。今だにあの滑り散らかした地獄の三分間スピーチのことを夢に見る。意味なんて考えるな。辛いぞ。
「それでは、改めまして面談を始めます。面談の流れとしては、私が武内君に色々と質問していく形式を取ろうと考えています。それでもよろしいですか?武内君。」
「...構いません。」
悪寒がして一瞬返事を躊躇った。
「わかりました。それと、新藤先生には面談の記録、議事録の作成をお願いします。資料があるのですが、データと紙どちらにしますか?」
「紙でお願いします。」
「では、こちらをどうぞ。」
そう言って河上は数枚のA4用紙を新藤に手渡した。
「ありがとうございます。」
新藤は訝しげに資料を受け取った。一瞬垣間見えた河上の砕けた様子は、休息、息抜き意味合いがあったのかもしれない。部屋の空気は事情聴取を行っていた時のような重苦しい雰囲気になっていた。
「それでは質問していくので、可能な範囲で真剣に話してもらえると助かります。」
「わかりました。」
質問の内容によっては噓をついてもいい。どうせ噓をついていること自体はどこかのタイミングで感づかれるから、と冷静に状況を判断できるくらいに俺は落ち着いていた。
「ありがとう。じゃあ初めに。武内君の好きな食べ物は?」
「...あの、これってよーいどんって言ったらスタート、的なあれですか?」
「いや。もう本番だよ。我ながら妙な質問だと思うけれど、可能なら正確に答えてほしい。」
よく考えてみればこの男が冗談を言うはずもないか。と勝手に納得した。
「.....好きな食べ物は、ラーメンです。」
「はい。ありがとう。次、好きな色は?」
「紫です。」
「はい。ありがとう。次、好きな本は?」
「人間失格です。」
「それじゃあ...」
そのあとも質問は続いた。実際は五分程度しか経過していなかったが、体感ではその倍くらいの時間が経っていた。質問は取るに足らない内容のものばかりだった。好きなスポーツ、好きな漫画、好きな芸能人、好きなゲーム、その他にも嫌いな物も何回か聞かれた。特に警戒する必要も無さそうだったから普通に答えた。自分のことをここまで他人に話したのは人生で初めてだった。
「質問は以上です。新藤先生、議事録の作成で何か問題はありませんでしたか?」
「はい。問題ありません。」
新藤の返答に河上はグッドサインを出した。新藤は小さく頷いていた。
「二人とも、ご協力ありがとうございました。面談を終わる前に質問があれば受け付けますが、どうですか?新藤先生でも構いませんよ。」
河上の提案に、新藤は早々に首を横に振った。そうですか、と河上は少しだけ寂しそうに応答して、武内君はどうですか?と問いかけた。
「大丈夫です。」
「わかりました。ではこれで面談を終わります。次回の面談の予定はまた後日伝えます。新藤先生、その資料コピーして私の机に置いておいて下さい。」
「わかりました。」
「ありがとうございます。」
では私はこれで、と言って河上が席を立った。そのすぐあとに新藤がコピー機に向かい、俺も離籍しようとした時だった。
「あ、武内君に聞き忘れていたことがありました。」
「...なんですか?」
嫌な予感がした。俺は、錆びれたパイプ椅子の前で直立して返事をした。
「お母さんとは、どんな会話をしますか?」
「...夕飯の献立とか、お金の話をします。」
「....そうですか。わかりました。ありがとうございます。」
「失礼します。」
静かに扉を閉めた。
久しぶりに見た教室の時計は、16時27分を示していた。窓際の自席に目をやった。そこには二人の男が無駄にでかいサングラスをかけて陣取っていた。一人は窓に背を預けていた。一人は席でふんぞり返っていた。周りのクラスメイトは我関せずの姿勢を取っていた。
「おい、起きろ。ターゲットがごとうちゃくになられたぞ。」
窓に背を預けていた男が椅子に座っている男の横腹を足で小突いた。突然の刺激に驚いたのか、ビクッと体全体が跳ね上がった。
「何すんだよこのクソガキ。なめんじゃねーぞ。」
「俺じゃねぇよ。あっちだよ。ほら。入口の方。」
窓際の男が寝ぼけた男にチョップをして俺を指差した。サングラスを付けていてるせいで詳しいことはわからないが、寝ぼけていた男は目を凝らしているような動きをしていた。
「お、やっと来たかぁ。ほんと、待ちくたびれたわ。三百万億年待ったわ。」
寝起きの男はボキボキと首のあたりを鳴らしてから大きく伸びをした。言っていることは意味不明だった。
「じゃ、行きますか。」
「あいよ。」
寝起きの男は勢い良く椅子から立ち上がり、スタスタと向かってきた。もちろん窓際の男も付いてきている。クラスの連中は相変わらず静観を続けている。
「どうも。先輩。お久しぶりです。」
寝起きの男はサングラスを持ち上げて頭に掛けた。
「ちょっと面ぁ、貸してくださいよ。」
寝起きの男は心底嬉しそうにそう言った。
「どうなっても文句言うなよ。Mr.ノックアウト。」
「...男なら黙ってついて来いよ。頭陰毛野郎。」
男は鋭い眼光で俺を睨みつけ、教室を出ていった。河上の生徒を見る目が無いことが分かった。