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立場の違い。意識の違い。世界の違い。

「武内くん。話があるので、5分後に職員室に来なさい。」

「...はい。」

担任の新藤が俺にだけ聞こえるくらいの声で言った。HRが終わってすぐのことだった。


 職員室のドアを叩く。面接練習でもない。返事を待たずにドアを開いた。

「失礼します。」

教師の大半が部活で出払っているため、放課後の職員室はスカスカだ。件の担任は、席に座っていなかった。周囲を見渡すと、学年主任の河上(かわかみ)と新藤が一人掛けのソファに並んで座っていた。直接連行されなかったのは、河上が同席するためだろう。


「武内くん。こっちに来なさい。」

河上に言われるた通り、2人の対面に立つ。

「....そこの椅子に座っていいよ。」

「...はい。失礼します。」

赤錆の付いたガタガタのパイプ椅子に、浅く着席した。2人は落ち着いた雰囲気で、こちらの様子を伺っている。監視されているようで鬱陶しかった。

「...さて。君自身わかっているよね。どうしてここに呼ばれたのか。」

河上は穏やかに告げる。生徒、職員、保護者、どの方面からも評判の良い河上先生のことだ。腫れ物の扱いには慣れているのだろう。だが、めっぽう胡散臭い。

「...はい。」

「じゃあ、情報の整理をするから、事実と異なる点があれば、遠慮なく言って。」


 最初に聞かされたのは、被害者の学年と名前。次に聞かされたのは、被害者の容態。そのどちらにも興味はなかった。もう終わったことだ。殺したわけでも、殺そうとしたわけでもない。もう、終わったことなのだ。だから、今はこの場に相応しい態度で座っていればいい。それだけだ。

「唐突だけど、私は彼のクラスの英語を担当していてね。彼とはそれなりに面識がある。彼はね、授業態度がすこぶる悪い。時折悪ふざけもしているが、なにより居眠りが多い。起きている方が珍しいくらいにね。よだれを垂らして、羨ましくなるほど気持ちよさそうに眠っているよ。何回注意しても治らないから、ナルコレプシーとか起立性調節障害だったかな。そういった体質的な問題かもしれないと、最近は心配するようになったよ。」


 俺が言うのもなんだが、あいつはどうやら問題児だったらしい。誰かの金魚の糞でもやっているのだろうと思っていたが、空気の読めない厄介者だったみたいだ。どうせクラスでも浮いているのだろう。そういう奴は誰からも見限られる。

「そういった普段の言動から、彼が軽薄な人間だと感じる者は少なからず存在すると思う。それが誤解だとも言い切れない。でもね、彼は誰も気づかないような、見たくないようなことを放置しない。根はいい子だと思うんだ。私は。」


 まぁ、普段から呆けてばかりなのが残念だけど。と河上は最後に呟いた。苦笑いしていたせいか、最後の言葉は酷く軽かった。

「今回の件も身体に異変が起きなければ、問題を大きくする気は無いと言っている。彼には悪いが、運がよかったね。武内くん。」

「....。」

「...続けるよ。次に事件の詳細を確認するね。君と一緒にいた女子生徒、1年1組の武内 木葉(たけうちこのは)さん。妹さん、だよね。」

「はい。」

あいつも説教を受けているのだろうか。1年の教師陣に厄介な教師ははいなかったはずだし、問題は無いと思うが、あいつのことだ。あからさまな態度で教師をイラつかせていることだろう。


「昼休みに君たちは、中庭のテーブル席で談笑中だった2年2組の三上 明(みかみあきら)君と田中 秋(たなかしゅう)君に、その席を譲れと迫った。そのすぐ後に高橋君が合流し、君たちは言い争いになった。君たちの言い分は、自分達は普段からその席を使用していること。それと、自分らが上級生であること。そして、高橋君らはその要求を拒否した。とりあえず、ここまでで事実と異なる箇所はあるかい?」

「ありません。」

そ、と河上は言った。怒っているのか、蔑まれているのか、呆れているのか。何もわからなかった。

「そして、高橋君らは、君たちを無視して昼食を食べ始めて、君が高橋君の左頬を殴打。これは?」

「間違いないです。」

「そうか。状況の確認は以上だ。この件は親御さんにも連絡するし、大学の推薦にも響くかもしれない。なにせ、今回は君ら兄妹がほぼ10割悪い。それに、最近の君の態度は目に余る。私個人としては、音沙汰無く卒業してほしかったところだけれど、これ以上口を噤むのは我々教師陣の評価にも関わる。悪いけど、私たちにも守るべき信頼がある。だから、構わないね?」


俺は、どこかほっとしていた。

「はい。構いません。」

「...そうか。懸命だね。」

 河上は眼鏡を外して資料の上にそっと置いた。

「話は以上だ。何か言い残したことはあるかい?」

「ありません。」

説教というよりは、事情聴取だった。最低でも30分は拘束されると踏んでいたが、まだ10分程度しか経過していない。話が分かる大人、腰抜け、お人好し、ご時世。先生も大変そうだと、人並みに思ってしまった。

「武内くん。席を立つ前に、1つ質問してもいいかい?」

「...はい。」


 これまでの人生では、説教をしたがる教師が多かった。自分の感情論を推しつけてくる癖に、こちらの感情には一切触れようとしない。気にもしない。事実と正論をこれでもかと浴びせてきて、反論なんて出来ないのに反省の意志が見えないだの、感じられないだの。彼らは理不尽で、言いたい放題だった。その都度言いたいことが増えていくから、事実の確認と説教が混同して中々話が進まない。同じような話を何度も繰り返して、そいつの口が疲れたら話が終わる。河上は、そういうわけでもなさそうだった。段取りがいいというか、当たり前というか。


 ともかく、ここからが本番。河上の説教が始まるみたいだ。できれば、反論できるような面白い話をしてほしい、なんて、どこか期待してしまう。


「突然だけど、私が何を考えているのかわかるかい?」

「...。」


 反論の余地が無い。質問の意図はもちろん、答えなどわかりっこない。何かを試されているのか。教養のを確かめているのか。会話のどこかに答えがあったのか。


「.....。」


 俺は、意志に形が定まらないと声を発することが出来ない。何かを言わなければならないという建前と、見せられる物が出来るまで待てという本音。どちらも俺の意志だ。ただ、二つの相反する意思は心身を削っていく。息が止まり、脈が早まり、こめかみがいらつく。何か、何か、ないか...。

「....。」

「そうか。それが、君の答えだ。」


 河上は相変わらず穏やかなままだった。いい加減人間らしいところを見せろと思っていたが、その眼にはうっすらと嘲笑の雰囲気が見えた気がした。

「ま、待ってください。俺はまだ...」

「あぁ、いいんだ。別にこの問答に意味はないから。たとえ解答欄が空白だったとしてもいいんだ。」

「は、はぁ。」

なら、なんで聞いたんだ。


「じゃあ、新藤先生に質問です。先生は、私が今何を考えているのかわかりますか?」

「...わ、私ですか?」

新藤はあたふたしていた。当たり前だ。こんな無理難題、新藤にだってわかるはずがない。

「そうですね。武内くんは運がいい、と河上先生はおっしゃいました。私も、高橋君が大怪我をしなかったことが。不幸中の幸いだと思いました。だから、これからの武内くんに期待していると、前向きに考えていらっしゃるのではないかと、私は思いました。」

「なるほど。いいことを言いますね。新藤先生は。」

「いえ、あの、正直に言えば、自分の気持ちを答えただけかもしれません...。」

「いいんですよ。それで。むしろ、正解されてもそれはそれで怖いですし。」

エスパーじゃないんですから。あはは、と河上は小さく笑った。そうですね、と新藤も苦笑している。


「武内くん。」

「はい。」

「答え、聞きたいかい?」

「...聞いても、いいんですか?」

「もちろん。」

「...そうですか。ありがとうございます。」


 あの問答には答えがあったらしい。最初から教えてくれなかったのには、何か理由があるのだろう。話の前振りもあるのだろうが、何か哲学で高尚な話がされるような気がした。話を聞き終えたときにわっと驚くような、そんな話だったら、素直に楽しめそうだ。


「答え合わせの時間だね。簡潔に言うと私は、」



「君みたいなクソガキは、皆すべからく死ねばいいと思っている。」

河上は、この日初めての満面の笑みを見せた。

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