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あの鐘の音が聞こえるか。あぁ。そうだ。朝の7時に鳴る鬱陶しいやつだ。え?鳴らない?知るか馬鹿が。

 うっすらとぼやけた昼下がり。無意識に身体が疼く。遠ざけたくて、遠ざかりたくて、早く終わってくれと。私はこの時間が苦手だ。みんなが休むための時間なのに、私も休まされている。正確には、自分では何もできないから何もすることが無い。それだけ。何もしていない私は、何かをしなければならない焦燥感に駆られる。存在してははいけない疎外感に蝕まれる。何をするべきかもわからないまま、わかろうとしないままで、答えがわかりきっている解答欄を埋めないまま生きている。一番言われたくない言葉を誰かに言わせないように生きている。その誰かと、接触しないように生きている。


午後十三時五十八分。木原南奈佳(きはらななか)が退室した3分後。

彼方(かなた)ちゃん。もう出てきても大丈夫だよ。」

ここに隠れるのは、今日が初めてではないけれど、一時間も隠れたていたのは、さすがに初めてだった。ほとんど身動きを取れなかったけど、というか取れなかったせいで窓際の強い日差しを浴びてしまった。立ち上がるのも億劫で、這いつくばって歩を進める。

「はぁ、気持ちいぃ....。」

このままこの床の上で寝っ転がりたい。

「彼方ちゃん。女の子がそんな格好しちゃだめでしょ。制服も汚れるよ。」

そんなことを結構本気で考えていたのだが、先生に怒られてしまった。

「最近流行ってるんですよ。猫の伸びのポーズ、みたいな....。」

腰を上げて、ググっと背中を思いっきり伸ばす。口から出まかせを言った割には、案外悪くない。

「もう。そんなわけないでしょ。誤魔化しちゃダメ。」

やっぱだめかぁ。ぱたぱたとどこにも見えない埃を払う。ツルツルで、木目が可愛くて、冷たくて気持ちよさそうなのに。


床への執着が消えなかった。

「それに、最近流行ってるものと言ったら学校の怪談界隈でしよ。わかるわ。私もあれ好きだから。」

「...。」

流行りに疎いとかそういうレベルの話じゃない。先生の話に全く心当たりが無い。絶対マイナーな界隈でしょ。

「いいですよね。あれ。私も好きですよ。」

なんで誤魔化したの。私。


「そうよね。私もあれに憧れる気持ち、少しわかるわ。カッコイイよね!あれ!」

カッコイイなんて言葉が出てくるとは思わなかった。実はインフルエンサーの間で流行ってるイケイケなコンテンツだったり、するのかも?

「最近だとSPIDERのYOSHIKOが人気よね。あれ。見たんでしょ。ブリッジのやつ。」

...いや、誰。夜の学校で、ブリッジ?わけわかんないよ。

「あれは、すごかったですよねぇ。」

これはさすがに、ばれるか...⁉

「そう!あれすごかったよね~。まさか60年以上も放置された廃病院で、あんなパフォーマンスをするなんてね。普通怖くて無理よねー。絶対。」

...それもう学校の怪談じゃないですよね?


「廃屋に張り込み霊の出方を伺うYOSHIKO。一時の油断もできない状況の中、何も起こらないまま3時間が経過。これ以上の続行は不可能かと思われた、そのとき!噂の悪霊が出現!その姿は巨大なイノシシのような毛皮に覆われた巨大な怪物だった!奇襲を仕掛けてきた巨大イノシシの一撃を、得意の四足歩行でさらりと躱し、悪霊を迎撃するYOSHIKO!TVアニメ版のエ〇ァ初号機を思わせる大迫力だったわね!」

「そうですね。あれは大迫力でした。」

ちゃんと出たんだ。まぁ、悪霊よりも断然すごい物が出ているような気もするけど...。ていうか、ヨシコ戦うんだ。脅かすとか脅かされるとか、そういう次元の話じゃないじゃん。

「数分間の激闘の末に悪霊は逃亡。YOSHIKOも四足歩行で懸命に食らいつく。しかし、悪霊の速度はそれを軽々と凌駕し、その姿はあっという間に遥か彼方へ....。もう悪霊に追いつけない。誰もがそう思ったわ。」

なんか、一周回って面白い気がしてきた。

「けどYOSHIKOには切り札が残っていたの。その名も、ハイスピードブリッジ!!」

ほう。なるほど。ここでようやくブリッジが出てくるのか。Bridge.

橋かな?高速の橋?...


あ。倒立の状態から振り下ろした踵で攻撃するとか?カポエイラみたいな華麗な足技でノックアウト!みたいな⁈

「瞬間、YOSHIKOは全身を翻しブリッジ形態に移行!幾度の激戦を経て人知を超えたYOSHIKOが生み出した最強形態!」

あぁ、そっちね。わかってた。候補には入ってた。

「YOSHIKOは肩と股関節の脱臼をもろともせず、四肢を高速回転させて悪霊を追いかける。地面をえぐりながら獲物を追う姿はまさに、かの祟り神の如く!悪霊は一瞬で追いつかれ、為す術もなく轢き殺された。今思えば、なんとあっけないものか。」

イノシ...悪霊。轢き殺されたか。てか、ヨシコ強すぎじゃない?

「いやぁ、とんでもない物を見ちゃったよね。うん。」


創作物の類であることは明白。でも、疾走感のある展開が好奇心をくすぐる面白い作品だった。だから、先生の厚意と熱量を裏切りたくない。今更だけど、ちゃんと謝ろう。

「せ、先生!」

正面から先生の目を見つめる。ここでひるんだら負けだ。逃げちゃだめだ!

「どうしたの?」

「あの、わたし、学校の怪談界隈とか、スパイダーヨシコさんとか、本当は何も知りません。噓ついてごめんなさい!」

腰から体を曲げて頭を下げる。

「あ、あぁ。そうだったんだ。ごめんね。つき合わせちゃって。」

先生は俯いていた。自分の好きな物を足蹴にされたように感じたと思う。私はなんてことを...

「けど、全然気にすることはないよ。」

「でも、私...」

私は、また...

「だって今の話、全部噓だし♪」

「.....へ?」



「ごめんね。いやまさか、あんな私の即興の作り話を信じるなんて、夢にも思わなくて。」

あはは。と、先生は乾いた笑みを浮かべている。私はどうやら騙されたみたいです。

「あんなに流暢に喋ってたら、そんな界隈があるんだ~。物好きな人がいるんだな~。編集とか頑張ってたのかなぁ、って思っちゃいますよ。誰だって。」

「養護教諭とはいえ、私も教師の端くれ。お喋りはちょっと得意だよ。」

「詐欺の教養でも学んできたんですか?ご立派な大学で。何年も。」

おもむろに毒を吐いてしまった。流石に詐欺という言葉は、ラインを越えていたかもしれない。

「彼方ちゃん、言葉遣いが良くないです。」

「はい。」

こういうところだ。私の悪いところは。


「ほんとは、床に寝っ転がっちゃダメって言おうと思ってたんだけどね。」

「それなら最初からそう言ってほしかったです。」

「私だって、最初はそうしようと思ってたよ。でも、彼方ちゃんが猫の伸びのポーズが~とか、変に誤魔化すから。」

...そういえば、私のせいだったわ。

「あれは、その、つい...。」

「人前であんな格好しちゃだねだよ。彼方ちゃんみたいに髪が長い人は尚更ダメ。完全に貞子だから。」

「はーい。」

もしかして、ヨシコの元ネタ私?

「わかればよろしい。それと...。」

先生はマグカップに冷蔵庫から取り出したアイスコーヒーを注いでいる。

「いつまでこうやって、隠れてやり過ごすつもり?」

「.....。」


 何度も似たような問いを交わし、躱されてきた。本当なら、隠れる前に言うべきよね。茶番も入っちゃったし。まぁ、完全に自業自得なのだけれど。

「...。」

南奈佳(ななか)ちゃん、ずっと来てくれてるじゃない。前みたいに会ってあげたら?喜ぶよ。」

「それは....」



「まぁ、気長にね。あなたがここに居たければ、いつまでも居ていいから。」

「.....ほんとですか?じゃあ、卒業まで居座っちゃおうかな~。なんて。」

「それはさすがにダメです。」

「えー。先生の噓つき。」

「限度ってものがあるでしょ。それに、最初から諦めちゃダメ。」

「.....。」


「大丈夫。あなたは、大丈夫だから。」

「...ありがとう、ございます。」


一体、何が大丈夫なのだろうか。

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