第6話 アルスラーン戦記(チベット篇)
やっとトゥルバイフのチベット平定までたどりつきましたが、筆力がないせいで、文量だけは多いのに、この時期のチベット史をつくった魅力的な人々をちっとも紹介できていません。そこで早くもいったん物語りの進行をとめて、そんな人々を何人かでも紹介していきまたいと思います。
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ゲルク派を圧迫する3悪人のひとりとしてトゥルバイフ(=グシ・ハン)に打倒されたツォクト・ホンタイジ。
1945年、彼を主人公とするモンゴル映画が政策されました。監督Y・タリチ・M・ボルド『ツォクト・タイジ』。
草原を疾駆する騎馬軍団が印象的なモノクロ映画です。
今回は、そのツォクトの息子アルスラーンが主人公です。
アルスラーンの父ツォクト・ホンタイジは、ボルジギン氏最後の大ハーンであるリンダン・ホトクト・ハーンのよびかけにこたえ、靡下の全軍・全領民をつれてリンダンのもとにはせ参じ、リンダンのチベット征服事業に参加し、1634年、ゲルク派の信者であるトゥメト部のモンゴル人勢力を蹴散らして青海草原を占領しました。
しかしチベットの入口を押さえたばかりのところでリンダン・ハーンは病死、リンダンの嫡男エジェイはモンゴル帝国の伝国の宝物を携えてダイチン国に降伏してしまいました。
ツォクトは4万の軍勢のうち、3万騎を自らがにぎぎり、青海草原を確保しつつ隣接するチベット諸侯を服属させていく一方、アルスラーンに1万騎をあずけて、南方に位置する中央チベットへ送り出したのでした。1635年のことです。
青海草原を一路南下し、標高5000メートルのタンラ山脈をこえると、ナムツォという湖のほとりにダム草原がひろがっています。ちょうどラサの北方100km付近です。今回の舞台は、このダム草原と、チベットの古都(のち首都)ラサが舞台です。
「もうし、そちらのノヨンどの。お前さまがたはいったいどちらの軍勢であられるか?」
やせ馬に乗った着飾ったチベット人が、馬を寄せてきてたずねた。
「それがしはアルスラーン・タイジ。父ツォクト・ホンタイジの命を受け、ラサ攻略のために進軍中でござる。そういう貴殿はどなたかな?」
私は一万騎を率いてナムツォ湖畔のダム草原に陣取っていたユンシェブ部の4人のノヨンと決戦、これを打倒したばかりであった。○中○樹の、ちっとも完結しないシリーズ物の主人公の名からパクった名ではないぞ。トルコ語で「ライオン」という意味で、モンゴルからアナトリアにいたる、ユーラシア大陸の諸国の王や王子の名前として、ごくありふれた名前である。え?じゃあなんで「アルサラン」でないのかって?こまかいことを気にしすぎると、ハゲるぞ。
「サムドゥプツェ宮殿より参りました、デシー・カルマテンキョンの使者、テンパタルギェーともうします。」
「わが軍の進撃をとめようと説得を試みられても無駄ですぞ!われら一同、ゲルク派の悪行には怒り心頭に発してござるゆえ。ダライラマ政権を打倒し、ゲルク派を名前すら残さぬまでに、徹底的に消滅する覚悟でござる。」
「わが主カルマテンキョンは、お父上の檄文を入手し、びっくり仰天、いそぎ私を派遣した次第です。」
「はて、カルマテンキョンどのには、いったいどのようなご用件ですかな?うかがいましょうか。」
「お父上によれば、黄帽派(=ゲルク派)は、「マンジュ」という発音の一致を利用して、マンジュ国(=ダイチン国)のハーンを文殊の化身として神格化するイデオロギーで、まだ自立を保っていたノヨン様方の間に次第に浸透し、モンゴル人の自主・独立の気概を損ないつつあるとか?」
「さよう。ゲルク派勢力は、モンゴルの自主独立の気風をむしばむだけでなく、信者たちの行いも、やることがいちいち邪悪です。ゲルク派を信仰するノヨンたちの筆頭にグシ・ハンという人物がいるのですが、彼はあくまでも入信を拒むわれらに腹をたて、留守中に我らの所領を襲撃し、老若男女を見境なく殺害した大悪人です。」
私の傍らにいた、目元すずしげな女武者が横から使者に声をかけた。
「私はホラン。人の道を踏み外し、モンゴルの裏切り者となった父グシ・ハンの非道、もはや父とも娘とも思いません。アルスラーン様、ツォクト様とともに、父を成敗する覚悟です。」
彼女は私の相思相愛の恋人。父のグシ・ハンと決別し、正義の為に私とともに戦う決意を示してくれている。
「父ツォクトは、グシ・ハンに復讐戦を挑み、モンゴル人同士で内戦して消耗することよりも、モンゴル人の自立の精神を蝕む諸悪の根元であるゲルク派を滅亡させることの方がモンゴルにとって有益だと判断、配下の軍勢や全領民を率い、大ハーン・リンダンの召集に応じて青海草原に参集しました。大ハーンは昨年なくなってしまいましたが、我ら父子は大ハーンの遺志を継ぎ、チベット征服を完遂する覚悟。邪魔だてするものは、全て敵とみなし、容赦なく踏みつぶしますぞ!早々にたちもどって、主どのにそうお伝えあれ!」
冷たく、厳しく決めつけてやったので、使者はびびって主人のもとに逃げ戻っていくかとおもったら、さにあらず。ぽかんと口を開けて一瞬だけ硬直したが、なおもひるまずしゃべりかけてきた。
「……いや、邪魔立てともうしますか、先日いただいた文と今回の檄文とがあまりにズレてるので、わが主は、ちょっと……というかかなり不安になり、ご真意をたしかめるべく、私を使わした次第。」
「ズレとは?」
「ゲルク派について【「マンジュ」という発音の一致を利用して、マンジュ国(=ダイチン国)のハーンを文殊の化身として神格化するイデオロギー】とおっしゃって非難しておられますが、私たちみなが信仰しているカルマ派のほうでも、彼らの「マンジュ」の自称を受け入れておりますぞ?」
「私たちみな?」
「はい。我らの主カルマテンキョンと、あなた方のご主君だった大ハーンのリンダン、お父上のツォクト様に、アルスラーン殿下ご自身。」
「なんですと?そうでしたっけ?」
「しっかりなさってくださいよ!お父上やあなたからいただくご書簡では、いつも「ともに手を携えカルマ派の興隆をはかりましょう」とか言っておられるのに………。」
ああ、そうだった。
私はとつぜん自分自身が、そして父ツォクトが、さらに故リンダン・ハーン陛下が、とても熱心なカルマ派信者であることを思い出したのだった。
カルマテンキョンの使者は、話しつづける。
「ダイチン国が自国の君主を文殊の化身だと信じたがるのを、チベットの側では、どの宗派も否定したり、反対したりしませんよ。仏の教えが真に定着していく上で、プラスになりますからな。他の国に対してもおなじですよ。ちなみに私たちチベットでは観音菩薩が、中国ではこれも文殊菩薩が、あなたがたモンゴルでは金剛手菩薩が君主に化身して、衆生を導くということになっておりますな。私たちのカルマ派でも、リンダン・ハーン陛下が金剛手菩薩の化身とかホトクトとか自称なさった時に、おおいに知恵や知識を提供したときいております。そのことは、私どもよりも、リンダン陛下の身近におられたアルスラーン殿下のほうがお詳しいのでは?」
また突然思い出した。
そういえば、リンダン・ハーン陛下、晩年は頭を剃って、首におおきな数珠をかけ、右手に小さな法輪をもち、えんじ色の僧衣を来て馬を乗り回しておられたなぁ……。
「先日の檄文では、ゲルク派のことを「モンゴルの自主独立の気風をむしばむ」といっておられましたが、もともとチベット仏教の導入を決めたのは、あなた方モンゴル人のアルタン・ハーンどのだったでしょ?」
またまた、突然思い出した。
モンゴルが中国の文化・文明に飲み込まれないためには、中国産とは別個の知の体系が必要だ、ということでアルタン・ハーン陛下がチベット仏教をえらんだことはモンゴル人の間でひろく支持され、モンゴルのノヨンたちはゲルク派かカルマ派、一部はチョナン派など、チベットにある各派の本山に使いをおくり、学問のすぐれた高僧を競って招聘している。
「そのとおり。仏典には、医学・薬学・天文学など、中国に負けない古い文化・文明を生み出したインドの叡智がつまっておりますからな。チベットは、インドからもっとも完全な形で釈尊の教えをお受け取りになった。われらモンゴル人がチベット仏教を信仰し、学ぶことは、インドの叡智を受け継ぐことでもあります。」
なぜモンゴル人が仏教を熱心に学びはじめたか突然思い出してこのようにのべると、使者どのは満足そうにニッコリと笑い、話しを続けた。
「あと、ご出兵の主旨として、【ラサを攻略してダライラマ政権を徹底的に消滅する】とありますが、ラサを含む中央チベットは、この20年来わが主カルマテンキョンの分国であります。ダライラマはゲルク派の化身ラマの名跡のひとつで、モンゴル方面には血筋のよい強力なノヨン様の信者がたくさんおられるようですが、チベットでは小さな地方領主のいくつかを檀家にもってるだけで、「政権」といえるようなものではありませんよ。」
はて?
わが軍、迫る!のしらせを聞いて、ダライラマ政権の貴族たちがラサを逃げ出そうとポタラ宮殿のふもとを右往左往するビジョンが、繰り返し繰り返し脳裏にうかんでしょうがないのだが……。
使者どのに確認してみなくては。
「使者どの、ラサのマルポリの丘の上に、ポタラ宮というダライラマ政権の本拠地……というか、ダライラマの居館はないですか?」
「はぁ?''ポタラ宮''という宮殿のことは聞いたことはありませんな。ダライラマ殿の居館は、ラサの西の郊外にあるデプン寺というゲルク派の僧院の中にある兜率宮殿という建物です。マルポリの丘には古代のソンツェンガンポ王の遺跡があって、王とお后の像や仏様をお祀りする小さな祠がいくつかあるだけです。」
わが軍の打倒対象であるダライラマ政権も、攻略目標のポタラ宮も、まだ存在していないらしい。
なんということだ……。
「わが主カルマテンキョンは分国をしっかりと掌握しておりますよ。ラサの小領主がいまでもときどき騒ぎをおこしたりしますが、わが主が本気をだせば小指の先で一ひねりです。ツォクト殿やアルスラーン殿下にわざわざご出馬いただくまでもありません。」
「…………。」
「そこで、主からの伝言であります。''わたくしデシー・カルマテンキョンはカルマ派の檀家として、また信者としてカルマ派を大いに庇護尊重する者であると同時に、チベットの君主として、当政権の分国内で活動するすべての宗派を保護する使命も帯びております。ついては、ぜひとも矛をおさめられ、このたびのラサ侵攻を中止していただきたく、伏してお願い申し上げます''と。」
はぁ、なんということだ。
今回わが軍が打倒の対象とするはずのダライラマ政権はまだ成立していなかった!
わが軍の攻略目標であるポタラ宮など、建築が始まりすらしていない。
そのうえ征服対象の中央チベットには強大な同盟勢力が出現してしまった。
Y・タリチにM・ボルドめ!おまえらのせいで、大恥をかいたぞ!
ふと傍らをみると、ホラン姫の姿がない。
ダライラマ政権もポタラ宮も存在しないとなると、ホラン姫の実在も同じく危機に瀕していることになる。
念のため、側近に声をかけてみる。
「おい、ホラン姫はどうした?」
「はぁ?どなたですか、それは?」
おい、お前、ほんのついさっき、姫と会話してただろうが!
「グシ・ハンの娘で、私を慕ってくれて、グシ=ハンと決別して私に随行してくれている……」
「……えと、殿下、お加減はいかがですか?お熱などございませんか?お薬などお持ちしましょうか?」
なんと、私の方がおかしいことにされてしまった。
ホラン姫も消えてしまった……。
もはや夢も希望もない。
なんだか頭痛がする。はげしく頭痛がする。
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こうして、ツォクト・ホンタイジの軍勢の4分の1を抱えたまま、アルスラーンのラサ侵攻は空中分解した。
ダム草原で漂流をはじめてしまったアルスラーンのもとに、ラサから使者がきた。
人生の目的を見失ってしまい、そのうえ相思相愛の恋人ホラン姫まで消滅してしまったアルスラーンは、使者からの誘いに応じ、ダライラマに会うため、デプン寺に赴いた。
「拝謁の栄誉をいただき、光栄のいたりであります。」
「わがゲルク派への攻撃をお取りやめいただいき、仏法破壊の罪をおかさずにすんで、よいことをなされましたな」
アルスラーンは、このとき満19歳のダライラマ五世ロサンギャムツォと会見し、その英明さに感服した。
そして衆人環視のもと、ダライラマにむけて五体投地礼を行い、以後、師として仏法を教授してくれるよう頼んだ。
ダライラマとゲルク派を滅ぼすため1万の軍勢を率いてダム草原までやってきた!と評判の王子のこの振る舞いに、人々は仰天した。
この会見ののち、アルスラーンは、ダライラマの財務監ソナムチュンペルにたずねた。
「たしか、ゲルク派攻撃のとりやめとひきかえに、''第33皇女ドルマー''という美女を私のところに寄越してくださるのではなかったですか?」
「はて?なんのことでございましょうか?当派は戒律を厳格にまもる男所帯の宗派でありまして、皇女どころか、美女じたいにあんまり縁がありませぬ。」
(おのれ、またもタリチにボルドめ……)
筋違いな怒りをたぎらせるアルスラーンであった。
さて、自分の嫡男アルスラーンがゲルク派攻撃を実行しないのみならず、あろうことかダライラマに弟子入りしてしまったことを知って、ツォクト・ホンタイジは激怒した。しかし自身の軍勢の4分の1を委ねてしまったアルスラーンを、力でねじ伏せることはできない。そこでひそかに刺客をはなち、自分の息子を泣く泣く暗殺したのである。
チベットの「アルスラーン戦記」のあっけない幕切れであった。
頭痛の原因はともかくとして、アルスラーンがダム草原にいたユンシェブの4人のノヨンを倒したあと頭痛を起こしたことは、例の『大海の書』にもはっきりと書かれております。彼が攻撃して滅ぼすはずのダライラマ五世に弟子入りしてしまったことは、近世チベットの7不思議のひとつで、ダライラマ五世の自伝をはじめ、さまざまな史料に記載されている歴史的事実です。