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この物語の背景(2)|兜率宮殿《ガンデンポタン》とはなにか?

この物語を読んでくださるみなさまには、タイトルにある「兜率宮殿(ガンデンポタン)」っていったい何じゃいな、とお考えでしょう。

兜率宮殿(ガンデンポタン)とは、ラサの西郊にあるゲルク派の大僧院デプン寺を構成する建物の一つで、歴代ダライラマの居館です。本来は未来仏・弥勒菩薩がご自分の出番がくるまで待機している浄土の一つですが、ゲルク派では弥勒信仰もたいへんに重視され、ダライラマの居館名以外にも、チベット歴元旦の「モンラム大祭」では、首都ラサの中心パルコルで弥勒仏をのせた神輿の巡行がおこなわれたり、タシルンポ大僧院の本尊として弥勒仏を建立したりなどの事例が見られます。

 グシ・ハンによるチベット征服ののち、政権の本拠地としてマルポリの丘の上でポタラ宮殿の造営が着手されますが、これが完成してダライラマが入城するのは1660年、それまでダライラマが所有し、デシーを首班とする行政機構はデプン寺のガンデンポタンを拠点としつづけたので、後にポタラ宮殿を本拠とするようになってからも、チベット政府の代名詞として「ガンデンポタン」の呼称が使用されるようになりました。

 いまインドのダラムサラにあるチベット亡命政府も、このガンデンポタンの伝統をひきついでおり、チベット亡命政府の国章には、「諸方に勝利せるチベット政府・ガンデンポタン」という表示があります。


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