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第3話 トゥルバイフ、チベット征服の準備を着々とすすめる!

モンゴル中のカルマ派信者たちをこぞって青海草原に盤居していたツォクト・タイジの軍勢が、トゥルバイフによってうちう破られたことは、チベットのゲルク派の寺院やゲルク派を信仰する領主・諸侯たちに大きな励ましとなった。


トゥルバイフはそのあとラサにのぼり、全チベットの寺院のなかでもっとも尊いトゥルナン寺の、全チベットの中でもっとも尊い釈尊像(チョウォ・リンポチェ)の御前で、ダライラマ五世ロサンギャムツォ猊下の前にうやうやしくひざまづき、「教えを支える法の王」(シャジンバリクチ・ノムン・ハーン/テンジン・チューキ・ギャルポ)という称号」を授かった。西暦でいうと1637年、日本でいうと、寛永14年、江戸幕府第三代将軍徳川家光の治世中のできごとである。


この時、チベットでは、中央チベットを支配するデシー()・ツァンパ王、カム地方(東部チベット)の南半分を掌握するジャン・サータム・王、かむ地方の北部を支配するナンチェン王など、カルマ派を信仰する強力な政権があり、その他にもチベット固有のボン教を奉じてカムの北半分を掌握するペリ王、古代チベット王国以来の王家の血筋を誇る西チベットのラダック王国、ドゥク派という宗派の管長職をずっと独占してきたギャ氏がデシーに反抗して建国したブータンなど、様々な勢力が存在していた。

ゲルク派は、チベット全土にちらばる中小の諸侯から信仰される、「有力な宗派の一つ」にしかすぎず、歴代のダライラマによるモンゴル布教は、じり貧を打開する、宗派の希望をかけた新規事業だったわけですな。


その賭は大当たりとでた。


チベット北方の強国・オイラトの君主がみずからラサにおもむき、うやうやしくダライラマ五世の前でひざまづいた。この事実は、他宗派とその支持者にたいし、強力な牽制となった。

トゥルバイフによる支持は、この後生じるゲルク派の覇権の直接の契機となるだけでなく、ゲルク派内部におけるダライラマの地位の変動ももたらすのであるが、これらの点については、物語の進展にあわせてまた触れよう。


ダライラマ五世から称号をもらって、「オイラトのハーン」となったトゥルバイフは青海草原にもどり、自らの本拠を青海草原にうつすため、数年の時間をかけた。前回もふれたとおり、トゥルバイフは、ホショト部の首長家では傍系。先代首長の兄がオイラトの内乱で戦死したため、かわって首長になったけれども、兄には嫡男のオチルトがいる。トゥルバイフは、当時のモンゴル・オイラトの習慣にしたがい、形だけだが、兄の未亡人と婚姻することで、彼女と兄の遺児オチルトの保護者となる姿勢を明らかにしたうえで、兄の指導権を引き継いだ。


このときのトゥルバイフのように、傍系の王族が、「正当の後継者が幼少」とかの理由で、当初はあくまでも代理としてだけ最高指導権をあずけられる、という例は、モンゴル史上にかぎらず、世界の歴史上、おおくの事例がみられる。そして、「正当の後継者」に権力を返すことなく権力を奪い取るなんて例も枚挙にいとまがない。しかしながらトゥルバイフは違った。甥のオチルトに、けっきょくホショト部族とオイラト全体の指導権はきっちりと返還する。ただし、たんなる底抜けのお人よしなのではなく、ホショト部族とオイラトの指導権を自らが握っている間に、ちゃっかり自分自身の利益を図ることもやった。


その第一歩が、ツォクトホンタイジを打倒したあと、ジュンガル部のホトゴイチンに、自分の娘と「バートル・ホンタイジ」の称号を与えてオイラト本国に帰還させたことである。ホンタイジというのは、もとは中国語の「皇太子」からきた称号だが、アルタン・ハーンの時期ごろから、ハーンを補佐する「副王」の地位にある人物に与えられる称号となっていた。ホトゴイチンとしては、オイラト・ハーン(トゥルバイフ)から、オイラトの副王としての地位を認められたというわけで、意気揚々の貴国であるが、ツォクトから奪った青海草原は、トゥルバイフが独り占めしたのである。


次にうった手は自らの手兵であるホショト族の士官・兵士の入れ替えである。

トゥルバイフがツォクト攻撃に動員したホショト族の士官・兵士には、自分の直属の連中だけではなく、オチルトから一時的に預かっている者たちもおおかった。そういう連中をホトゴイチンたちとともにオイラト本国に戻す一方、自分の子供達や、自分の直属集団でオイラト本国に残留していたものたちをすべて呼び寄せることにしたのである。


このような手配をおこない、以後のチベット征服活動を自分たちの手兵のみで行うことにより、トゥルバイフは征服したチベットを、オイラト本国の一族や、他の部族にいっさい図ることなく、自分だけの判断で自由に扱うことが可能になるのであるが、その詳細はまたの回に。

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