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第1話 ダイチン国による大ハーン位簒奪に、ハルハのノヨンたちは悩む!

ノヨン(お殿さま )たちは悩んでいた。

大ハーンが都をすててからおよそ300年、帝国は下り坂をころげおちるように落ち目。

かつての隷属民たちからも嘗められっぱなしであったけれども、今回の凶報は極めつけにひどい。


モンゴルの東方の森の民(ジュルチド )が「大ハーン位の継承者」を名乗り、ノヨンたちに服属を要求してきたのである。


聖チンギスがモンゴルの民を統一して以来、大ハーンの御位(みくらい)は、チンギスハンの子孫(ボルジギン氏)のみに受け継がれてきた。たとえ中国をはじめとして、かつての隷属民諸国にはすべて離反されても、いくらノヨンたち同士の権力闘争が激しかったとしても、モンゴルはつねにボルジギン家の大ハーンを(いただ)きつづけてきた。


しかるにここ20年ほどの間に森の民(ジュルチド )が急速に力をつけてきて、ノヨンたちのなかには彼らの臣下になるものがあらわれはじめた。モンゴルの誇りをわすれて森の民(ジュルチド )に媚を売るノヨンの最たる者が、リンダン・ハーン陛下の嫡子エジェイ殿。聖チンギス以来、代々の大ハーンが受け継いで来たモンゴル帝国伝来の宝物をすべて森の民(ジュルチド )の主に献上してしまうとは……。


森の民(ジュルチド )の主スレ・ハンは、エジェン殿をはじめ、モンゴルの南半分のノヨンたちをすべて征服して臣下とし、彼らをあつめて「大ハーン」としての即位式をやったそうな。森の民(ジュルチド )の主は自らを「ボグダ・セチェン=ハーン」と名乗り、じぶんたちの帝国を「ダイチン国」と名付けたそうな。


我らハルハのノヨンはいかに行動すべきか。

森の民(ジュルチド )どもによる御位の強奪を決してゆるさず、彼らの傲慢を叩きつぶすのが正しい、あるべき行動であるのはわかっている。しかしながら、近年、破竹の勢いで勢力を伸ばしている森の民(ジュルチド )を押さえこむには、われわれの力は全く不足しているのも事実である。


ノヨン(お殿さま )たちは悩みに悩み、悩みぬいてなお悩んでいた。

そしてノヨン(お殿さま)たちは決断した。

「やむをえぬ、オイラトと手を結ぼう!」


さて、オイラトとはいったい何か?

さかのぼるとキリがないのだが、帝国に莫大な富をもたらしていた中国が、赤頭巾軍団の反乱で失われたのち、モンゴル高原では、フビライ陛下の子孫の系統と、アリクブケ陛下の子孫の系統が支配権を巡って争うようになった。アリクブケ陛下の子孫を担いでモンゴルに挑戦してきたのが、オイラトである。


200年ほどまえには、彼らの指導者エセンは聖チンギスの末裔を担ぐのをやめ、自らハーン位につこうとしたが、たちまち失敗して彼の政権もあっけなく崩壊するという事件もあった。


50年ほどまえ、アルタン・ハーン殿下の力でやっとかれらを押さえ込むことに成功したのだが、15年ほどまえ、反乱を起こし、モンゴルが彼らの支配者として送り込んでいたトゥシェート・ハーンを捕らえ、左手首を切り落とし、口に犬の肉を押し込んでモンゴルに送り返してきたこともあった。


このように、オイラトという連中は、モンゴルにとっては本来臣下たるべき連中で、ウラミツラミの重なる宿敵なのである。


しかし、モンゴルのノヨン(お殿さま)たちの半分が、ダイチン国のスレ・ハン(セチェン・ハーン)の家来になってしまうという緊急事態に対処するには、非常の措置が必要である。


ハルハのノヨン(お殿さま)たちは、これまでの行きがかりをすて、オイラトとの間に上下のない対等の同盟をむすぶという方針を決定し、オイラトに使者が派遣され、ダイチン国とどのように向き合うか、方針が話あわれた。


その結果、オイラトの4部族、ハルハの3部族が共同してダイチン国に友好使節団が派遣されることになった。使者の口上はつぎのようなものだった。


 「貴国ではこのたびチベットのダライラマに使者を派遣する由。われらの使者も同行させてもらえまいか?」


この口上のポイントは2点。

ひとつはスレ・ハン(セチェン・ハーン)による大ハーン自称について、一切ふれないこと。

もうひとつは、ハルハとオイラトによるダライラマ推戴の姿勢をうちだしたことである。


ダイチン国のスレ・ハン(セチェン・ハーン)が大ハーン位を僭称したことは、ハルハにとってまことに面白くないことではあるが、ハルハ単独ではもちろん、オイラトと力をあわせたとしても、これをとがめる力はない。やむをえず、黙認するという判断である。


もう一点のほうでいきなり出てきたチベットのダライラマとはなにものか?

ダライラマというのはゲルク派という宗派の高僧で、先々代のダライラマ三世の時からモンゴル布教に従事、アルタン・ハーン殿下とは「施主と帰依処(チョユン)」の関係をむすんだ。先代の第四世は、アルタン殿下のひ孫にあたるトメト部出身のモンゴル人だった。そのような縁で、ハルハ3部とオイラト4部の間にはダライラマの信者が大変おおいのである。。

ダイチン国への質問形式をとっているが、実際には、「われわれハルハとオイラトはダライラマを信仰しているぞよ」というアピールである。


なにゆえ、ここでダライラマをもちだすのか、といえば、ハルハのノヨンたちの間から、スレ・ハン(セチェン・ハーン)に対抗する大ハーンを立てるのが難しい、という点がある。


ハルハのノヨンたちは、聖チンギスの末裔ではあるけれども、傍系もいいところ。スレ・ハン(セチェン・ハーン)の家来になってしまったノヨンたちには、ハルハのノヨンよりずっと良い家柄の者が多数ある。彼らを差しおいて、ハルハのノヨンの誰かが大ハーンを名乗るのは、なんとも面映い。さらにオイラトといえば、四部族の首長のなかに聖チンギスの末裔はひとりもいない。かろうじて、ホショト族の首長が聖チンギスの弟ジュチ・カサルの子孫であるだけだ。


そのようなわけで、ハルハ3部、オイラト4部は団結のシンボルとしてダライラマをおしたてよう、と決意したのである。そして、ダイチン国に対しては、ハルハとオイラトが協力して友好を結び、自立を保つ、という方針をさだめたのであった。

【修正履歴】

ダイチン国第2代君主ホンタイジのモンゴル語の称号を「メルゲン・ハーン」から「セチェン・ハーン」と改めました。(2010.5.3)

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