あなたを愛するつもりはない、と言われたので自由にしたら旦那様が嬉しそうです
「セリアさん、まだお稽古に熱心なんですの?」
「わたしたちは、お見合いに、自分磨きに忙しくて」
ピアノ教室の令嬢たちが、わたしに「アタリマエ」を説く。そうなのだ、ここではそれが当たり前なのだ。
「違うんですのよ、セリアさんのように器量のある方が、と思って……」
「ありがとうございます。わたしも、もう20歳ですものね」
そう、わたしはもう20歳なんだ。お母様がわたしを産んだ年と同じ……
わたしは、会釈をして、馬車に乗り込んだ。
◇◇
セリア・ハンドレア。それがわたしにつけられた名前。
伯爵令嬢。それがわたしの背負っている肩書。
金髪のストレートのロングで碧い瞳。それがわたしの容姿。
「セリア、おかえりなさい」
「ただいま帰りました、お母様」
「次のお見合いはね……」
家に帰っても、当たり前がやってくる。
「侯爵令息、しかも長男の方とのお見合いなの!公爵様が、一番だけれど、侯爵も捨てがたいわよね」
「ええ……」
「わたしも、いろいろあったけれど、結婚して、子供をもうけることがあなたの幸せのためにもいいのよ」
「そうなの……でしょうかね」
「そうよ!あなたはピアノはうまくなくていいのよ、そこで出会った貴公子と結婚できればそれが幸せなんだから」
「はい……」
わたしは、相手を肯定するようなことしか言えない。こんな自分が……
「大っ嫌い!」
わたしは一人部屋に戻り、ベッドにクッションを投げつけた。
「だからと言って、自分にとっての幸せも主張できない……」
「情けない……」
わたしは投げたクッションを抱き上げ、ベッドに腰を下ろした。
「公爵様と結婚して子供をもうけないと、お母様に認めてもらえないわ」
両親に認めてもらいたい。
「はあ……」
わたしは、胸の苦しさがなくなることを願って、一休みすることにした。
◇◇
―数日後
「音がかたいわ」
「かたい……ですか」
「ちゃんと聴いてる?」
「……」
わたしはピアノのレッスンを受けていた。
練習を怠ったつもりはないのに、ここ数年から音色を褒められたことがまるでない。
「自分の出している音を聴いてみて。今日はこれで」
「はい、ありがとうございました」
わたしは、廊下に出た。
わたしと同じ、金髪で碧い瞳で長身の男性が立っていた。
(きれいな人……)
この人と結ばれれば、認めてもらえるだろうか、と、ふと考えてしまった。
「セリア姉さんではないですか?」
「え?」
「僕です。ノウェです。ノウェ・ミレニア」
「あの?」
あのかわいかった、ノウェ?
◇◇
「セリア姉さん、この曲を教えてください」
「ええ、もちろんよ」
ノウェは、ピアノ教室の後輩だった。
「ええ?もうこんなに難しい曲なの?わたしには教えられないわ」
「でも、セリア姉さんがいいんです」
嬉しいわがままを言ってくれる子だった。
しかしある日、別れは唐突に訪れた。
「セリア姉さん……」
「どうしたの、ノウェ」
「僕教室をやめることになったんです。でも……」
「でも?」
わたしは聞き返す。
「なんでもないです」
ノウェはそわそわとしていた。
「また、セリア姉さんのピアノの音色を聞かせてください」
わたしは嬉しかった。
「ええ、もちろんよ」
◇◇
そんな約束をしていたんだったか。
「姉さん、ピアノの音色が前と違います」
「あなたもそう思う?さっき、先生にもかたいと言われたわ」
ノウェは、考え込んだようにして、うんうん、と一人でうなづくと、わたしに向き直った。
「またお会いしましょう」
「え?ええ……」
そして、ノウェは、レッスン室の中に入っていった。
「ピアノの音色が違う……か」
変わってもしょうがない気がする。大人になるにつれて、わたしがわたしでいるための条件がどんどん結婚と子供に支配されるようになった。
「昔のわたしではないわ……」
わたしは、また胸が苦しくなった。
◇◇
わたしは、その日はちょうど起きるのが遅かった。
「……で……なの!?」
着替えて、部屋を出ると、廊下の向こうから父と母の騒ぐ声が聞こえる。
「どうかされましたか?」
「「どうもこうも!」」
父と母が声をそろえる。
「ミレニア公爵様との縁談がセリアに来たんだよ!」
「え……?」
父と母は興奮しきっている。わたしは、その様子に圧倒されるばかりだ。
「ミレニア公爵って……」
「ノウェ様だよ!」
「ノウェが!?」
「もう呼び捨てにするような、仲なの!?さすがわたしの娘ね」
母が、口を滑らせたわたしにうっとりと言う。
「お受けしておくから」
「よくやったな」
いつも、勝手にお見合いを組んでは条件が気に入らないと勝手に破談させられていたが、今度は、もう結婚まで決まっているようだった。
「はい……」
わたしの口からはやはり肯定の言葉しか出てこなかった。
◇◇
「たしかに、ノウェみたいな人と結婚したら認めてもらえるかって思ったけれど」
わたしは、一人部屋にいた。家族は結婚の準備で大騒ぎだ。
(よくやったな)
父と母の笑顔を思い浮かべる。
「胸の苦しさが、なくならないわ」
でも、ひとつ、胸が浮き立つことがあった。
「ノウェはわたしのことが……好きなのかしら」
20年間、男性とお近づきになっても、だいたい条件が、条件が、と言われて、疎遠になっていくばかりだった。自分を本当の姉のように慕ってくれた美しいノウェが、自分のことを伴侶として選んでくれたのなら。
「……胸の苦しさがちょっと減った気がする……」
わたしは、またひと眠りすることにした。
◇◇
「あなたを愛することはありません」
ノウェは、身の回りの物をもって、ミレニア公爵家きたわたしに、夫婦の部屋でふたりきりになるとそういった。
「あ……愛する?」
わたしは分かりかねて、動揺しながら聞き返した。
「夜の生活は不要ということです」
「え……」
「わたしが屋敷を案内します」
(どういうこと?)
ノウェは和やかに部屋を案内していく。
(孫の顔を見せるのが恩返しだからね)
わたしをおくる母と父の見たこともない笑顔を思い出す。
(結婚しても、子供がいなければ、胸が苦しいのはなくならないのかしら……)
「我が公爵家の自慢の庭です」
外観も立派で素敵な屋敷だったが、周りを取り囲む庭も広く手が行き届いている。
大きくて美しい食堂、手入れの行き届いた庭。そして、ピアノのおかれたホールにきた。
「このピアノ、触ってみても?」
「もちろん」
白鍵に中指を落とす。ぽーん、と音が響く。
(あなたのことを愛することはありません)
ノウェの発言を思い出して、鍵盤を押す力が強くなった。
(どういうことなの?なぜ私に求婚したの?)
嬉しくなってバカみたいではないか、と考え、耳まで熱くなる。
「姉さん、あの曲を弾いてくれませんか?」
「え……」
(昔、ノウェに何度もせがまれた曲……)
(姉さん、ピアノの音色が前と違います)
「今度にするわ。また、音色が違うと言われたら恥ずかしいもの」
「セリア姉さん……いえ、セリア。あなたが真摯にピアノを練習しているところを尊敬していました」
ノウェが真剣な眼差しで見つめてくる。
「これからは、弾きたい時弾きたいように弾いていいんですよ。僕もそうしています。あの日、教室であったのも、ぼくが行きたかったからお邪魔したんです。そして、セリアに会えた」
「弾きたい時に、弾きたいように……」
(前のような音色を取り戻したら)
わたしはふと思った。
(ノウェはまた喜んでくれるかしら)
「また、明日ここにきてもいいかしら?」
わたしはノウェに問う。
「もちろん。ぼくに聞くまでもなく」
◇◇
夜は、ノウェは夫婦の部屋ではなく、自室に戻っていった。わたしは二人分の大きさのベッドの中で天井を見ていた。
(こんなに広い部屋、落ち着かないわ)
(好きなことを好きな時にするなんて考えたことなかった)
これまでは、市場価値が上がるようなことだけを考えて教育されてきたのだから。
「好きなこと、わたしにもあるのかしら」
ノウェに三下り半を叩きつけられたのかと思っていたが、ノウェはわたしの平穏を祈ってくれているようにも見えた。
「ノウェは何を考えているの?」
(……今考えてもしょうがないか)
自分とは思えないほど前向きに考えられていた。そうしているうちに意識があいまいになっていった。
◇◇
カーテンから光が差し込み、天気が穏やかであることを知る。
「奥さま、おはようございます」
「おはよう。ええと……」
「奥さま付きの侍女のレヴェと申します」
「おはよう、レヴェ」
初めての挨拶が寝起き顔とは、少し恥ずかしい。公爵家では侍女が一人つくとは、なんと贅沢なのか、と考える。
「朝食は旦那様とお召し上がりになることになっております。では、朝の支度をいたしましょう」
「わかったわ」
当然かもしれないが、わたしとノウェのことは聞かれなかった。
◇◇
「セリア、昨日はよく眠れましたか?」
「はい……ベッドも広いしふかふかで。気づいたら眠っていました」
「はは……」
ノウェは苦笑する。
(しまった。ベッドが広いは禁句か。変に気を使ってしまうわ)
「今日は、どうされるんですか?」
「ええと……まだなにも。わたしを連れての社交の予定はありますの?」
「ああ……今のところまだありませんね」
ノウェの社交界でのうわさは聞いたことがある。必要な社交にしか顔を出さないがあまりに才色兼備なので、ついたあだ名は幻の公爵……だとか。会うことのなくなったノウェを懐かしみながらうわさを聞いていたものだ。
「そうなんですのね」
(社交も子供も不要とは……いったい?)
謎は深まるばかりだった。
「でしたら、ピアノを弾かせていただきますわ」
それくらいしかやることはない。
「だったら、いい部屋があります。食事が済んだら行きましょう」
「いい部屋、ですか」
「はい」
ノウェはいたずらに笑っていた。
◇◇
「わあ……」
「公爵家の楽譜のコレクション部屋です」
少し小さい部屋だけれど、埃っぽさもなくたくさんの楽譜が飾られている部屋に案内してもらった。
「これ、焼失して原本しかないと言われていたものでは?」
「はい、原本がコチラなんです」
「ええっ、とても触れません」
国宝級のコレクション部屋だ。
「好きなものを持ち出していただいてかまいません」
「これは、写しかしら?これなら触れるわ……」
わたしが、それでも恐る恐る楽譜に触れるとノウェがくすくすと笑った。
「ふふ」
「これが正常な反応でしょう」
わたしが言い返すと、ノウェがポロリと言葉をこぼした。
「いや、かわいらしいな、と」
「え」
わたしは頬があつくなって固まってしまった。
「……かわいくないです」
「ええ?姉さん……セリアは容姿の美しさだけではなく内面も可憐ではないですか」
ノウェは、さも当たり前のように言う。いきなりは受け入れられないし、からかわれているかもしれない。
「ノウェは、わたしを愛さないといったではないですか」
「それとこれとは、話しは別です」
(どういうこと?)
「おっと、公務の時間です。鍵を渡しておきますから、ご自由にどうぞ。では、失礼します」
ノウェは言いたいだけ言って、去ってしまった。
◇◇
(もう弾けるようになってしまったわ)
あとは弾きこむだけ、というところに来てしまった。
(こうなると、日をまたぎつつ練習した方がよくなるのよね)
今日もまだ、ピアノの音は固いのだろうか。ふと、外を見る。美しい庭と穏やかな天気。
「……レヴェ、お庭の散歩に付き合ってくれない?おしゃべりというわけでもないのだけれど、誰かいる方が楽しいから」
付き添ってくれていたレヴェに声をかける。
「もちろんですわ。日傘を持ってまいります」
日傘を持ってきたレヴェと共に庭に出る。風に流れて、バラの香りがする。
「庭師の腕がとてもいいのね」
「もったいないお言葉ですわ、庭師に伝えておきます」
レンガ道をのんびりと歩くうちにあることに気づいた。
「……ここにきてまだ2日目だけれど、ここに来るまでは、お庭の花に気を回すこともなかったわ」
「まあ……」
「あしたはなにをしようかしら」
「わたしでよければ、ご一緒しますわ」
自由な時間、頼もしい侍女。
(贅沢だなあ)
◇◇
「それで、今日選んだ曲を一通り弾いたら、お庭に出て散歩したんです。バラの花の香りがとってもいいにおいで!」
「セリアは、バラの花の香りが気に入ったんですね。覚えておきます」
わたしは、晩餐の時間にノウェに今日何があったか話していた。ノウェはわたしの要領のえない話も短気を起こさずに聞いてくれるので、ついつい話してしまう。
「ノウェは何をしていたんですか?」
「今日は……一言でいえば公務なのですが、書類に判をついたり、領地経営についてあれこれと考えたりしていましたよ」
そうか、当たり前だが、ノウェは働いているのだ。
(わたしはこれでいいの?)
そう思っていると、顔に出ていたようだった。
「また明日、何をしたか聞かせてください」
そういって、穏やかに笑みを浮かべるノウェはとても美しかった。
「……はい!」
わたしもできることをしよう。謎だらけだけれど。
◇◇
「今日は、雨ね」
「お散歩は難しいですわね」
窓ガラスをながれる水滴を、レヴェと眺めながら言葉を交わす。
「奥さま、恐縮ですが、公爵家の図書室をご覧になりませんか?」
「まあ、ぜひ見たいわ」
本への興味、というよりかは、これから過ごすこの屋敷への好奇心の方が強かった。
「楽譜は専用のコレクション部屋がございましたが、本も専用の部屋を設けて所蔵しているんです。大体のものはありますわ」
「そうなの、楽しみだわ」
掃除の行き届いた廊下を歩き、図書館へ向かう。レヴェがカギを開けて、扉を開く。
「わあ……」
見渡す限り本棚だった。
「すごいわ!」
(これなら私の興味のある本もあるかも)
物語、料理、領地経営、芸術、さまざまなジャンルの本が置いてある。
「音楽理論の本なんかもあるけど……」
(せっかくだもの今日は違うものを読んでみたい)
「全然したことのない、料理の本を読んでみようかしら」
「まあ、素敵ですね。食べてみたいものがありましたらお申し付けください」
「ふふ、ありがとう」
料理はメイドのすることだと、言い聞かされて育ったので全くしたこともない。わたしにとって料理は魔法のようなものだ。
ただのクッキーでもどうやって作っているのか想像もつかない。
(へえ、粉とバターを使って作るのね)
「奥さま、昼食はどうされますか?」
「もうそんな時間?」
かなり見入ってしまっていたようだった。
「サンドイッチとか、軽いものをいただけないかしら。あと……」
「あと?」
わたしはかなりもじもじとして口を開いた。
「公爵夫人がクッキーを作りたいと言ったら問題かしら」
◇◇
「そうそう、だまにならないように……」
「けっこう体力がいるのね」
「奥さまは筋がいいですよ」
わたしはキッチンを借りてクッキーを作ることに成功した。公爵夫人が労働まがいのことを……とおもったが、ノウェのお母様、義理のお母様も使っていた部屋だそうだ。
「形を作りましたから、窯を温めますね」
「見ていてもいいかしら?」
「炭に汚れることがないようにお気をつけていただければ」
レヴェが要領よく火を起こすのを、魔法使いの正体をみたかのような気持ちで観察していた。
「では、クッキーの生地を窯に入れて様子を見ましょう。この砂時計が落ちきるまで」
そういって、レヴェは大きめの砂時計をひっくり返した。
「お菓子作りってとっても楽しいのね、レヴェ、ありがとう」
「とんでもない、わたしも嬉しゅうございます」
(あなたはいいのよ、お嫁さんになるんだから)
お母様はどんな時もわたしにそういった。失敗した時、成功した時、うまくいかない時、うまくいっている時。
「社交も子供も求められないお嫁さんには必要なことだわ」
「申し訳ございません、何とおっしゃいましたか?」
「あ、いいえ、なんでもないのよ」
わたしには必要なことがたくさんある気がする。
◇◇
「それで……今日もたくさんお時間をいただきましたので、図書室を拝謁させていただいて、挿絵の豪華なお菓子作りの本を読んでいたら、わたしも作ってみたくなりまして」
「お菓子を作ったんですか?」
(しまった)
また、夜の晩餐にノウェに一日のことを話していたのだが、ノウェは公爵夫人が労働まがいのことを……と思ってしまっただろうか。
「はい……」
わたしはしょんぼりと答える。
「ああ、深読みさせてすいません。ずいぶん生き生きとされていて、ほほえましくて」
「ほほえましいと言われると恥ずかしいですわ」
わたしは耳が熱くなった。
「で、あるんですか?」
「なにがですか?」
「そのクッキーとやらは」
ノウェは美しい笑顔を浮かべている。歯が白くてきれいだった。
「あ……ありますが、ノウェに食べさせられるようなものでは……」
「妻の力作なんですから食べたくないわけがないでしょう」
「そんな……」
ノウェは公爵だ。王族の親戚レベルの尊い血をその身に流している。クッキーなど最高級品を生まれたときから食べているに違いない。わたしのクッキーなんて恥だ。
「ふうん……僕のことそんなに信頼できませんか?」
「わっ、わかりましたっ……レヴェ、そういうことだから、おねがい」
わたしは、近くに立っていたレヴェに声をかけてお願いする。
「承知しました。奥さまがラッピングしたものをお持ちします」
「セリアがラッピングしたのですか?楽しみです」
(なんでこんなに期待されてるの~!)
「ふふ」
今日もノウェはほほえんでいた。
◇◇
それからというもの、わたしは図書室で見たものに挑戦するようになっていった。
「今日は裁縫をしてみたいわ」
「手を怪我しないようにわたしが見ていますわ」
「ハンカチに刺繍ができたわ!」
ハンカチに刺繍をしたと言えば夜の晩餐でノウェはこういう。
「そのハンカチというのは、ぼくに下さりますか?」
「そ、そんな……」
(他の上位貴族の方にわたしの拙い刺繍を見られたら……)
「セリア」
重めに名前を呼ばれてまたハッとする。
(セリアのこと疑ってるわけではないのに、自分が傷つきたくなくてそんなことばかり考えてしまうわ)
「あなたのものにしたくていやならいいんですよ」
ノウェの口調は優しかった。
「違うんですっ。……後でお部屋でお待ちしていますわ」
「あなたが?……ありがとう」
◇◇
晩餐が終わった後、部屋でわたしはハンカチを眺めていた。
「奥さま、わたくしはこれで部屋に戻らせていただきますわ」
「あら、ついていてくれないの?」
「いや……それは……」
レヴェはもじもじとして答えなかった。
(なんでついていてくれないのかしら?)
(夫が部屋にハンカチをとりに来るだけなのに)
わたしは、ハッとした。
(男女の時間と思われてる……!)
わたしは、顔全体が熱くなってしまった。
「レ、レヴェ、おやすみなさい……」
「は、はい。おやすみなさいませ」
レヴェはパタン、と静かに戸を閉めて去っていった。わたしはもう一度ハンカチを眺める。
「いびつなお花……」
わたしはベッドに腰かけて考える。
(男女の時間と思われたとしても、ノウェにその気がないんだもの)
(わたしなんて女としての価値ないもの)
こんこん、と音がする。
「セリア、待たせました」
扉が開き、ねまきのノウェが現れる。
「待っておりませんわ」
(余計緊張してしまう)
ねまきのノウェは、昼の服装よりも無防備な感じがしてどことなく色気があった。
「ノウェ、これ、わたしの刺繍したハンカチです」
「ありがとうございます。おお、初めてですよね?よくできてますね」
「あ、ありがとう……」
「御守りに持っておきます」
「御守りだなんて恐れ多いですわ」
ノウェはわたしのことをどう思っているのだろうか。知りたい。
「セリア、いつもその服装で寝ているのですか?」
「え?はい」
「あまりに無防備すぎませんか?」
わたしの寝間着はネグリジェといった服装で確かに胸元はゆるいが、レヴェ以外みる人もいないから良いか、と思っていたのを忘れていた。
「で、でも……」
「でもじゃないです。他の男に見せないでくださいね」
わたしは、もう本当にわからなくなった。
「セリア……!?」
ノウェが腰かけているソファからノウェを引っ張り自分を押し倒させる形でベッドに二人で倒れ込んだ。
「わたしに女としての魅力なんてないですから」
わたしは口をむっとさせて話す。わたしたちの距離は唇が触れ合いそうなくらい近い。
「な……」
ノウェは、動揺した顔を見せた。
「あなたほど魅力的な人なんていませんよ。だからこんなことやめてください。あなたは僕にとって、努力家で、可憐で、最近はたくさん新しい世界を吸収して……」
わたしは、ノウェの言葉を遮る。
「わたしはあなたが言うような人じゃないんです。だから……女としての価値を認めてください。それしかわたしにはないんです」
ノウェはわたしの指に手を絡め、わたしをみつめる。
「おねがいだから、焦らないでください。あなたは素敵な人だから……だから、あなたを”愛さずに”そばにいられて、ぼくは幸せだから」
「ノウェ……」
自然とほおを涙が伝っているのを感じた。
「今日は一緒に寝ましょう。あなたが寝るまで僕が守ります」
「はい……」
涙をノウェがわたしの刺繍したハンカチで拭ってくれた。そして、しずかに朝焼けが部屋を包むのを感じて目を覚ました。
「今日は、仕事も休みにします。一緒にいますから」
「そんな……よいのですか」
「ええ、ぼくがしたいからするんです」
しずかに、朝食を食べ、ノウェはピアノの部屋にわたしを連れて行った。
「僕も久しぶりに弾いてみようかな」
そう言って、ノウェはピアノを弾き出す。わたしによく弾いてくれとせがんだ曲だった。
「ノウェ、わたしも最近、ピアノを弾かなかったのだけれど、前にあなたがせがんでくれた曲を聞かせてあげたいわ。いい?」
「もちろん。ありがとう」
ピアノの椅子に腰かけ、弾き始める。
(あなたはお嫁さんになるんだから、なにもできなくていいの。子供が産めればいいのよ)
(あなたはピアノ教室で公爵様に出会ってお嫁さんになるから何の苦労もしなくていいのよ)
(お母さんみたいに貧乏な家に生まれなければ幸せになれるの)
(お母さんみたいな苦労もしなくていいのよ)
(愛してるわ、セリア)
封印していた、記憶の洪水。そして、曲を弾き終わる。
「わたしにとって、ピアノは……道具じゃなくて……」
「わたしにとって、ピアノは……だいじな自分の好きなことなの……」
わたしは、昨日よりも大粒の涙を流していた。
「いっぱい、これからは好きなことしましょう。セリア。その言葉が聞きたかったんです」
そういって、ノウェはわたしにキスをした。
「回りくどくてすいませんでした」
「へ……ノウェは分かっていたの?」
「分かる……というか、ピアノ教室で会った時の直感ですね。姉さんのことはずっと情報として追っていましたし。美しく聡明なのに、縁談は破談ばかりの令嬢というセンセーショナルな情報もさすがに僕の耳にも入っていました」
「いい言葉も悪い言葉も恥ずかしいわ……」
そんな風に言われているなんて知らなかった。教えてくれる友達もいなかったから。
「でも、姉さんと会ってからずっと我慢していましたから」
「な、なにを?」
ノウェはまたわたしにキスをした。
「こういうことです」
ノウェはウインクをする。
「っ、でもちゃんと聞いてないんだけれど。いいかしら?」
「ああ……すいませんでした」
ノウェはそういえば、という顔をしてから私に向き直った。
「好きです。愛しています。ずっと共にありましょう、セリア」
「はい、喜んで」
わたしはノウェに抱きついた。
わたしのすべてが解決したわけじゃない。でも、わたしには好きな人、好きなことがたくさんきっとこれからもできる。きっと幸せでいられる。
自分を見失わずにいられれば、きっと。見失ってもわたしにはあなたがいる。
わたしはそうおもうと、つま先を立ててノウェにくちづけた。
おわり
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