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砂に足を取られるように歩く足取り、クラゲみたいにだらりと垂らした銀色の髪、その隙間から紫色の瞳がこちらを伺うようにのぞいていました。
目があった瞬間、オレンジの心臓が動きました。海で一番大きいと言われた時よりも、ハーレムに綺麗な人魚が加わったときよりもです。心臓が体から飛び出す勢いでした。
オレンジは本当はもうわかっていました。
海の中で王になれないことを羨んで生きてきたときより、また、体が大きくなって王になりうるものと扱われていたときよりも、ノアのお屋敷でノアやお屋敷の人たちと暮らしていたときのほうが幸せだったのです。もう私の帰る場所は海ではなく、ノアのところだと。
オレンジは魔女の薬を飲みました。
「オレンジ、いいのか、見つけたぞ、もう海の底にぜったいに帰さないぞ。」
泣きながら、ノアはオレンジの元にゆっくり近づいてきます。
何を今更そんなことをいう。
薬を飲んだオレンジの姿はどんどんと変わって行きます。
尾びれは縮み、鱗が剥がれ、二股に分かれます。そして2本の足で砂浜の上に立ちます。
「あ、あ」
その変化にオレンジは叫びました。しかし喉から出るのは水を震わせる人魚の声ではなく、空気を揺らす人の声です。
こうして、オレンジは人間の姿になりました。
「いーよ、だって私は、ノアの番になりたくて戻ってきたもの!」
ランタンの光に照らされた人間になったオレンジの姿を見てノアがびっくりしたように目を見開きます。
オレンジの前で格好つけたいノアは涙を拭い、顔を引き締めようとしていました。しかし涙が止まらず、ついでに口の端が上がって戻らなくなりながらも言いました。
「オレンジ、愛してる。結婚して、ください」
端正な顔がもういろんな感情で崩壊しきったノアにオレンジは背伸びして顔を近づけました。
「喜んで」
ノアの唇にオレンジはキスをしました。オレンジはこうすることで、人間は結婚できる=番になれると知っていました。
そんなオレンジを抱きしめ、ノアは泣きました。
ノアの涙やらなんやらでべしょべしょになったオレンジは初めて会ったときみたいだと思いながら、しばらくノアに抱きしめられていました。