第92話・のーらいふきんぐ の ふういん
灰色の祠の前で、馬が立ち止まった。
怯えている。軍馬として調教されたはずの馬でさえ怯えるのだから、ここに封じられたアンデッドは恐ろしいのだろう。
「ここです」
兵士の顔は少し青ざめていた。
「ここはフアニンの領土内でいくつか封印されているアンデッドの中でも最強である不死王が眠っていると言います」
「ま、チャチャッと見て封印大丈夫か確認して来ればいいんだよね」
那由多くんは馬から下りて呟く。
「我々はここで待ちます」
青ざめた兵士二人が馬の手綱を持って頭を下げた。
「勇者様、御無事で」
頭を下げる兵士を背に、オレたちは祠の中に入っていった。
小さな祠には、下りの螺旋階段があった。
「この下にあるのかな?」
「そのようね」
「帰りの階段あがるのが大変そうだなあ」
「段数によるだろ」
オレは槍を背に担いで、親方が作ってくれたミスリルのダガーを抜く。ハルナさんが同じくミスリルのショートソードを抜いて、階段を降り始める。
那由多くんが二番手、おっさんが三番手、そしてオレが最後。
無数に刻まれた神聖紋章が、この階段の底にいるアンデッドを厳重に封じてるんだろう。
それでもまだ死霊の気配が消えていない……それだけ不死王が強いってことか。
コツ、コツ、と足音が響く、
下から、妖気じみた気配が感じられる。
「注意して」
ハルナさんの小声は、静まり返った螺旋階段で妙に響く。
「終点が近い」
オレもダガーを手に、背後を警戒しながら歩く。
コツン、と固い音が響いた。
「着いた」
オレも石造りの床に足をつく。
そこは、ちょっとした教室並みの広さを持つ場所だった。
奥の壁一面に神聖紋章が描かれ、そこに手足の枷と胴輪で動きを封じられて目を閉じている男……?
見た目は顔色の悪い普通の男に見えるが、気配が訴えている。これが最強アンデッドモンスター、不死王だと。
うわ、鳥肌立ってる。ぶつぶついっぱい出てる。
「見たところ、封印が解けているような気配はないね」
おっさんがじっくり見て言った。おっさんが戦闘訓練の他に魔法文字や神聖文字、封印などの知識を蓄えているのを三科のみんなが知っている。
「封印って、あんな磔みたいなのが?」
最強アンデッドの封印に憧れを抱いていたんだろう那由多くんの残念そうな声に、おっさんは首を竦めた。
「要は身動きを取れなくして眠らせるわけだからね、神聖紋章を体に直接刻んで溶けた瀝青の中に突っ込んで固めてその上から更に神聖紋章を刻むって方法もあるよ」
「そんな方法アリなの?!」
「アリだよ。要は身動きと魔力が解放されなきゃいいんだから」
そして、おっさんは視線を走らせる。
「両手足首の枷もしっかり銀に神聖紋章が刻まれて壁に固定されている。胴体の戒めも固く封じられている。とりあえず今のところ安心そうだ」
『安心そうだ、か』
ハルナさんが咄嗟に背の大剣に手をかけ、オレも槍を握って構える。
だって、その声にならない声は、男……不死王から聞こえてきたから。
『私も落ちぶれたものだよ。勇者とは言え人間ごときにこのように封じられるとは』
「不死王……か……?」
『如何にも私は不死王アドニス。君たちはあの忌々しい勇者たちの住む勇者界の出か』
「勇者界……?」
「異世界で日本のことを勇者界って言うんだ」
おっさんは小さく早口で答えた。
『やれやれ、情けない。こんな卵に見下されるとは。情けなく封じられた私にも責任はあるが』
「……私たちに何か用ですか?」
おっさんが低い声で問うた。
『用と言えば用だな。私を封じた勇者は私の意識まで封じてはくれなかったのでね。暇なんだよ。膨大な暇を持て余しているんだ』
ここ封じた勇者さん、ちゃんと意識まで封じてくれよ!
『私と簡単な勝負をしてみないかい。何、難しいことではない。この人差し指一本で、私に勝てるかどうかを試すんだ』
枷のはめられた左手首をアドニスは軽く動かし、人差し指を出した。
「ほとんどの魔力も肉体も封じられ、使えるのはこれ一つ。勇者の卵が実力を試すには十分だと思うが?」
「そんなことやるとでも思ってるの?」
ハルナさんが、呆れ半分焦り半分で言う。
「わたしたちの仕事はあなたの封印を確認するだけ。それももう終わった。回れ右してこの階段を昇ってしまえばいい。あなたはまた長い暇な時間を過ごすことになる」
『やれやれ、厳しい女性だ。暇人の相手もしてくれないとは』
「あなたと違ってわたしたちは暇じゃないの。できるだけ早く強くなって」
『キールを倒して……か?』
その瞬間、一気に空気が凍り付いた。
『何を驚く。君たちから同胞の気配はしているのだよ。ラウントピアを飛び出して、別の世界で暴れ、終いに封印された哀れな同胞の気配がね』
「馬鹿な、魔力の封印は完璧だ。不死王の魔力をも固く封じているのに」
『魔力ではない、生者で言えば、匂いだよ。不死王同士が争って力を増していたこの世界に見切りをつけ、出て行った同胞の匂いが、君たちからハッキリとするのだ』
「マーキング?」
那由多くんが呟く。
そう言えば本に書いてあった。不死王が人間に倒された場合、魔力の一部が人に受け継がれ、不死王はその魔力……マーキングを持つ人間に従うと。
「オレたち、キールと戦った時、魔力吸われたか?」
「それはない」
那由多くんが即座に切り返す。
「もし僕たちが魔力を吸われたとしたら、あの時あの場にいたオウル君が気付かないはずがない。オウル君の本体は魔力そのものだ。オウル君が何も言っていないということは、魔力を吸われたわけではないってことだ」
『オウル? ……ああ、先天性の死霊術師のことか。いいな……この魔力の匂い……あれを吸えば、私もここから脱出できたというのに』
「匂い匂いっててめー変態か」
『失礼だな。私は十体の不死王の魔力を吸った者。それだけ闇の気配に敏感なのだよ。しかもこの聖なる空間に長く閉じ込められているからな、闇の気配には自然反応してしまう』
そして、アドニスはゆっくりと目を開けた。
紫色をした瞳。
見られただけで、ぞくりと背筋が寒くなった。
なるほどね……魔王キールよりは弱いけど、今のオレたちよりは確実に強い。まだまだ勝てない。それがよく分かった。