第84話・かなしい しし
「ライオンアリ……で、間違いないか?」
ガリガリの下半身をしたライオンアリは身を伏せたまま、脳裏に言葉を綴っていく。
『ああ。私はライオンアリ最初の一頭。そして恐らくは最後の一頭』
「最初……」
『私が最初に生まれた。私を素にたくさんの子供たちが生み出された。様々な実験を経て、私を生み出した存在は、結局私たちの一族は土地を滅ぼすことにしか使えない、と結論付けられ、廃棄された』
「…………」
誰も、言葉を発しなかった。
人間の業。
おっさんが言った通り、目の前にいる奇天烈な生き物は、人間が勝手に生み出して、勝手に捨てた、……そういう生き物なのだ。
「……何て言ったらいいか分からないけど……」
『今更謝罪されても仕方がない。私が恨んだのは私の創造主。しかも十年以上前にここを捨てて行ってしまって、それっきり帰ってこない。私の恨みも苦しみも誰にもぶつけられはしない』
「人間を……恨んでないのか?」
『恨んでいる』
ライオンアリは身動き一つせず、意思を送ってくる。
『せめて、殺してほしかった。いらないというなら、処分してほしかった。そうすれば、長く、ここで生きることもなかったのに……。私は最初の一頭。だから肉体的に頑強で、ここまで飢えてなお死ねない』
「……すまない」
『全くだ』
ライオンアリは微かに身動きした。
『でも、君たちのせいではない』
「でも、オレたちは」
『分かっている。子供たちから聞いた。我らの胃袋は君たちの役に立つのだろう?』
「知ってるのか? ていうか子供たちって……」
『私は言葉を話せない』
ライオンアリは身動きせずに答える。
『だから、創造主は物事を考える知性とそれを伝える能力を我々に与えた。その力で同族間意思疎通ができる。飢えて死んでいく子供たちを、死んだらひもじいと嘆く声を、私はここで聞き続けていた』
……苦い感情が腹の奥から沸き起こってくる。
『だが、聞こえてきた声があった。これでやっと逝ける、と悦ぶ声が。その声は多く、聞こえてきた。歓喜の声が。初めて聞いた、子供たちの喜びの声。それが少しずつ近付いてきて、私も待っていた。君たちが辿り着くのを』
「それをやったのはこいつなんです」
オレは頭の上のオウルを持って、そっとライオンアリの前に差し出した。
「こいつは死霊術師で、死霊を天に導くことができるんです。オレたちは何もしていない」
『子供たちは感謝していた。君たちに。死霊術師を連れてきて、自分たちを空にあげることに同意してくれた四人のノーマルに』
だから、とライオンアリは続けた。
『私を死なせてほしい』
「そんな!」
オレは思わず声を上げた。
「オレは……オレはそんなことをしてまで……!」
『私の胃袋が欲しいのだろう?』
「だけど、あんたを……一人で苦しんできたあんたを殺してまで欲しいものじゃない……!」
『なら、こう言い換えよう』
ライオンアリのアリの頭に表情はない。だけど、送られてくる意思には、凪いだ海のような静けさがあった。
『私を、この苦しみから解き放ってくれ。その礼として胃袋を受け取ってくれればいい』
「でも……!」
その時、背筋が凍りそうな感覚に気付いて、オレは振り返った。
「なんだ、一匹だけか」
十人ほどの男たちが、手に手に武器を持って立っていた。
「まあ、でもいいさ。胃袋が一個増える」
「ほら、お前らそこを退け」
男たちは前に出たハルナさんに剣を突きつけた。
「このアリが飢え死ぬのを待たなきゃいけないんだ、さっさとそこを退け。お前らが食われるぞ」
「胃袋狩り……」
手が小刻みに震えるのが分かった。
ライオンアリが餓死するのを待って胃袋を持って行く。ライオンアリに知性があるのにも気付かない程遠くで死ぬのを待っている、人間の業を体現したような存在。
「てめえ……」
オレは思わず槍を構える。
「ダメだ、雄斗君」
おっさんが小声で声をかける。
「この世界の法を忘れてないだろう。目には目を、歯には歯を、死には死を。彼らを傷つければ君も……」
「知るかそんなこと!」
オレは怒鳴っていた。
おっさんは悪くない。おっさんはオレの心配をしてくれている。
だけど、オレは叫ばずにはいられなかった。
「こんな人間の屑を、放っておけって言うのかよ! オレも大した人間じゃない、胃袋を手に入れるためにやってきた同類だよ。でも、でもな……」
背後のライオンアリに目をやって、胃袋狩りに目をやって怒鳴った。
「目の前の命も救えないで、勇者になれるはずがねえだろ……!」
「ユウシャ?」
「おい、そう言えばあいつらの装備……」
「ああ、ミスリルだ」
男たちは途端に嫌らしい笑みを浮かべて揉み手をした。
「無限入れ物用の胃袋をお求めか。だったら金で解決が……」
カッとなって槍を繰り出そうとするオレをハルナさんは後ろからしがみついて止める。
「ダメよ! 感情のまま殺したら、それは……!」
『そう。それに、お前が手を汚す必要はない』
「ん? なんか言ったか?」
「いや、俺は」
『そこを退け』
怒りに満ちた、ライオンアリの意思。
オレのヒートアップを静めるくらいの怒りが、そこにあった。
端に避けると、ライオンアリと男たちの場所が一直線になった。
「おい、大丈夫かよ」
「大丈夫だ、ライオンアリはこの距離は動けねえ」
「そこの金のなる木が食われるかも……」
「そうしたらミスリルをありがたくいただくまでよ」
人間の屑? 違った。
こいつらは、人間のカスだ。
『十年ぶりの食事だ……』
怒りと、飢えと、食欲と。
胃袋狩りにとって誤算だったのは、ここにいるライオンアリはいわゆるプロトタイプで、高性能の合成魔獣ということだった。
『後ろを向いていろ』
ライオンアリに言われるままに、オレたちは彼らに背を向けた。
地面を蹴る爪の音、男たちの悲鳴、肉を引きちぎる音。
ほんの数分だった。
ライオンアリに言われるまま振り向くと、そこには男たちの血の一滴も残っていなかった。
十年ぶりの食事を終えたライオンアリがいるだけ。
「……済まない。私たちがやらなければならないことだったのに」
『人間の法は私には通用しない』
ライオンアリはゆっくりと、さっきまで伏せていた場所に戻った。
『子供たちを助けてくれたノーマルを人間の法で傷つけたくはなかった』
「あんた……」
『これでお前たちがわたしにとどめを刺してくれれば、ライオンアリに返り討ちにされた胃袋狩りの仇を取ったと言い訳ができる』
「ますたー」
オウルがそっと声を出した。
「らいおんありさんを、てんにあげていい?」
「でも」
『死霊術師の言うとおりだ。私の魂は肉体を離れかけている』
最後の獅子は静かに告げた。
『このままここで死ねば、飢えと苦しみと創造主への憎悪で、私は死霊となってしまうだろう。そして人間を襲ってしまうだろう。死んでなお囚われたくない。子供たちと同じように、私も彼らの逝った道に案内してくれ』
「ますたー」
…………。
オレはしばらく黙って。
そして、言った。
「オレは、あんたと、あんたの子供たちのことを忘れない」
手が小さく震えているのに気付いても止められない。
「絶対に忘れない。あんたって言うヤツがいたことを。あんたが確かにここで生きていたことを」
そして、言った。
「オウル」
「なに?」
「逝かせてやってくれ」
オウルの首の黒水晶がきらりと光り。
ライオンアリの身体から、何かがはがれるように浮かんでいく。
それは、生まれた時の、凛々しい均整を持った不思議な生き物の形となった。
『ありがとうノーマル、感謝する』
最後の意思が届く。
『願わくば、君の行く道に、永遠の光あれ……!』
そうして、全てが、静まり返った。