第82話・いぶくろがり
スマホの地図を見て、北へ向かう。
荒地にあるのは、人の足跡だ。
北に向かって行っている。
「ライオンアリって、移動するの?」
「難しいと思う」
那由多くんの疑問にハルナさんは無表情で答える。
「常に飢えているから、できる限り行動を控えてエネルギー消費を抑えている。移動すると、その分エネルギーを使う」
「でも、できないことはないと思うよ」
おっさんが加わった。
「食料がなければ死ぬことは分かっているんだから、少しでも餌のある方へ移動する固体もいるだろう。しかもある程度の知性があるならなおさらだ」
「だけど、悲惨だな」
「悲惨?」
那由多くんの呟いた言葉に、おっさんが聞き返した。
「だって、オウルのおともだちが言ったんだろ? 北にいっぱいいるって」
「うん、いってた」
「つまり、ライオンアリは、逃げ場のない北に向かって生息範囲を伸ばしていったんだ。多分、知性があって北へ向かったらおしまいだって分かってたら別の方向に行ってるはず。北の果てまで行っちゃえば、もう食糧はどこにもなくなる。知らないまま絶滅の道を行っちゃったんだ」
「そうだね……」
ライオンアリの無限の胃袋を手に入れるために来たんだけど、その運命を考えると悲しい気持ちになる。
オレはオウルの頭を指先で撫でながら、溜め息をついた。
「北の果てにいる、悲しい獅子か……」
「もしかしたら、ライオンアリの生き残りなのかも知れないね……」
「とにかく行こう」
オレの声に、みんな頷いて北に向かって歩き出した。
ここで行かないという選択肢はない。例えどれだけライオンアリが悲惨な末路を辿っていたとしても。
スサナ先生や篠原先生まで巻き込んで、結果を持たず帰ることはできない。
来てしまったからには、行くしかない。勇者という仕事に後戻りは許されない、学校に入ってから何度も言われたことだ。行くと決めたからには進むしかないのだ。
太陽が容赦なく照り付ける荒野を、ひたすら北に向かって進む。
半日ほど進むと、ふとハルナさんは立ち止まった。
くん、と鼻を鳴らすハルナさん。
「近くに何かいるわ」
確かに、そう思って嗅覚に集中すると、ほぼ無臭だった空気に生き物の臭いがする。
「ライオンアリだと思う?」
「人間ね、多分」
「ハルナさん、鼻も効くのか?」
「さすがに嗅覚は普通の人間よ」
いや、ハルナさんは嗅覚もよさそうな気がする。
「じゃあ、何で人間って言えるのさ」
「火の臭いがするもの。正確に言えば物が焦げる臭い、ね」
ハルナさんの言葉に、嗅覚を更に集中させると、何かが焦げる臭いがした。
「あ、本当だ」
「多分、胃袋狩りね」
「ライオンアントの胃袋狙い?」
ハルナさんは頷く。
「接触する?」
「やめておこう」
オレは首を横に振った。
「ライオンアリが減っているのは間違いないんだ。となれば奪い合いになる」
「そうだね」
おじさんも頷く。
「こんな荒野に用がある人間なんて胃袋狩りしかないよ。胃袋を持っている可能性もあるけれど、足元を見られるのがオチだ。スサナ先生の予言に従って、北を目指したほうがいいだろうね」
「迂回するのね」
「うん。スサナ先生の予言を信じよう」
身を隠すところもない荒野で、オレたちは遠くに見えるテントらしいものと小さな人影に気付かれないよう、ミスリルの鎖帷子をマントで隠し、大きく迂回して北へ進んだ。
そして夜が来た。
「寒い……」
那由多くんが呟く。
荒野は昼の陽はさえぎるものもなく照り返すが、夜に熱源がなくなるとぐっと冷える。
防寒機能もある衣服鎧と分厚いマントにくるまっても、大地が熱を奪っていく。オレたちの中心には、おっさんが覚えた魔法の炎が赤々と灯り周囲に温かさを送っている……はずなのに、その熱まで大地に吸い取られてるっぽい。
「カイロいるか?」
「え、カイロ?」
「使い捨てカイロ持ってきた」
眠れず震えていた那由多くんも、見張り番だったおっさんも、ハルナさんも、オレの近くにやってくる。
「なんでカイロなんか」
「トカス地方は荒野だって聞いてたから」
オレは携帯使い捨てカイロを四つ出して、三つをそれぞれに渡した。
「確か荒野って夜冷えるんだよなって思って、アイテム収納部屋からあるだけかっさらってきた。夜だけに限れば後十日分はある」
「えらい、雄斗はえらい」
那由多くんが冷え切った指先でカイロを揉む。
「これがあるだけでもだいぶ違うわ」
ハルナさんも両手でカイロを包んで暖を取っていた。
「昼の暑いのはどうにもならないけど……マントのフードで日光を遮るしかないのが辛いな」
「発熱用の冷却シートも持ってきた」
さすがに三人の目が唖然としている。そうだろうな。オレもまさかいることになるとは思わなかった。
「どれくらい?」
「御徳用二十パック入りを八箱」
「なんでそんなに」
「いや。あったから、使うかなって思った」
「首筋と、額と、背中に貼ればだいぶ違うわ」
オレが無限ポーチから出した冷却シートを見て、ハルナさんの声は珍しく少し弾んでいた。
「で、肝心要の飲料水は?」
「ニリットルペットボトルを四十本」
「……完璧だわ」
ハルナさんの声には関心を通り過ぎて呆れがにじんでいた。
「やっぱり無限入れ物を作ってあなたに持たせるべきね」
「だね、ここまで大荷物を揃えるのは大変だ」
「とりあえず僕は寝る。寝るんだ。眠い。なのに眠れない」
「寒いからな」
一応夜番を一人ずつやって、翌朝太陽が出かかる頃に、携帯食を食べた。
「ますたー」
オウルが声をかけてくる。
「このあたりにも、いっぱいいる」
「ライオンアリの死霊か?」
「うん、たすけてってないてる」
「オレに聞かなくても、お前が必要だって思うならいつでも天に送ってやればいい」
「ぼく、つかいまだから。つかいまはかってなことしちゃいけないってあくとせんせいにいわれた」
「じゃあ、ここにいる間は、お前が好きな時に、空に還してやっていい」
「あぶないのがきたら?」
「その時はすぐにわたしたちに知らせて」
ハルナさんもマントのフードを被りながら言った。
「あなたが扱い切れない死霊は、余程この世界に恨みを持っているのよね。このミスリルであれば死霊も断ち切れる。恨みに囚われた死霊は散らしてやるしかないわ」
「死霊の正しい倒し方、か」
「どうせ聖水も持ってきているんでしょ?」
「前から入ってるのが六・七本」
「聖水とミスリルがあれば怨念から解放もできるでしょう。そうしたら天に還してあげられる」
「うん」
オウルはオレの頭の上に移動すると、羽根を広げた。
あちこちから黒い塊が飛んできて、白い光になって空に還っていく。
一体どれだけのライオンアリがこの地で飢え、死んでいったんだろう。
辛い、苦しい、悲しいと嘆く心を持っているってことは、人間クラスには知性を持っているってことだ。でも、多分声帯がないから喋れない。自分の周りで近付かないように、それでも何かあったらいつでもとどめを刺せるようにと囲んでいる人間をどう思うんだろうか。
亡霊半島。苦しみに満ちた場所。
オレたちは成仏したがっている死霊に導かれるようにと北へ向かい、三日が過ぎた。