第79話・スサナ先生の告げたこと
「貴方が……予言者スサナ、ですか」
「ええ、土田長谷彦君」
最年長のおっさんを君付けし、幼い少女は、その外見からは想像もつかない程穏やかな笑顔で笑う。
「見た目で驚いた? あたくしはこれ以上成長しないの。異世界間混血種、いわゆるワールドハーフは本来存在しない種。だから、色々な形で影響が出てくるの。あたくしの肉体成長はこの年齢で止まった。だから勇者にはなれなかった。だけど、世界の声を聴く能力を与えられ、魔力を与えられ、この学校の魔法結界の基礎としてここに住んでいるの」
どうぞ、と言われて、オレたちは毛足の長い絨毯の部屋に入る。
幼女はくすくすと楽しそうに笑った。
「何かおかしい……ですか」
傍若無人を絵に書いたような那由多くんも、さすがに目の前の相手は一筋縄ではいかないと感じ取り、敬語を使う。……もっとも警戒感はマックスだったけど。
「学校の生徒さんに会うのは初めてだわ、と思ったの。不愉快にさせたならごめんなさいね?」
「いや……」
那由多くんは苦虫を嚙み潰して席に座る。これから話を聞こうとする相手に失礼なことがあってはならない、と彼なりに思ったんだろう。
「異世界に旅立つ者にあたくしの予言は与えられる。そう、それは生徒であろうと関係ないのに、生徒さんは遠慮してしまうのね。この塔は全ての旅立つ者に開かれているというのに」
「そのこと言っていいですか」
「それは言わないで」
スサナ先生は指をすっと出した。
「旅立つ覚悟のない者に私の予言は与えられないから」
「旅立つ覚悟?」
「ええ。あたくしの予言は帰れないかもしれない旅に踏み出す覚悟に与えられる恩寵。聞いて旅をやめるような覚悟の者には与えられない」
「すさなちゃん、これのんでいい?」
オウルの声に、スサナ先生はにっこりと微笑んだ。
「もちろんよ。あなたたちのためにあたくしが淹れたお茶ですもの。飲んでほしいわ」
「わーい」
オウルがオウル用の小さなカップの前にとまり、オレたちもつられてソファに座る。
「無限の胃袋を手に入れに行くんですのね」
「分かってるんですか」
「わたくしは予言者ですもの。お客様とその目的は告げられるわ」
「告げられるって、誰から」
「さあ、誰かしら。天かしら。それともわたくしの頭の中? それはあたくしにも分からない」
白いふわふわの髪、金色の目をした、猫のような少女は小さな指を唇に当てた。
「あたくしは、頭の中に浮かぶ画を見て、その先を見、それを回避する方法を見るだけ。それが訪問者の望むものではないかもしれないけれども、あたくしはそれを告げるだけ。それを受け取ってどうするかはあなたたち次第」
でも、とスサナ先生は言う。
「あなたたちは行くのでしょう? だって、あなたたちには旅行く相があるもの」
「旅行く相?」
「ええ。何処かに行きたくてたまらない、そう言う放浪者の相」
「人相まで読むんですか」
「あたくしがこの部屋でどれだけの旅立つ者を見送ったと思っているのかしら? 顔を見れば分かるわ。あなたたちは知らない場所へ行きたくて仕方がない顔をしている」
自分のお茶を一口飲んで、スサナ先生は微笑んだ。
「あたくしは旅立つ者を見送る者。だから分かるの。あなたたちは会うべくして出会った。知らぬ地を共に旅する仲間として」
スサナ先生は手を伸ばしてオウルの頭を撫でた。
「この子も、あなたたちと出会うべくして出会った。知らぬ地を見るために」
撫でられてオウルは心地よさそうに目を細める。
「では、告げましょう。あなたたちの求めるものではないかもしれないけれど」
「分かってます」
スサナ先生は頷いて、すっと目を閉じた。
しん……と空気が静まり返る。
「命を奪おうとすれば奪われちゃう」
歌うような、猫やウサギがはねるような、子供ようなリズムで、スサナ先生は楽しそうに口ずさむ。
「それでも手にしたいのであれば、行くしかないわ。北の果ての果ての果て。たった一匹取り残された、悲しい獅子に会いに行って。きっときっとそこでなら、あなたの求めるものはある。だけどね、忘れないでね、七年の眠りから目覚めた候補。あなたの命を狙うのは、獅子や人間だけじゃない。いつかあなたの正面に、それが現れる時が来る。その時に、あなたは何を選択するのか。それはあなたの心の中よ。あなたはそれと戦うかしら。それとも手を差し伸べる? 覚えておいてね、目覚めた子。あなたの選ぶ道こそが、それの未来をも左右する」
楽し気に弾む声が、そこでぴたり、と止まった。
「……おしまい」
言って、スサナ先生は目を開けた。
予言、というには子供の弾む声で語られた明るい声が、すっと落ち着いたものに変わった。
「これがあたくしの予言」
オレはこくりと唾を飲み込んだ。
予言。それは確かに、無限胃袋を手に入れる方法を示唆していると思われた。
だけど、後半分は。
七年の眠りから目覚めた候補。
明らかにオレを個人的に指している。
オレの命を狙っている者がいる、と明確に差しているのだ。
そして、オレの選択次第で、相手と戦うことにも助けることにもなるという。
「あの、これは一体……」
問いかけようとしたオレの目の前に、小さな手が広げられた。
「聞いては駄目よ」
金色の瞳が真剣な色を宿して光ってた。
「予言に何かを付け加えることは許されない。それがあたくしの予言のルール。予言にあたくしの感想を付け加えてしまえば、それは予言ではなくなってしまう」
「…………」
「だから、聞かないでちょうだいね。これはあたくしの意地悪じゃないの。付け加えれば、変えられるかもしれない運命が変わらなくなったりもするのだから」
「これだけ、教えてください」
オレは聞いた。
「この予言が、確実に当たる。そういうわけじゃあないんですよね? オレたちの行動次第でいくらでも変わる」
「ええ、それだけは確か」
スサナ先生は血管の透けそうな薄い手で、白いティーカップを手に取り、両手で支えてこくりと飲んだ。
「変わらない予知は予知ではない。当たらない予知が予知ではないようにね。矛盾しているかもしれないけれど、予知とはあくまでも未来への指針であって、決意次第でいくらでも変わる。そして変えるという覚悟を持たない者に、この塔の扉は開かない。学生さんが今まで来なかったのも、恐ろしい予知を下されて旅立てなくなるのを恐れたからかもしれないわ」
「神那岐君の命が狙われている……」
おっさんが沈鬱な声で言った。
「いずれ、それとも正面対決することになると言うことか」
「今すぐ、じゃないだろ。少なくともライオンアリを倒す旅の途中で正面対決するとは言ってなかった」
暗くなりかけた空気を吹き飛ばそうと、オレは笑った。
「勇者やってりゃ誰かの恨みを買うこともあるだろ。オレが早すぎただけでさ。そいつを倒すか助けるかって選択も、勇者ならいずれしなければならない選択じゃね?」
「だいじょーぶ。ますたーにうらみをもってればぼくはわかるよ。どんなときだって、みのがさないよ、ぜったい」
「ほら、オウルもこう言ってくれている」
「……でも」
珍しくハルナさんが暗い色をした目をして呟いた。
「今は胃袋のことだけ考えようぜ。北の北の北の果てってヒントがある。とにかくライオンアリの生息区域を調べて、そこの北の果てで悲しい獅子が待ってる。そいつに会えば道が開けるんだから」
くすくすと鈴を転がすような笑い声。
「……スサナ先生?」
「ああ、ごめんなさいね。あなたがあまりにも前向きだから」
「後ろ向きになっても意味ないでしょ」
「そうね」
「七年も寝こけてたんだから、どんどん知らない場所に行かないとダメになるってことだとオレは判断した。だから、行く。第一オレの命を狙ってるヤツは異世界だろうと日本だろうと何処にでも現れるんだから、怖がって隠れてても意味ねー」
「そうね、それなら」
スサナ先生は一旦ソファから立ち上がると、部屋の向こう側に消えて、一枚の紙を携えて戻ってきた。
「あたくしからの贈り物よ。受け取ってちょうだい」
それは、「予言学教師・野々原スサナの名において、移動門にてトカス地方への移動を認める』と書かれた許可証だった。