第34話・対魔王初戦
「ふん……?」
底冷えのする声が、今や亜空間の入り口となったホワイトボードの奥から聞こえた。
「……面白くない」
オレの肩の上で、オウルが膨らんでまん丸になっている。いつもならそんなオウルをモフるところだけど、それどころじゃない。オレの毛穴も全開だ。
威圧感が、半端ない。
「何が、面白くないんだ」
「我は、貴様らを殺せばここより解放されることとなっている」
だが、と魔王キールは続けた。
「今の貴様らは我が相手するに相応しくない」
キールは身動きする様子もなく、亜空間の一番奥に座っている。
「このような雑魚を殺して解放されたなどと知られれば、我の名誉も地に落ちる」
その時。
一瞬の間を狙って、一気に距離を詰めたのはハルナさん。
那由多くんも並んで走る。
「おっさん、敏捷強化!」
オレは叫んで、二人の援護をするため後を追う。
三人同時に敏捷強化がかかる。
ハルナさんが迷いのない走りでキールを狙い。那由多くんは召喚杖を構え、呪文を唱えながら走る。ハルナさんはともかくとして、那由多くんがそこまでやれるとは思わなかった。
「ハアッ!」
剣が振り下ろされる。
キールは動かない。
ダメージ!
……と思ったが。
キールは動かない。
ハルナさんも動かない。
近くまで辿り着いて気付いた。
キールが動かしたのは、右手。
青白い、枯れた枝のような指が二本。
ハルナさんの大剣を、受け止めている。
「ぐうっ……」
ハルナさんが力づくで動かそうとするが、大剣をつまんでいる二本の指はびくとも動かない。吹けば折れそうなほど細い指なのに。
「闇精霊召喚、放出!」
その指を狙って、那由多くんが闇精霊を叩き込んだ。
闇の力と言えど、勇者が使えば闇を討つ闇となる。そう教わった。
教わったはずなのに。
指には傷一つついていない。
「これだけか?」
キールが静かに言った。
「つまらぬ」
「二人とも、いったん下がれ!」
オレは叫んだ。
「反撃が来るぞ!」
すかさずハルナさんは剣を抑えている指を足で蹴り上げた。だけど、キールはびくともしない。
「いいから下がれ!」
オレは剣を抜こうとしているハルナさんの手を引いた。
「那由多くんも!」
那由多くんは舌打ちしながら下がる。
よく考えたら、オレたちには身を守る技がない。
那由多くんは闇、ハルナさんは今のところ土、おっさんは強化系、オレは回復。
身を護る魔法がない。ヤバいまずい危ない!
とにかく距離をとらないと!
その時。
キールは微かに動いた。
「忘れ物だ」
びゅん!
風を貫いて、何かが飛んだ。
「伏せろ!」
咄嗟にオレたちは床に身を伏せる。
ドスン!
「今日はこれで終いだ。弱すぎて呆れたぞ」
キールの姿にグラデーションがかかっていく。
「我も殺すに値する勇者と戦いたいのだ。今の貴様らでは羽虫に等しい……」
空間自体にグラデーションがかかり、キールの姿は。
消えていった。
へなり、とハルナさんが座り込んだ。
キールの威圧感に圧されたんだろう。
ふーっ、ふーっと耳元で聞こえるなと思ったら、相変わらずまん丸いままのオウルが息を荒くしていた。
「……強い」
座り込んだまま、ハルナさんが呟いた。
「ここまで強いだなんて、思わなかった」
「ああ、ほら、見なさい」
おっさんが教室の反対側を指さした。
「何……を……」
オレと那由多くんとハルナさんは振り向いて、絶句した。
教室の後ろのもう一枚のホワイトボード。
そこに深々と突き刺さっているのは、ハルナさんの大剣。
忘れ物、というのはこれのことだったのか。
しかし、ほとんど動いた様子はなかった。あの指二本で投げ返したとしか思えない。
「はい、感想は?」
消えたキールの、それでも色濃く残る威圧感に圧されたままのオレたちに、先生は聞いてきた。
「足りない」
オレは呟いた。
「何が?」
「経験も、力も、魔法も、装備も、何もかも」
「そうだね……敏捷強化だけじゃダメだ……筋力強化……敏捷弱化……もっと、もっといる……しかも、もっと確実に効くように……」
「武器が捕まえられたら動けない……主武器だけじゃ戦えないわね……武器を奪われた時に代わりになるもう一つの武器がいる……」
「闇魔法でも、もっと強いのを、もっと素早く、放てるようにならないと……」
「身を護る魔法もいる……運動着の上に鎧を着ても、あのキールならそれくらいの防御を打ち砕いてくる……」
四人揃って、刃の真ん中まで突き刺さったハルナさんの大剣を見ながら、呟いた。
あまりにも、相手に、ならなさ過ぎた。
キールが呆れるのも意味はない。
よく、ラスボスにひのきのぼうで挑むよう、と言われるが、それ以上だった。本当の魔王には、学校支給の装備ですら、効かなかった。
「本当に……」
オレは思わず呟いた。
「あいつを、オレたちが、倒せるのか……?」
「可能性は確実にあります」
先生は亜空間を塞ぎ、スタスタと俺たちの視線の先を歩き、大剣の柄を握って引き抜いた。
……おい、刃の半分近く突き刺さった大剣を引き抜くなんざ、メダリストでも無理だぞ。
先生はハルナさんの大剣をよくよく観察して、ハルナさんに大剣を渡した。
「足りないものは、確かにたくさんあります」
そして、座り込んだオレたちの目の前を、行ったり来たりしながら言葉を続ける。
「経験も、力も、魔法も、装備も、何もかも。神那岐君が言った通り、課題はたくさんです。ですが、何が最低でもどれくらい足りないのかが分かった。そうであるならば、それを積み重ねていけばいいのです。足りないものを底上げする。皆さんが自分に足りないと思っていたものを、経験を積むことによって足して行ってください。そうすれば、一年以内に、必ず、キールを倒せます」
ぱん、と先生は手を叩いた。
「では、何から始めますか?」
オレたちは思わず顔を見合わせ、頷いた。
『基礎体力』
「分かりました。無現ランニングから始めましょう。皆さん全員がまず基礎体力が足りないと思ったからには、ひたすらやるしかありません。卒業するために、頑張りましょう」
ようやくオレたちは立ち上がれるようになって、ハルナさんは投げ返された大剣をじっと見ていた。
「絶対、倒してやる……」
「同じく」
オレはハルナさんの肩を叩いてその横を通り過ぎた。
まだまん丸いオウルを思う存分モフりながら、オレは決めた。
絶対。
オレたち四人で、あいつを倒して、卒業するんだ。
それがどんな無茶なことだとしても。
あんな、呆れたような顔をされて、ムカつかないわけがない。
絶対に、勝ってやる!