第115話・その後
教師と生徒が一人ずつ欠けた。
それは、ハザマ校開校以来の大騒動だった。
しかも、生徒を守り導くための教師が生徒を巻き添えにしたという醜聞まで添えて。
学校……日本は全力でその醜聞を隠した。
勇者と言う人材を財産として持つ日本は、その才を悪の方に向けた人間がいたなどと触れられたくはない。なかったことにする、それしかない。身内にも気付かれないように、隠蔽するしかなかった。
風の魔法で変声した、封じられた二人を一番よく知る存在……第三科の生徒が電話など教師の監督下で通じ、就職が決まった、転勤になった、などとして、いなくなってもおかしくない状況を作り上げた。
第三科は……三人のパーティーとして卒業が認められた。
卒業資格を過去最短記録で得た三人は、それぞれに思うところがあったのだろうけど、結局、学校に残り、勇者として就職する道を選んだ。
雄斗と博が封印されているのはこの世界と別世界の狭間にある空間。オウルが使い魔として生きている限り、雄斗は死んでいないと言うこと。死んでいなければ、歪み切った博の魂の浄化に努めているはず。いつか……博の魂が慰められて天に受け入れられ、雄斗がいつか帰ってくる日が来るのなら、すぐ分かる場所がいいと。
それから、十年近い日々が流れ。
勇者派遣の要請を受け、校長室に赴いた土田は、その行き先を見て眉間にしわを寄せた。
「ラウントピア……ですか」
「ああ」
校長も、あの一件で交代を余儀なくされた。あの時の校長だったら配慮してくれたのに、と土田は内心溜め息をつく。
「君たちが詳しいと聞いた」
好きで詳しいわけではないと嫌味を言ってやろうと思うのを飲み込む。
土田はあくまで常識人なのだ。……ハルナや那由多だったら、絶対に言っていただろうけど。
「今は、君たちしか戦える勇者がいない」
文字を読み進め、土田の眉間のしわが更に寄る。
「……承知いたしました」
派遣要請書を手に取り、土田はさっと身を翻す。
「そうだ、この任務が終わったら、教師になると言う話を進めても」
「お断りします」
土田は一言で切り捨てると、校長を省みることもなく、校長室を出る。
勇者の中でも最年長で、引退してその溢れる知識を後進の育成に向けてもいいと誰もが思っているのに、土田は勇者であることに拘っていた。
「おじさん」
温和な土田が苦虫を嚙み潰したような顔で戻ってきたのを見て、那由多やハルナは怪訝な顔を見せた。
「派遣任務、そんなに厄介そうなのか?」
「厄介だよ。個人的に」
派遣要請書を机に放り投げる。
それも土田に似つかわしくなくて、二人は書を覗き込み……同じように苦虫を噛み潰した顔になった。
「ラウントピアかよ……」
「わたしたちに対する嫌がらせとしか思えないわね」
「最後まで読みなさい。私のこの顔の本当の理由がわかるから」
「不死王アドニスの討伐……」
ハルナの頭の上にいるオウルが、目で文字を追った。
「ぼくはますたーのなかからかんじてたけど」
うん、と三人が頷いたのを確認して、オウルは続ける。
「あどにすって、みんなにまおうのたおしかたをおしえてくれたひとだよね」
「ええ。多分あの事態を笑いながら見ていたでしょうね」
「愚痴くらいは聞いてもらわないと割に合わないな」
那由多は呟いて、立ち上がった。
勇者パーティーの中でもダブルAランクである、パーティー名「第三科」は、死霊界ラウントピアに赴いた。
あの時、安久都博に唆されたせいで勇者派遣できなくなった王はもういない。日本とこの世界は時の流れが違うのだ。
数代経った王は三人の姿を見ても特に驚かず、派遣の理由を語った。
「かつて、勇者が封印を確認してくれた不死王アドニスが、封印を破ったと言うのだ」
「破れない封印などありません」
土田はきっぱりと言い切った。
「完全な封印など、どの世界のどんな場所にも存在しない」
自分に言い聞かせるような調子の土田の言葉と、頷く那由多とハルナに不思議そうな顔をする王の、しかし問いは出なかった。
「では、行ってきます」
王に対するとは思えない塩対応に王は何か言おうとしたが、恐らく自分たちが派遣される最強の勇者の機嫌を損ねても、と言葉を飲み込んだ。勇者には誠実であれ。それが数代前の王が残した言葉だから。
誰の案内も受けず、第三科は封印の祠に辿り着いていた。
「ここが、終わりの始まりだったな」
ぽつりと呟いた那由多に、その頭にとまっているオウルも項垂れる。
「ぼくが、ゆだんしなきゃよかったんだ……」
「オウル君のせいじゃない」
ハルナが自分に言い聞かせるように言う。
「わたしたち全員、あいつに踊らされていたんだから」
腰のショートソードを抜いて、ハルナが先頭に立って階段を降り始める。
那由多を真ん中に、第三科は階段を降りて行く。
そこには、十年前には固く封印されていた不死王が待っていた。
『短かったな。私の封印が解かれるのも、君たちが再びここに来るのも』
「勇者界では十年だ」
『こちらの世界でもたったの百年だ』
「人間にとっては、十分に長いよ」
『まあ、私はもう飽きたな』
「飽きた、って?」
ハルナの不審そうな顔に、アドニスはニッと笑いかける。
『私を滅ぼしてくれないか?』
「は?」
『実は、君たちの派遣を依頼したのはこの私なのだ』
ぽかんとした三人に、アドニスは笑みを浮かべたまま続ける。
『もちろん、王に無意識化で影響を与えたのだがな』
「つまり、なんだ、不死王を封印できる……オウルがいるから、俺たちが来るように伝えたわけか?」
『如何にも』
「あの戦いを見てたんならわかるだろ。俺たちがこの世界に来るのどんなに嫌だったか」
『しかし仕方がない。再び封印されれば莫大な暇を持て余す年月が過ぎるだけ。そろそろ天に昇りたいと思ってもこの魂は肉体に固く封じられている。こじ開けられるのは今はそのフクロウしかいない。君たちに頼むしかなかった』
「……楽な依頼になりそうでよかった」
オウルの首、黒水晶が光を放つ。
「魔力足りる?」
「たりないかもしれない」
「分かった。魔力共有」
オウルがこれまでの冒険で溜め込んだ死霊をアドニスに送り込み、肉体に縛られた死霊の魂のつながりを断ち切っていく。
『……ああ、そうだ、忘れる所であった』
アドニスはゆったりと言った。
『戻ったら、神の社に行くがよい。きっといいことがある……』
「いいこと? 一体それは……」
『ああ……ようやく……安息できる……』
アドニスの肉体が崩れ落ちる。
そして魂が黒水晶の中で眠りについた。
何もなくなった祠を出て、三人は顔を見合わせた。
「神の社?」
「我々の世界で神の社、と言えば、ハザマ神社よね」
「神社に何かあるんだろうか」
「なにかある」
オウルが呟いた。
「なにかが、いるよ」
王への報告も校長への報告もそこそこに、三人と一羽はハザマ神社へ向かった。
静まり返った神社。
かつていた神鷹も姿を見せない。
「アドニスがわざわざ言い残したんだから、何かあるんだろう」
その時、土田の肩にいたオウルが翼を広げた。
「オウル君」
「…………たー」
「え?」
ゆっくりと、空間が歪んでいく。
「す、たー」
オウルが声を張り上げる。
「ますたー、ますたー、ますたー!」
空間の歪みの中に、目を閉じて身動きしない人影がいた。
「……まさか」
「雄斗」
「神那岐くん!」
叫び声が聞こえたのか、転寝をしているように目を閉じていた人影が、ゆっくりと目を開ける。
「……オウル?」
「そうだよ、ますたー!」
「あれから……何年……経った?」
「じゅうねんとちょっと」
「そっか……」
くあ、と欠伸をする。
「十年経つと、やっぱみんな、年とるなあ……おっさんなんかじいちゃんになっちまってんじゃん」
「はは……言うじゃないか、十年も眠っていて……」
「そうよ……それまでわたしたちがどんな思いしていたか……」
「目を覚ますんならさっさと覚ませよ……」
「悪ぃ、博の意識を封じるにはオレの意識も封じなきゃいけなくてな……」
「浄化は……できたの?」
「博はほとんど自我を失った。今はここだ」
双子石の黒水晶を雄斗は空にかざした。
「後は……これを壊せば、輪廻の輪の中に戻って行ける」
じゃあな、博、と呟いて、指に力を込めた。
ぱきぃん、と音を立てて、石が砕け……そして灰色の渦が空に吸い込まれていくように消えた。
「そうか……」
十年前の姿のまま、雄斗は頭を掻いて、言った。
「……ただいまって、言えばいいのかな」
「おかえり、ますたー!」
「お帰り、雄斗君」
「遅いぞ雄斗」
「お帰りなさい、神那岐君!」
十年ぶりに揃った第三科は、太陽の光の下で笑い合っていた。
あたたかな光が、彼らに降り注いでいた。