第113話・封ぜよ
「戦輪?」
オレが取り出したものを見て、一瞬博は目を丸くした。だがその目はすぐに元の三日月に戻る。
「そんなもので俺がどうにかなるとでも思ってるのか?」
「仕方ないだろ」
オレは息を吐きだした。
「オレに残された武器はこれしかないんだから」
「クッ……そもそもお前、戦輪の使い方など知らないだろう? 武器の扱い方の基礎を教えたのは俺だからな」
「オレもこんなもの使う時が来るとは思わなかったよ」
日本では忍者の武器として知られる戦輪は、投具には珍しい切り裂く武器だ。輪っかを指先でくるくる回して、ある程度遠心力がついたところで敵目掛けて放つ。扱いやすい武器だけど、敵が全身を鎧やなんかで覆っていたりするとまだ石投げた方がマシってくらいの攻撃力。
それを知っているから、オレの最後のあがきだと思った博はニヤニヤと笑っている。
オレは一つを人差し指に引っ掛け、くるくると回し始めた。
「やってみる気か? 無駄だと分かってながら?」
「しょうがないだろ、今のオレは、これに賭けるしかないんだから」
博は楽し気に笑いながら、お好きにどうぞ、と先のない右腕と槍を挟んだままの左腕を開いた。
うん、お前はそういうヤツだった。
ゲームでも勉強でも、自分が優位だと思うと全然やってないふりして陰で練習して、挑んだオレを返り討ちにするヤツだった。
ごく普通の戦輪。
オレの最強武器であるミスリルの槍を抑え込んで、オレの必死の抵抗を楽しもうって言うんだろう。
だけどな、博。
こいつは何処にでもある便利武器じゃない。
最初の一投さえ外さなければ!
オレの右手から放たれた戦輪は、空気を裂いて、一直線に博に向かった。
普通の人間なら、逃げるか盾を構えるかするだろう。
だけど博に盾はない。
そして逃げる気もない。
一筋切り裂かれる程度だろうと思っているのがよくわかる。
だけど。
戦輪は空気を巻き込んで、鋭い刃と化してぶち当たった左肩を粉々に吹き飛ばした。
ミスリルの槍がポトリと落ちる。
「何?」
博は消えた自分の左肩を見て、呆然とした。
「悪いな……博」
何だか目から熱いものが溢れてくる。
「これはハザマ神社から受け取ってきた戦輪だ」
「ハザマ神社」
左肩と右手を失った博は、その言葉を口の中で転がすように呟く。
「そうか。俺はもう、勇者じゃない……排除される対象ってことだ」
「……ああ」
「だが、悪くない。勇者という肩書で縛られていたことを考えれば、すっきりした気がする」
博は晴れやかに笑う。
「もう人を助けて金をもらう仕事をやらなくてもいいんだ。俺は俺の思うとおりに生きて行けばいい」
「その思う通りが、まずいんだよ」
次の戦輪を引っかけて、オレは呟いた。
「俺の肉体を吹っ飛ばそうってことか。だけどな、俺は半ば死霊と化している。肉体から解き放たれれば、もっと別のこともできるだろうな」
そうはさせない。させられない。
しゅうう、と音がする。
霧のようなものが、左手の形をして、伸びてきた。
「俺の……左手?」
伸びてきた左手を、自分の左手で受け止める。
霧の手は、オレの手の中に伸びて消えた。
「俺の……手が?」
「悪いな、博」
目じりからポロリと涙が落ちる。
「お前がオレへの執着を止められないって言うんなら」
オレは痺れる左手を下ろして呟いた。
「お前がオレの死ぬ瞬間まで苦しめたいって言うんなら」
今度は右足めがけて戦輪を放つ。
咄嗟に博は闇の力を集めて戦輪を止めようとしたが、神の下賜した武器。それは止まらない。
右足がぼっと消えた。
今度は霧がオレの右足に入り込み、右足も麻痺した。
「付き合ってやるよ、お前が飽きるまで。お前の気が済むまで」
「ま……さか」
「お前を封じる」
オレは掠れた声で告げた。
「オレの肉体に。オレの意識に」
「……どうするつもりだ」
「お前はオレを苦しめられる。オレはお前を止められる。いいことだろ? お前はオレが生きている間ずっとオレの身体に封じられるから、お前は一生オレを苦しめられるんだ」
「…………」
博は不思議な顔をした。
困ったような。笑ったような。苦しいような。嬉しいような。
だがすぐに狂気の笑みに変わる。
「俺はお前を生きている間中苦しめられる。だが、その後は? オレと言う存在を封じてお前は生きていけるとでも思うのか? 俺のような死霊を受け入れてお前がもつとでも? そして、お前が死んだあとは? 言ったろう、俺はお前がいなくなれば、世界を壊すと」
「分かってるよ……お前レベルの死霊を体内に封じてまともに生きていけるとも思わない。だから」
オレは戦輪を投じながら言った。
「スサナ先生」
「……それで、いいのかしら?」
初めて室外で会うスサナ先生は、悲しい声で言った。
「自分を封じると言うことは、永劫にも等しい時間を、ただ生きていくだけなのよ? 仲間とも、恩師とも、家族とも会話を交わすこともなく。何もない場所に、貴方を狂気のように恨み憎む存在と二人きりで」
「ラウントピアのアドニスを見てれば分かる」
オレは右手で戦輪を回しながら頷いた。
「分かっていないわ」
スサナ先生の声は微かに震えている。
「彼は不死王として、精神の在り様も人間からは変質している。長い時間を隷死を解放せずその苦しみを味わって楽しめるほど貴方の心は壊れていない。そして、壊れずに、長い時間を生きられる人間はそうはいない」
先生の声が、またひとつ低く、暗くなる。
「ましてや貴方に執着している死霊と二人きりだなんて、心がもたないわ。貴方はまだ二十代半ばだと言うのに」
「やらせてくれ。頼む」
オレは戦輪をまた、投じる。
「こいつを狂わせたのはオレだ。……どれだけ謝っても、悔やんでも、許されることじゃない。だから……」
今度は左足が麻痺する。
「オレが責任とる。こいつが満足するまでひたすら生き続けて生き続けて、こいつの呪縛を受け続ける」
スサナ先生は悲しく俯いた。