第111話・戦いに挑むとき
オレは一人、山を登っていく。
人の怒号、絶叫、悲鳴、そんな声が聞こえてくる。
苦しむ声の中に、博のものはない。
「攻撃が効きません!」
「不死王の力を持っているんだ、肉弾戦は無意味! 遠距離から魔法を……!」
先生たちがあちこち走り回る。その大半が魔法の塔に向かっている。博はあっちだ。行かなきゃ。
「強力な魔法を叩き込め! 塔まで行かせるな!」
「状態異常系の魔法は効くのか?!」
やっと目の前に展開した光景。
博を、取り囲む数十人の勇者たち。
勇者たちは博に近付かない……?
いや、近付けない。
闇の魔力の流れとでもいう空気が、みんなの接近を阻んでいる。
博の顔はまだ遠いので伺えない。
オレはゆっくりと歩いて行った。
「近付くな! 一人じゃ危険だ!」
オレに気付いた先生の一人が叫ぶ。
「神那岐君?!」
気付いた先生が慌てて止めようとする。
「君一人じゃ無理だ!」
「……先生たちこそ、下がってください」
オレは我ながら沈んだ声で、告げた。
「博はオレが戦わなきゃいけないんだ」
「神那岐!」
太い声に、オレはそっちを見る。
あちこちに血のにじんだ包帯を巻いた篠原先生がいた。ケガをしながらも、勇者たちを指揮して塔に近付けさせないように戦っている。
「神社には行ったか?」
「……はい」
「何があったかは知らんし聞かん。言わんでもいい。だが……敵は強いぞ」
「分かってます」
オレは槍を持つ右手に力を込めた。
「あいつは……オレが止めます」
「分かった。こっちは魔法の塔の援護に回る」
「篠原!」
「安久都は神那岐に任せろ!」
篠原先生は博を取り囲んでいた勇者を引かせながら叫んだ。
「安久都を倒せるのは神那岐しかおらん!」
「しかし!」
「いいから引け、塔を守れ! 奴のゴーレムが塔を襲っているんだ!」
篠原先生は叫びながら走り去っていく。
その中心にいた人影は、突っ立っていたけど、ゆっくりとこっちを見た。
強張っていた顔が、ゆっくりと歪んでいく。
口元が半月形に開いて。
目も三日月のように細められた。
「ああ……なんだ、来てくれたのか」
「ああ、来た」
オレは槍を握りながら言った。
「お前と戦うために……来た」
「お前、一人でか?」
「だって、みんなを連れて来たら、お前はみんなも傷付けただろ?」
「当然だ」
人間のパーツをしているのに、笑みは凶悪で。もう人間としての限界ギリギリまで行っているとしか思えない。
「だから、オレ一人で来た」
「……俺に何をしたか、思い出したか?」
「……ああ」
博の両の口の端が、更に持ち上げられる。
「じゃあ、俺にやるべきことがあるよな」
謝罪。それを求めているのだ。
だけど。
「オレがここで土下座して謝ったとして……お前はオレを許せるか?」
「そんなわけないだろ」
「だろ?」
「土下座したくらいで許せないからな……」
博は胸の前で両方の掌を上に向けた。
「その土下座した頭を踏みにじって、指を一本ずつ折って、その絶叫や苦悶を聞くのを楽しみにしてきたんだ」
「それ以上のことも楽しみなんだろ?」
「ああ、そうだ。お前を隷死にして、逆らえないお前の顔を見るのが楽しみなんだ」
「オレはそうしたくない。だから戦う。お前と」
「そうか……」
一瞬博は目を伏せて。
そして上げた時には、そこには凶悪な笑みが刻まれていた。
「それを、屈服させて跪かせることが楽しい」
笑って、博は両手を広げた。
「さあ、かかって来いよ勇者様。ミスリルに着られているお前に、俺が倒せるとも思えないがな」
接近戦で博に勝てるとは思えない。入学当初ハルナさんをあっさり抑え込んだあの手腕を思い出せば、今のオレでも勝つことは難しい……いや不可能。
オレは距離を取ると、ミスリルの槍を掴み。
投げた。
「ミスリルの槍を使い捨ての投具にする?」
面白そうに博は笑う。
「それはコストの無駄遣いだろう」
「それだけじゃないんだな」
オレは腕を引く。
槍が勢いよくオレの手の内に戻ってきた。
「む?」
続いて投げつける。
ミスリルの槍はオレの狙い通り、博の右手を目掛けて飛んでいく。
博は鬱陶しそうに振り払おうとしたけど、穂先は確実に博の右手を傷つけた。
オール工房の親方がつけてくれた機能。投げれば、敵目掛けて飛んでいき、手を引くと自動的に戻っていくというもの。親方は、これはあくまで試作品で、それに頼るようになったら負けだ、と言っていた。
でも、今は、これに頼るしかない。
槍を止められるまでに、少しでも博の体力や気力を削れれば……。
グイ、と右手を引く。
再び槍は手に戻る。
「なるほど、オール工房の機能付きか」
納得したように博は頷く。
「ククッ、頑張れ頑張れ」
飛んでくる槍の、急所狙いを避けながら、あいつは笑う。
「頑張れば頑張ったほど、それが無意味だと気付いた時の顔が歪む……それを、是非とも見てみたい」
「そうか、オレは見せたくないよ」
溜め息交じりの答えに、子供のように純粋で悪魔のように凶悪な笑い顔が応える。
「魔法は使ってこないのか?」
「オレの魔法は基本防御・回復。第一魔力が吸われたら終わりだろ」
「そうだな。それは最後の一撃にしたい。お前の中の魔力を吸い取って、隷死として操る最後の一撃。ショートケーキのイチゴのようなものだ」
幼い答。
ふと、オレは思い出した。
そうだ、あれは博の誕生日の日。
オレも遊びに行って、ホールのケーキを食べさせてもらった。
好きなものを最初に食べる派のオレと最後に食べる派の博の意見はいつも合わなくて、最終的にケンカになった。
そんなことを思い出して、オレの顔が歪むのに気付く。
「何を思い出した? 俺の誕生日のことでも思い出したか?」
「……当たりだよ」
そうかそうか、と楽しそうに博は頷く。
「お前は都合よく自分のしたことを忘れていたようだからな。それを一つずつ思い出させるのも楽しみだったが、過去に触れる度に歪むお前の顔も楽しい」
博は笑った。